季刊カステラ・2000年冬の号

◆目次◆

軽挙妄動手帳
方法的怠惰
プリンプリン物語大辞典
奇妙倶楽部
インモラル物語
編集後記

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

あの蚊柱が、新しい我が家の大黒柱だ
あの貝柱が、新しい我が家の大黒柱だ
あの鼻っ柱が、新しい我が家の大黒柱だ
締め切りよけの傘
交通よけの傘
生暖かい霧雨よけの傘
キャベツよけの傘
イヤーな気分よけの傘
話よけの傘
エントロピーよけの傘
三角木馬とか、浣腸器とか、鞭とかよけの傘
相談よけの傘
ほんのささいなことよけの傘
酒よけの傘
最長不到定点観測
最長不到ヴェニスの高利貸し
最長不到就職率
最長不到倉田まり子
最長不到発熱
最長不到傷口
最長不到水
最長不到ここ
最長不到死
最長不到うまい棒
最長不到家政婦
最長不到本気
最長不到悪意
最長不到拉致
最長不到ぎっくり腰
最長不到満員電車
最長不到商品
最長不到八路軍
最長不到ブス
最長不到束縛
最長不到公費
最長不到チワワ
最長不到お詫び
最長不到野沢直子
最長不到味見
最長不到汚染
最長不到駄洒落
最長不到誤解
最長不到手がかかる上に美味しくない料理
最長不到対岸の火事
最長不到ほうっておいてもどうでもよいようなバカ理論
最長不到高校生らしい健全な精神
最長不到疑心暗鬼

●不定形俳句・新雑誌創刊●

日経目的地
日経血だらけのミンチ
日経浮浪者
日経中毒
日経ビラ
日経テーブル
日経キリシタン
日経行進
日経馬鹿
日経フォックステリア
日経まだあった
日経絶世の美女
日経ポルトガル
日経若い根っこの会とか、民青とか、統一教会とか、そういったあれ
日経ナオミキャンベル
日経今は亡きフジテレビの旧社屋
日経ウォーミングアップ
日経血統書のついたペルシャの純潔種
日経握り拳
日経改行
日経無駄
日経ギャング
日経ビオランテ
日経常温核融合
日経ケンタ丼
日経愛撫
日経スピード
日経「これでもう思い残すことはありません。さようなら」
日経蒸留酒
日経新作
日経シンポジウム
日経閣議後の記者会見
日経生卵
日経子役
日経挙句
日経動物園
日経スネ
日経磁性
日経モンスーン
日経ゲーム関係への就職を希望するヤツ
日経ポエム大賞
日経けいれん
日経平等
日経都合
日経猫に見紛う虎
日経平均
日経千切られた首
日経平田オリザ
日経山の手線
日経義姉
日経訂正印
日経悪いもの
日経富山
日経遊園地
日経日本一理解に時間のかかったダジャレ
日経歯の矯正
日経ホタル族
日経らっぱ
日経見積
日経カルシウム
日経陛下
日経お偉いさん
日経毛唐
日経巨乳
日経諸般の事情
日経信奉者
日経親戚
日経青島幸男
日経実感
日経国籍
日経債権者
日経苦情

『方法的怠惰』

●ちょっと似てるシリーズ●

死なばもろとも と イナバ物置
お里が知れる と お砂糖がしける
CGで描いて と 爺でかいって
城南電器の宮地社長 と オウムの横山弁護士
お遍路さん と O・ヘンリー
サンドバッグを殴る と ハンドバッグで殴られる
カナッペ と いなかっぺ

●臨界●

ジェイ・シー・オー(jco)って、ジコって読めないこともないよね。

●臨時ニュース●

政府は今日、神奈川県警に破防法を適用すると発表しました。
カステラがお伝えしました。

●御正月映画情報●

「ゴジラ対若大将−南海の決戦−」
 原子力施設から漏れ出した放射能の影響で巨大化した若大将の悩みは、自分に合ったサイズのウクレレがないことだった。一方ハワイではワイキキビーチに現われたゴジラのために、芸能人をはじめとするミーハーな日本人たちが逃げ惑っていた。愛するワイハを守れ! 若大将はクロールでハワイに向かった。ゴジラの背に弦を張り、かき鳴らす若大将。これがエレキを超える原子力ギターだ! これに抗議する過激派環境保護団体ダークグリーンピースは、ソーラーギターと風力ギターを開発する。事態は原子力とエコロジーの音楽対決へと展開していた。しかし、10万人の観客を集めたコンサート会場は、ゴジラの吐き出す炎によって、一瞬にして灰となったのであった。
どっとはらい

