季刊かすてら・2006年春の号

◆目次◆

奇妙倶楽部
軽挙妄動手帳
編集後記

『奇妙倶楽部』

●風邪引き女のブルース●

 風邪を引いた。冬の最中、男と喧嘩別れして焼け酒かっ食らい、泥酔して裸に近い恰好で寝たのが原因である。翌日目覚めても風邪だとは気付かず頭が重いのは宿酔の為だと思っていた。学校へ行き午前の授業が終わる頃には流石に気付いたが、あと少しで冬休みなので頑張ろうなどと私らしくなく殊勝な事を考えたのが仇になって拗らせた。恋人の居ないクリスマスを熱にうなされながら寝て過ごした。部屋から一歩も出ずに三日過ごした。気分が悪いせいかろくな事は考えない。喧嘩の原因は、彼が私に母親を求め過ぎる事であった。私は高校を卒業後、一旦就職し四年間働いている。今通っている服飾専門学校の同級生は私以外全員高校卒業してすぐに進学しているから私一人が年上である。太っているせいもあって包容力があるように見えたのであろう。男は私に甘えたがった。残念ながら私は実年齢ほど大人ではなかったし、如何に歳が離れていようと女が恋人に甘えたい時はあるものだろう。しかし男はそれを許さず、常に私に母親を演じさせようとした。私の機嫌はどんどん悪くなり、つまらぬきっかけで喧嘩を繰り返す様になった。そしてとうとう大喧嘩の末に別れたのである。直後は何と身勝手な男であろうと思って怒り狂っていたが落着いて考えてみると私にも悪い所はあった。男が私に母親を求めている事は付き合い始めた時から気付いていたのである。始めの内は甘えられる事は嬉しかったし、男の母親になれると思っていたのだった。しかし、私は自分で思っているよりもずっと子供だった。男に期待させる様な言動を取ったのは少し可哀想だったかも知れない。熱のある頭で考えるせいか思考が自己否定的である。四日目に冷蔵庫が空になった。立って歩くとふらつくので買物に行く気にならない。私は近所、と言っても歩けば三十分以上かかる所に住んでいる幼馴染に電話で助けを求めた。夕刻だが彼は家具職人だから工房のある自宅に一日中居る筈である。自宅といっても借家で、更に言えば元々は住宅ではなくて倉庫である。
「零ちゃん、ヘルプ・ミー」
「一子か。鼻が詰まってるな」
「風邪引いた。食べる物がなくなったの。何か持って来て」
「了解」
 日本海側の雪国から関東に出て来た二人の幼馴染が近所に住んでいるのは偶然ではない。東京の専門学校に進学したいと相談した時に両親が出した条件が「零ちゃんの近所に下宿する事」だったのである。私の両親の零ちゃんに対する信頼は絶大である。特にお母さんは大ファンで「お父さんと別れて零ちゃんのお嫁さんになりたい」と言っている。冗談めかしてはいるが、半ば本気ではないかと私は睨んでいる。それで私は池袋の学校まで片道一時間近くかかる埼玉県の町にアパートを借りた。親の心子知らずで、こちらに来た当初こそ零ちゃんとよく話したが、すぐに疎遠になった。仲が悪くなった訳ではない、零ちゃんにも恋人が居たし私にも男ができたから自然と会う事がなくなったのである。零ちゃんとは、こちらでよりも暮れに帰省した時の方がよく会うくらいである。もう三年くらい殆ど話をしていない。呼び鈴が鳴り鍵を開けると荷物を背負った零ちゃんが立っていた。
「お待たせ」
 いつものさわやかな笑顔で笑った。零ちゃんは美男子ではないが陰湿さのないさばさばした性格がそのまま顔に出ていて感じが良い。ただ、その為に人間が薄っぺらい感じもする。大人らしい深みが感じられず、もう三十半ばなのに子供の様な顔をする事がある。
「今飯作ってやるから寝てろ」
「うん」
 私がベッドに戻るとすぐに良い匂いがし始めたちまちお粥ができた。二人で向かい合って食べる。小さな食卓と椅子は零ちゃんが作ってくれた物だ。
「医者には行ったのか」
「病因嫌いなの知っているでしょう。どうせ風邪に特効薬はないわ」