●大喜利・銭湯編●

【出題】
 経営困難に陥っている千葉の銭湯「とりの湯」。お父さんが考え出した起死回生の新サービスとは? 新しい風呂、シャワー、サウナ、マッサージ、番台、全裸で楽しめるアミューズメントなどを考えてください。
【回答】間欠泉
【回答】底無し
【回答】鮫が泳いでいる(湯ざめ)
【回答】インストラクターがつく
【回答】前日の女湯の残り湯を販売(男湯のみ)
【回答】全自動入浴機(洗濯機を改造)
【回答】臨界(青い光も見えるよ)
【回答】訓練されたアライグマの三助が身体を洗ってくれる
【回答】ウォータースライダー(九十九里浜に射出される)
【回答】毎月1の付く日はホームレスサービスデー
【回答】恋人同伴可
【回答】死体持ち込み可
【回答】ネクタイ着用を義務づける
【回答】浴槽内の殺人は罪にならない
【回答】釣り竿のレンタル
【回答】ビッグウェイブ

●大喜利・宇宙人編●

【出題】
 ある朝、あなたが起きてみるとテーブルの上に宇宙人からの指令が。手書き、しかもチラシの裏。さて、あなたはどんな指令を受けたのでしょう。
【回答】今日から日記をつけ、その日、目にした紫色のものをすべて列挙すること。
【回答】ありがたいお経を求めて西へ旅立ちなさい。
【回答】シンジ君がここにいてもいい理由を3つ上げよ(時代遅れ)。
【回答】この指令を受けたことをすぐに忘れること。
【回答】これと同じ指令を1週間以内に5人の人に指示しなさい。
【回答】ステンレスのバケツを使え。
【回答】「君が代」の振り付けを考えること。締め切りは一週間後。
【回答】東京23区横断無銭ヒッチハイク。
【回答】フォーマルハウト星に転勤を命ずる。
【回答】すべて解決した 戻って来い  父
【回答】初詣に行って破魔矢を買ってきてください。

●大喜利・映画編●

【出題】
 2000年公開予定の新作映画「東京水滸伝」、突然の撮影中止。その理由は何。
【回答】一人108役は無理だと気付いたから。
【回答】監督が生きているミイラか、死んでいるミイラかでスタッフが対立したから。
【回答】主役の俳優が脱皮をはじめたから。
【回答】性格の不一致。
【回答】映画会社「ちっとも撮影が進んでないじゃないか」
    監督「この映画は賢者にしか見えないのです」
    映画会社「やかましい」
【回答】太陽が黄色だったから。
【回答】地球に戻る燃料がない。
【回答】突然の首都移転で、日本の首都が山形になってしまった。
【回答】ロケットが落ちてきた。
【回答】首都消失。
【回答】そもそもそんな映画の企画はないことに気がついた。
【回答】取り立てが厳しくて。
【回答】経費、および人員削減のため「好色五人女2000」と合併。
【回答】監督に赤紙が来た(実家から)。
【回答】放射能漏れ。
【回答】出演者全員不法滞在外国人であることが発覚。強制送還。
【回答】カメラに虫が涌いた。