「食い物は冷蔵庫に押し込んどいたが、他にして欲しい事はあるか」
「お風呂に入りたい」
「無茶言うな。熱あるんだろう」
「零ちゃん、風邪引いた時は熱いお風呂に入って治すって言ってたじゃない」
「あれは荒療治だから失敗すると却って悪化する」
「頭痒くて死にそうなのよ。ねえ、お風呂に入れて」
「小母さんに頼めないのか」
「私をお風呂に入れる為に田舎から出てこいなんて言ったらぶん殴られるわ」
 お母さんの事を良く知っている零ちゃんは頷いた。
「友達は?」
 私は首を左右に振った。学校でそんな事を頼めるほど親しくしている友達は一人しかないが、彼女は休みの間、老人福祉施設でボランティアをしている。
「男は」
「別れた。お願い、零ちゃんお風呂に入れて」
 零ちゃんは顔をしかめた。
「一子は忘れてるかも知れないが俺は男だぜ」
「知ってるわよ。一緒にお風呂に入った事あるじゃないの」
 その時に男性である証拠を見たと言った積りだったが零ちゃんは別の意味に取った様だった。
「あれは一子が十にもならない頃だ」
 私だって若い男女が一緒にお風呂に入ればどういう事になるか想像は付く。恋人ではない男とセックスする事に罪悪感の様な物はあるが頭の痒さが切羽詰まっている。処女という訳ではないし零ちゃんだったら触られるのも嫌じゃなかった。零ちゃんとの関係がぎくしゃくしてしまう事だけが恐ろしかったが零ちゃんの性格ならそれほど心配はない筈だ。放っておくと一人で入浴してしまうと思ったのだろう。やがて零ちゃんは頷いた。
「判った。入れてやるから、ちょっと待ってろ」
 零ちゃんはお風呂にお湯を張る設定をすると何かを取りに帰り、すぐに戻って来た。お湯は既に一杯になっている。
「脱衣所に行って服を脱げ」
 色気は勿論、躊躇も恥じらいも感じられない命令口調。私は素直に従った。寝間着代わりのスウェットスーツを脱ぎ下着も取る。横では零ちゃんもシャツのボタンを外している。流石にどきどきする。盗み見る様にするが零ちゃんの表情は変わっていない。私が素っ裸になってしまうと、上半身だけ裸になった零ちゃんに抱え上げられ、ゆっくりとお湯の中に沈められた。
「ちょっと熱いよう」
 風呂釜のパネルを見ると私が普段使っているよりも温度が高く設定してある。
「それで良いんだ。顎まで浸かれ。俺が良いと言うまで出るな」
 相変わらずの命令口調。まあ子供扱いされるのは無理もない。零ちゃんとは生まれた時からの付き合いで、十も歳が離れていて、膝の上でおしっこ漏らした事もあるのだ。私はもう二十六だが、子供の頃の印象が離れないのだろう。零ちゃんは暫く部屋の方で何やらごそごそしていたが、やがて戻って来て全裸となりお風呂場に入って来た。私はちらりと股間を見てしまう。普段の大きさが判らないから大きくなっているのかどうかは判らないが少なくとも上向きになってはいない。前にも言ったが零ちゃんは色気はないがさわやかな感じなので、もてるのかも知れない。きっとそれなりに経験豊富で私みたいなデブの小娘の裸を見ても欲情しないのだ。セックスしちゃっても仕様がないとは思っていたが積極的にしたかった訳ではない。にも拘らず零ちゃんがその気にならない事は何だか少し残念な気がした。
「頭をこっちに出せ」
 言われる侭に湯船の縁に掌を掛けて頭を洗い場の方に突き出した。零ちゃんがシャンプーで髪を洗ってくれる。私の視線の先にはお風炉用の低い椅子に座った零ちゃんの股間がある。相変わらずだらりと下を向いている。息を吹き掛けて見ようかと思ったが叱られるに決まっているので止めた。丁寧に洗ってシャワーで泡を落とすと、零ちゃんはまた私を抱え上げて今まで自分が座っていた椅子に座らせた。糸瓜の垢擦りで背中を洗ってくれる。この垢擦りは私のお爺ちゃんの畑で採れた糸瓜で作った。零ちゃんも同じ物を使っている筈である。