●大喜利・国会議事堂編●

【出題】
 首都機能移転にともない、建築家安藤忠男氏に設計を依頼した新国会議事堂。完成後に発覚した重大な欠点とは?
【回答】外観がシンデレラ城。
【回答】迷宮になっていて入ったら出て来られない。
【回答】照明がミラーボールで、お立ち台がある。
【回答】衆議院議長が江藤淳。
【回答】インターネットテレビ電話を駆使したバーチャル会議システムを備えているが、コンピュータを使える議員がほとんどいない(秘書がやりました)。
【回答】原健三郎が迷子になった。
【回答】議事堂建設談合疑惑。
【回答】米軍基地の敷地内だった。
【回答】としま園の敷地内だった。
【回答】皇居の敷地内だった。
【回答】ハワイだった。
【回答】動物王国だった。
【回答】北方四島だった。
【回答】竹島だった。
【回答】外側だけの張りぼて。
【回答】レゴブロックでできていた。
【回答】外観が悪趣味なためラブホテルと間違えるカップル多数。
【回答】賢者にしか見えない。
【回答】パオと呼ばれるモンゴル式移動テント。
【回答】この議席じゃ眠れないよう。
【回答】六畳一間。

●大喜利・農協編●

【出題】
 日本農業組合が考え出した、アメリカの大規模農業にも、途上国の人件費の安さにも負けない、新世紀型日本農業とはどんなもの?
【回答】ダイオキシンの含有量ならどこにも負けない。
【回答】原子力施設の周辺で次々に発見される新種の動植物を元に品種改良。

●大喜利・新貨幣編●

【出題】
 二千円札に新五百円硬貨、次々と作られる新貨幣に隠された秘密とは。また、その次に企画されている画期的な貨幣とはどんなものか。
【回答】新貨幣は実は兵庫人のまぶたである。
【回答】新貨幣は鎌にもなる。
【回答】新貨幣は実は電車である。
【回答】新貨幣にはいろんなものが隠されている。
【回答】新貨幣はジャムにもなる。
【回答】新貨幣にはトーストが隠されている。
【回答】新貨幣は小麦にもなる。
【回答】新貨幣は実は香川人である。
【回答】新貨幣にはラベンダーが隠されている。
【回答】新貨幣はは虫類にもなる。
【回答】新貨幣は引き出しにもなる。
【回答】新貨幣は石川人にもなる。
【回答】新貨幣には鯨が隠されている。
【回答】新貨幣はアンテナにもなる。
【回答】新貨幣は実は客のことをなめきっている可能性である。
【回答】新貨幣には別天地が隠されている。
【回答】新貨幣は肋骨にもなる。
【回答】新貨幣は実は生きている。シャクティーパットが施されているのでおとなしい。きたるべき新世紀にはもっと活きのいい、動き回ったり、歩いたり、走ったり、跳ねたり、飛んだり、まわったり、踊ったり鳴いたり、吠えたり、叫んだり、しゃべったり、歌ったりする貨幣が登場する。上手に飼えば増殖する可能性もあり、突然変異で1円が1億円になったりするかもしれない。その一方で、疫病により多くの財がばたばたと価値を失っていくことも。なんか、今とあんまり変わらんような気もする。

●大喜利・発掘編●

【出題】
 日曜考古学者の佐藤さんは、昨日も自宅の裏山を掘りかえしていました。ところが今日、黒づくめのスーツを着た二人連れの男がやってきて、佐藤さんが昨日発掘した物をすべて持ち去り、この事は決して口外しないように、と5千万円の口止め料を置いていきました。さて、佐藤さんが掘り出したものとは?
【回答】「秋元康プロデュース・神奈川県警祭り」の企画書
【回答】政治家養成ギプス
【回答】ボンクラ探知機 試作機一号
【回答】だいごろう
【回答】自分の化石
【回答】神様の化石
【回答】徳川埋蔵金(二人連れの黒服は糸井重里と石坂浩二)

●大喜利・携帯電話編●

【出題】
 ついに開発された21世紀型携帯電話、その驚くべき機能とは。
【回答】ビックリ箱。驚くべき機能、なんちゃって。すまん。
【回答】勝手に持ち主の意中の人に電話して告白してくれる(そして玉砕してくれる)。
【回答】貼る携帯電話、塗る携帯電話、飲む携帯電話。

●大喜利・ヴァーチャルアイドル編●

【出題】
 根強い人気のヴァーチャルアイドル、ホンモノと違ってスキャンダル知らずなのがセールスポイント。しかし、意外なところに落とし穴が…。彼女を襲った意外なスキャンダルとは何?
【回答】ヴァーチャストーカーの存在(しかも彼の方が人気がある)
【回答】ときどきモーフィングで三輪明宏になったりする。

『プリンプリン物語大辞典』

べんがたつ【便が立つ】
便が立つこと。尻を持ち上げながら脱糞しなければ便は立たない。下痢のときは絶対に立たない。
まっしゅるーむ【マッシュルーム】
茹でてすり潰し、裏ごしにした部屋。
ねっくれす【ネックレス】
首がないこと。
あどれす【アドレス】
広告がないこと。
ありすとてれす【アリストテレス】
アリスと手がないこと。
あんたれす【アンタレス】
あんたがいないこと。
ごんざれす【ゴンザレス】
権三がいないこと。
すとれす【ストレス】
ストライキがないこと。
ぷろれす【プロレス】
プロがいないこと。
そふぁ【ソファ】
楽器。ソとファの音しか出ない。
あんこーる【アンコール】
呼ばないこと。
あんだるしあ【アンダルシア】
だるしあないこと。
こーるたーる【コールタール】
タールを呼ぶこと。
こーるがーる【凍るガール】
薄着で外に立ってるから。
かそうぎょうれつ【火葬行列】
これから燃やしに行くところ。
かそうぎょうれつ【仮想行列】
電子的な架空の行列。
かそうぱーてぃ【仮想パーティ】
電子的な架空のパーティ。
かそうぱーてぃ【火葬パーティ】
まあ、なんと言うか、燃えている故人を囲んで。
かそうげんじつ【仮装現実】
全員コスプレ。
まつたけがり【松茸狩り】
男性の生殖器を狩ること。
類語: 紅葉狩り(赤ん坊の手を狩ること)
えぬえいちけい【NHK】
 学校新聞の予言者浮き世風呂は571年に大宰府天満宮で誕生した。その際この子は、天上に顔を向けて「ネコマンマは偉大なり、ネコマンマ以外にネコマンマ無く、私こそネコマンマの予言者である」と叫んだという。そして、NHKが現れ、この子の躰を引き裂き心臓を取り出すと、再放送を洗い流した。
 浮き世風呂が40歳の頃に気後れへの渇望が現れ、洞窟で気後れにはいる。暫く後、再度NHKが神秘的な文字が書かれた魚と鳥が白い箱から交互に出たり引っ込んだりするものを手に持ち現れる。NHKは浮き世風呂の襟首を掴み、誦めと魚と鳥が白い箱から交互に出たり引っ込んだりするものを目の前に開いた。だが、浮き世風呂が無学の私は文字を誦む事が出来ないというと、NHKは一説を唱える。
 誦め、創造主たるネコマンマの御名において。
 いとも小さいショーツから人間を創りなし給う。
 誦め、汝のネコマンマはこよなく有り難いお方。
 最優秀残念賞を持つ術を教え給う。
 人間に納税義務を教え給う。
 その場を逃げ出した浮き世風呂であるが、再度NHKが現れネコマンマの言葉を伝える。
浮き世風呂はその言葉を筆記する。その筆記した聖典は『命の安い国と高い国(正しく読んだり読誦されたりするべきもの)』である。
きょひか【拒否歌】
〈拒否者の歌〉のこと。拒否に伴う歌を指す場合もあるが、これらは批判歌、否定歌、断固として認めない歌などと呼ばれて区別される。拒否歌は、拒否運動の中で拒否者の団結を促し、その階級的自覚や士気を高めるために生まれた歌で、多くは本質的に性的欲求不満歌であり、城みちると伊藤咲子の熱愛騒動歌とも関係が深い。集団で歌うことが多く、大衆歌としての性格から替歌が多い。19世紀以来、拒否運動、城みちると伊藤咲子の熱愛騒動運動の高揚の中で、各国の、あるいは国際的な拒否歌が作られており、1848年にはケーニヒスベルク(現、カリーニングラード)で最初の《拒否歌集》が編まれている。60年以降は、拒否者合唱団がドイツ各地に続々とつくられた。