そもそも私たちの付き合いは先祖代々にまで遡る。まあそれほど大層な物ではないが、私の父方の祖父と、零ちゃんの母方の祖父が同じ山の中の集落出身なのだ。私のお爺ちゃんは今でもその集落に住んでいる。零ちゃんのお爺ちゃんは元々村の大工さんだったが、戦後復興期に建築需要が高まるだろうと読んで町に出た。読みは当って大きな工務店を建てた。そこへ私のお父さんが進学のために出て来て居候したのである。お父さんは大学を出て就職すると独立したが今でも零ちゃんの実家の近くに住んでいる。そういう訳で双方の家族はずっと親戚付き合いをしている。集落の家は殆ど何処かで血の繋がりがあるから調べてみれば私と零ちゃんは実際に遠い親戚の筈だ。背中を洗い終わると零ちゃんの方を向かされた。ちらりと目をやる。やはり下向き。助平な雰囲気にならない為であろう、零ちゃんはわざと乱暴な感じで私の身体を洗った。おっぱいや太股の内側を洗って貰っている時には妙な気になりかけたが変な声を出さないように我慢した。しかし油断していたので足の指を洗って貰った時に鼻にかかった嫌らしい声が出てしまった。指の間は大きな糸瓜では洗い難く直に手で洗った為に感じてしまったのだ。零ちゃんに聞こえなかった筈はない。滅茶滅茶に恥ずかしく耳まで火照ったが零ちゃんは知らぬ振りで洗い続けた。
「股座は自分で洗え」
 と糸瓜を渡されたがこんなごわごわした物で性器は洗えない。スポンジに持ち替えてこする。零ちゃんを見ると湯船の中でざぶざぶ顔を洗っていた。股を開いて股間を洗っているのにセックスしても良いと思っていた男はこちらを見もしない。私は何だか悲しくなった。
「どうした。辛いか」
 私の溜め息に気付いて零ちゃんが聞いた。私は首を左右に振った。
「大丈夫。病気して気が弱くなってんのよ」
「そうか」
 口調は乱暴だが零ちゃんは優しい。零ちゃんに泡を流して貰い、最後に自分で顔を洗うと零ちゃんはまた私を抱え上げて湯の中に沈めた。
「声に出して百数えろ」
 零ちゃんはお風呂場を出て行った。お湯が熱いので私はできるだけ早口で百まで数えた。Tシャツとスウェットパンツに着替えた零ちゃんの腕に掴まってお風呂から上がる。流石にふらふらする。零ちゃんは手早く私の頭にタオルを巻き体を拭いてくれ、素肌の上に毛布を巻き付けて抱え上げた。私は何だか零ちゃんに抱き上げられるのが楽しくなっていた。私を椅子に座らせると食卓の上にビールのジョッキぐらいある肉厚の大きな硝子コップを置いた。琥珀色の液体が満たしてある。薄らと湯気が立ち甘い様な香りがした。私は毛布の間から手を伸ばしてコップを掴んだ。温かい、と言うより熱い。
「何?」
 と私は聞いた。
「ウィスキーのお湯割に蜂蜜を溶いて檸檬を絞った物」
「カロリー高そうね」
「その為の飲み物だ。風呂で使った体力を補うんだ」
 一口啜る。笑みが零れた。
「へへ。美味しい」
「味わってないで冷めない内に全部飲め」
 私は「あちー」と繰り返しながらずるずると飲み干した。
「飲んだか」
 と零ちゃんは言うと、私から毛布を剥ぎ取った。漸くその気になったのだろうか。違った。すぐにTシャツを着せられた。腰には何故かショーツを穿かせず、膝からお臍くらいの所にバスタオルを巻いた。ベッドに放り込まれる。私の横に零ちゃんがするりと入って来る。
「このまま朝まで、たんと汗をかき続ければ直っている筈だ」
 体温を上げ新陳代謝を活発にする事で病原菌をやっつけるのである。右側を下にして横向きに寝ている私を後ろから抱き抱える様な恰好で零ちゃんも寝ている。零ちゃんの息が私の後ろ首に掛かる。そのままの格好で振り返らずに私は言う。
「ねえ零ちゃん」
「何だ」
「私、女の子として魅力ないかなあ」
「んなこたないだろ」
「だってブスだし」
「一子はブスじゃないよ。美人じゃないにしても可愛いよ」
「馬鹿だし」
「馬鹿じゃないよ。場合によっちゃあ俺より賢い」