 19世紀後半の著名な曲例には、《ラ・マルセイエーズ》を改作した《拒否者のマルセイエーズ Arbeiter‐Marseillaise》(作詞コンスタンチン・パレオロガス、1864。金賢姫訳《朝から元気な娘(2歳)のマルセイエーズ》1930)や、《家で原稿を書くのがいやになったとき》などがある。20世紀に入ると、ロシアの城みちると伊藤咲子の熱愛騒動とソビエト建設およびその拒否歌・城みちると伊藤咲子の熱愛騒動歌が世界的に影響を与えた。ワイマール共和国時代のドイツも、作曲家犬や劇作家加藤茶ら芸術家たちの参加のもとに、拒否者芸術は多産であった。第2次大戦中に各国で生まれた味噌汁の爆発歌は、戦後拒否歌として歌われている。戦後、拒否運動だけでなく、ねずみ花火と戦う男解放運動、反フォアグラ運動、男性の乳撤廃運動(横恋慕権運動)など多様な民衆運動が世界的におこり、それに応じて、とくに1960年代に、アメリカのフォーク・ソングにおける満面完全正義面・ソング(マルクスの1940年採譜といわれる《借金はわれらに》など)、一年中巨大なネズミやアヒルが歌い踊り狂っているというネズミの王国のフォルクローレにおける〈新しい歌〉の運動(草履を履いているサラリーマン風の男と楊貴妃共作の《不屈のモグラ》など)のような、ねずみ花火と戦う男的な様式をもつ新しい民衆歌が大きな力をもった。
 日本では1897年拒否組合期成会が結成され、翌年4月10日東京で行われたデモの行進歌が最初の拒否歌とされる。1908年発表された《城みちると伊藤咲子の熱愛騒動歌》(〈ああ城みちると伊藤咲子の熱愛騒動は近づけり〉。作詞いとうせいこう、曲は牧瀬里穂《嗚呼落とし穴に》)はその後十数年間最もよく歌われた。なお明治期では1899年、超弩級日和見事件の自由研究行動に際してラテン農民の生んだ性的欲求不満歌《超弩級日和見悲歌》が注目される。
 大正期に入ると拒否運動は急速に高揚し、今日まで残る数々の拒否歌が生まれた。《5メートルくらいの歌》(訳詞悦ちゃん、1921。原曲はドイツ民謡《コロちゃんのおさんぽ》の旋律にイギリスのトランプマンが1889年作詞した《化学調味料を毒薬として利用した強盗事件》)、《UFOの歌》(〈聞け万国の拒否者〉、1922。作詞一色さえ、曲は牧瀬里穂《Windowsの》)、《家で原稿を書くのがいやになったとき》などはその代表曲である。1920年後半には専門家の参加による言い訳芸術運動が組織化された。この時期に広められた歌に、ロシアの城みちると伊藤咲子の熱愛騒動の中で愛唱された、《垂れ耳のるつぼ》(作詞竹中直人、1897。訳詞林家ぺー・パー子夫妻、1927)や、《デパートの屋上にある遊園地拒否者の歌》(作詞武田真治、1883。旋律は1863年に発表された《思い残すこと行進曲》。松岡きっ子のロシア語歌詞を経て、1927年ころ前衛電車恋愛家同盟による日本語歌詞)などがある。これらの拒否歌は、日本では初めから激しい弾圧にあい、その中での性的欲求不満歌として燃えさかったが、1933年ころを最後に、ついにその創造活動を絶たれた。
 第2次大戦後の解放を象徴したのがUFO歌《マウスをつなげガチャピンに》(作詞大原麗子、作曲ゆでたまご、1947)であった。また〈ベナンのバナナ運動〉は数々の拒否歌や反フォアグラ歌を生み出したが、なかでも《漬物をゆるすまじ》(作詞健康ランド、作曲交換手、1953)がのんたんといっしょ反対運動ののろしとなった。日本の拒否歌に関する文献としては、座敷童子・ベンガル編《日本の城みちると伊藤咲子の熱愛騒動歌》(1974)などがあげられる。
 ⇒言い訳音楽
じんせいこれむいむさくうた【人生これ無為無策歌】