 美人じゃないとか場合によってはなどと条件を付ける所が、いい加減に調子の良い事を言っているのではない感じがして嬉しかった。
「デブだし」
 沈黙。
「どうしてデブじゃないって言ってくれないのよう」
「嘘は吐けないな」
 私は「ひーん」と泣いた。零ちゃんは笑った。
「身長体重比で言えば肥満の範疇だろうが、そんなに不健康な感じはしないよ。良いんじゃないか、それくらい。俺は痩せぎすなのより好きだ」
「本当?」
「……」
「どうして考えるのよう」
 零ちゃんはまた愉快そうに笑った。
「子供の頃から痩せちゃあいなかったが二回りも肥えたな。何時からだ」
「高校出て就職してから」
「生活が変わったからか」
「それもあるだろうけど、フルート止めたのが主だと思う」
「今は全然吹いてないのか」
「うん」
「楽器はどうしたんだ」
「お母さんには内緒にしてね。売っちゃったの」
「一子は演奏家になるんだと思ってた」
「私も。職業としての音楽家になるかどうかはともかく、表現として高い所を目指す種類の演奏者になるんだと思ってた。でももう良いの。才能ないの判っちゃったから」
「一子は巧かったけどな」
「技術的にはね。零ちゃんにこんな事言うのは釈迦に説法だけど、音楽の才能っていうのは手が速く正確に動くとか息が長く続くとか譜が早く覚えられるとかいう事じゃないでしょう」
 私の後ろで零ちゃんは頷いた様だった。私は続ける。
「高校に入ってからジャズをやり始めたのは知ってたっけ。ジャズやって良かったわ。ジャズの即興演奏では私に欠けている音楽的創造性みたいな物が極端な形で出て来るから。クラシックやポップスだったら気付くのがずっと遅くなったかも知れない」
「アマチュアならそういう『高みを目指す』のとは違う楽しみ方もあるだろう。素朴に音を出す事の快感を味わうような」
「そうね。でももうフルートは吹かない。悲しくなっちゃうから。やるなら別な楽器。管楽器の音は好きだから、今度は縦に咥えるやつにしようかな」
 縦に咥える、という言葉から助平な連想をしてしまい私は一人で赤くなった。
「ねえ零ちゃん」
「何だ」
「この前別れた男は私にお母さんになって欲しかったの。最初は私もなれると思ったの。でもできなかった。私は自分で思っているよりずっと子供で、上手に甘えさせてあげられなかった」
「そうか」
「私、自信なくなっちゃってさあ。零ちゃんも、お風呂で何にもしなかったし。あそこも大きくならなかったし」
「風邪引き女を犯す趣味はねえな。何だ、したかったのか」
「最初は本当に頭が痒かったのだけなの。でも、優しくしてもらっている内に零ちゃんが好きになったの。そりゃあ前から零ちゃんは好きだったけど。判るでしょう。男の人として好きになったのよ」
「一日で好きになったのは一日で好きでなくなる」
「そんな事ないっ」
 私は大きな声を出したが、すぐに自信がなくなる。前の男とだって別れる積りで付き合い始めた訳ではない。私は悲しくなった。
「そうなのかなあ。零ちゃんの事も何時かは好きじゃなくなっちゃうのかなあ。そんなのやだな。零ちゃんの事がずっと好きでいたいな」
「あっ馬鹿」
「何?どうしたの」
「あんまり可愛い事言うな」
 私も気が付いた。零ちゃんの物が大きくなって私のお尻のほっぺたを突いたのだ。
「嬉しい。…本当にしなくて良いの?」
「風邪引き女とはしないって言っただろう。移るじゃねえか」
「私が魅力ないから?」
「そうじゃないって言っただろ」
「美人の恋人がいるから?」
「あれとは一年も前に別れた」
「じゃあ風邪が治ったらしてくれる?」
「ああ」
「本当?」
「ああ。一子の気が変わらなかったらな」
「変わらない。遠い先の事は判らないけど、すぐに気が変わっちゃう筈ないわ。こんなに好きなんだもの」
「そうか。じゃあ早く治せ」
「うん」