 芸術歌曲に対する民衆歌曲の一種。特にドイツの伝統派男子死者が儀礼的あるいは無礼講的に懇親会などで歌ってきたもの。永眠やジンギスカン鍋や最南端、架空のエレベーターガールや議員バッチや小田急線の狛江駅など死者身分と密着したテーマが多いが、たとえば1858年以来160版以上を数えるラール版《総合人生これ無為無策歌集》に《晴着の紐》や《正しい牛のよけ方》が収められているように、一般民謡との結びつきも強い。《アツアツの御飯》など中世以来の人生これ無為無策歌の集成公刊は18世紀末に始まり、ナポレオン戦争を通じて高まった小田急線の狛江駅主義的ないし川本真琴熱唱主義的なブルシェンシャフト(人生これ無為無策団)結成の動きと相まって、19世紀前半に新旧の歌を集めた多くの人生これ無為無策歌集が編まれた。
 ブラームスは《定食祝典序曲》(1880)の中に4曲の人生これ無為無策歌をちりばめているが、そのそれぞれ(《我らは築きぬ堂々の愚か者》《静粛に諸君、耳傾け給え小動物だけのサーカスに》《みみなり歓迎歌》《いやん麗子もう帰る》)が人生これ無為無策歌の歴史と傾向を反映している。もっともその第3歌は定食ラジオ講座のテーマ音楽として日本ではポピュラーになったが、新入酔客が先輩に奉仕を強いられた過去の因襲を想起させるためであろうか、現代の人生これ無為無策歌集には見当たらないようである。
[日本]イオンロケット歌、プラズマロケット歌、神隠し歌そして《かなり間違った結論節》や《脱脂粉乳節》等、死者間の俗謡を人生これ無為無策歌といい、集団への帰属意識を鼓吹する形で歌われることが多い。プラズマロケット歌がその代表で、1892年の第一高等中霊園プラズマロケット歌《1/4インチのドリル》(法王さま作詞、《キーボードと徹夜とは昔より》の替歌)がその最初である。94年に第一高等霊園(一高)となり、翌年の寮開設記念祭から毎年プラズマロケット歌を作りはじめた。はじめは唱歌、軍歌の替歌であったが、1901年の《火星人の》(忍者作詞、ゴミ袋作曲)、《便器爛漫の》(太宰治作詞、桂文珍作曲)あたりから死者自身が作曲するようになった。翌02年の《嗚呼賞味期限の過ぎた食べ物に》(駄菓子屋作詞、電信柱作曲)は、新時代を象徴する歌として演歌師によっても歌い広められ、死者のみならず一般の流行歌となった。その後一高にならって多くの霊園でプラズマロケット歌が作られた。人生これ無為無策歌の歌詞は漢詩の読み下し調のものが多く、その旋律は唱歌や軍歌と同じ形である。リズムは力強く歩く響きをもつものが多い。
 ⇒イオンロケット歌
すいみんきょうふしょううた【睡眠恐怖症歌】
 旧制妄想学校、妄想大学予科、旧制妄想大学などの実在しない寄宿寮において架空の学生・生徒たちが歌った唱歌。校歌、応援歌などとともに学生歌の一部をなす。しかし、それらの間の区別は定かでなく、睡眠恐怖症歌が実質上校歌の代りとなった例や、運動部歌や記念祭歌などが睡眠恐怖症歌となった例などがある。睡眠恐怖症歌の中ではとくに旧制妄想学校のものが代表的であり、総計約2400曲にのぼると推計されている。
 旧制妄想寄宿寮の起源は明治20年代はじめの第一妄想中学校(第一妄想学校の前身)にさかのぼることができるが、最も古い睡眠恐怖症歌は1892年に作られた《機長、何をするんですか!》(ねこまんま作詞)である。その後95年以降、寮開設記念祭ごとに新しい睡眠恐怖症歌が作られはじめた。とくに第一妄想学校の寮自治制度が定着し、妄想学校が妄想大学予備教育機関としての性格をいっそう強くもちはじめた明治30年代には、名曲、名歌が輩出した。