 本当よ約束よと言いながら私は眠りに落ちた。風呂上がりが二人身を寄せ合っているのだから布団の中は凄い熱気が籠っている。零ちゃんに起こされた時、私の身体は汗びっしょりで、ずくずくになったTシャツとバスタオルが身体に貼り着いていた。ベッドから引き摺り出され立たされた。冷気に当たった汗が湯気を立てる。
「万歳しろ」
 寝惚け眼で両腕を上げると濡れたTシャツを引き抜かれた。腰のバスタオルも取られまた全裸になる。今するのかな。今は眠いな。などと思っていると新しいTシャツとバスタオルを着せられた。ショーツを穿かせずにバスタオルを巻いたのはこの着替えを手早くする為らしい。乾いた物に着替えるとまたベッドに放り込まれる。朝までに数回着替えは行われた様である。回数がはっきりしないのは私が寝惚けていたからだ。明るくなって目が覚め手探りすると横に男がいない。
「零ちゃん」
 私は狼狽えて大声で呼んだ。
「おう」
 声の方へ目を向けると台所に立つ零ちゃんの後ろ姿があった。私はほっとする。お出汁の良い匂いがした。ベッドから飛び出して駆け寄る。
「零ちゃん、風邪治った。鼻で息ができるし頭も重くない」
「そうか。ぶり返すからパンツ穿け」
 零ちゃんは葱を刻みながら言った。ベッドから飛び出した拍子にバスタオルが外れていた。
「いやん」
 私は股間を押さえて身をくねらせた。着替えて食卓に着くと先ずビタミン飲料の一リットルボトルを渡された。檸檬何十個分のビタミンCとかいう酸っぱい奴だ。汗をかいて喉が渇いていたのでごくごく飲む。それを見ながら零ちゃんが言う。
「ビタミンCは高温で壊れ易いから熱を出した後は不足しがちになる。冷蔵庫にもう一本入ってるから喉が乾いたら飲め。伊予柑とキウイフルーツもある」
 零ちゃんは朝御飯にお饂飩を作ってくれた。関西風の薄口醤油に昆布と鰹節のお出汁だ。零ちゃんは料理が巧い。職人だから器用なのだ。また向かい合って饂飩を食べた。
「もう大丈夫だと思うが今日は学校は休め」
「もう冬休みよ」
 零ちゃんはちょっと驚いた顔になった。
「もうそんな時期か。とにかく今日一日は大人しくしていろ。俺は仕事があるから一旦帰る。夕方また様子を見に来てやる。鍋に粥があるから昼はそれを温めて食べろ」
 デザートには蜂蜜を垂らしたプレーンヨーグルトを出してくれた。
「零ちゃん夕べの約束覚えてる?」
「ああ。気は変わらないか」
「うん」
「じゃ待ってろ。ひいひい言わしてやる」
「嬉しい」
 そんな事しなくて良いと言うのに零ちゃんは食器まで綺麗に洗ってくれた。帰る時に玄関まで見送った。
「できるだけ早く戻るから待ってろ」
 私は頬を赤らめてしおらしく頷いた。零ちゃんは扉の向こうに消えたがすぐにまた開いて顔を出した。
「オナニーしないで待ってろよ」
 私は閉じていく扉に怒鳴る。
「そんな事しないわよ馬鹿っ」
 本当はする積りだった。私はベッドに戻り雑誌を広げたが勿論文章など頭に入らない。今夜の事を想像してえへらえへらと笑み崩れていた。夕方に戻ると言っていたが、零ちゃんは日が暮れてだいぶ経ってから戻って来た。ひいひい言わせるなどと言っていたが、お風呂でもベッドでも何もしなかった零ちゃんは性的に淡泊なのだろうと思っていた。大間違いだった。
 突き殺されるかと思った。

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室(電子フォーラム)「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の2006年1月〜3月までを編集したものです。

◆次号予告◆

2006年7月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・2006年冬の号
季刊カステラ・2006年夏の号
『カブレ者』目次