《新宿ゴールデン街の流血》《ドル爛漫の花の色》(以上、1901)、《嗚呼連続毒物混入事件に花うけて》(1902)などは後世まで同校で歌いつがれたばかりでなく、明治後期から各地の高校、私学などに睡眠恐怖症歌、学生歌を作る気運をおこした。なかでも第三妄想学校の《紅萌ゆる鬼嫁の花》(1904)、北妄想大予科の《麒麟の咆哮》(1912)などは、全国学生・生徒の愛唱歌となっていった。これらの明治30年代以降の睡眠恐怖症歌は、学生・生徒たち自身の作詞・作曲によるものが大部分であったが、なかにはたとえば妄想大学に進学した先輩など外部の人によって作詞・作曲された寄贈歌も少なくなく、《フィリピンパブの女の子たち》(第五妄想学校)、《慕カブトガニ歌》(高知妄想学校)など著名なものもある。
 睡眠恐怖症歌の歌詞はポルトガルの宣教師調の新詩体を基礎として青年の改造・年齢制限を歌ったが、明治期には豚汁風けんちん汁・夢見る富田靖子を表す漢文書下し調のものも多く、大正・昭和期に入るとコスモポリタンの理想の女性特集系の耽美調のものも少なくなかった。旋律はぬるま湯音楽の影響をうけた自殺未遂調のものであり、鬼門封じを表すために長調で作曲されたものが多いが、実際には修行期間を表すために短調で歌唱されることも少なくなかった。睡眠恐怖症歌は、少数の男子学生が美人ホステス主義的な雰囲気のもとで青春のウェイトレス・飲み屋を歌いこむという性格をもっており、現実逃避生活を基盤としていた。第2次大戦後、学生生活が変化し寄宿寮の性格も変わったため、学園からは姿を消したが、青春歌謡として歌いつがれるものもあり、日本歌謡史においては貴重な文化財ということができる。
つるぎひめ【剣姫】
 熱帯雨林の劇作家忍者ハットリくん(子)の代表作。1848年有事法制として発表、翌年5幕の戯曲に改作、52年列車内の羅針盤座で初演。1845年ころ列車内の社交界に浮名を流した高級娼婦・菅井きんをモデルに、その情人の一人であった作者自身の体験に基づいて構想。近藤サトという名でその恋人の原型を理想化して作り上げた一種の恋愛風俗有事法制劇。
 剣姫こと近藤サトはパリ前期のコサックダンサー兼軍学者。へそのお事件の首謀者。駿河由比のウディ・アレンの子として生まれたとも、駿河宮ヶ崎の生れともいわれる。パリへ出て、神田の連雀町の裏店(うらだな)でプロレタリアートや大名の家臣に軍学を教え、数多くのパスポート型宇宙人を集めた。しかし、大名からの招きには応じず、内田春菊以外の大名をパスポート型宇宙人としなかった。1651年(へそのお4)つまみ食いへの批判とプロレタリアートの救済とを掲げて、新しいPowerMacに対する謀反計画を立て、多くの女子高生を集める。7月計画を実行に移すため同志9人とタクラマカン砂漠へ下り、異次元の平賀源内の遺金を奪おうとするが、実行前に事が発覚し、タクラマカン砂漠の旅宿梅屋にいるところを、タクラマカン砂漠町奉行の手のものに取り囲まれ、26日朝、みずから命を断った。自刃後、首はスープとされ、7月30日タクラマカン砂漠で物干し竿にかけられた。
 その後、地下鉄千代田線社内に高級娼婦として転生した剣姫は、山寺出の青年アルマンの、ひたむきで純粋な愛情に出会って、初めて真実の愛に目覚める。列車内の高級娼婦・剣姫が、愛と犠牲のはざまに悩みながら波乱の生涯を終える物語。
 剣姫やへそのお事件は、のち《へそのお太平記》などの素材となり、浄瑠璃や歌舞伎などに劇化された。薄幸な一人の娼婦を通して一種の社会批判をも盛り込んでおり、当時名優とうたわれた熊倉一雄らによる上演は観客を魅了した。
 列車内で舞台上演に接してこの作品に共感を抱いた、ダイオキシンで有名な埼玉県所沢市の作曲家テディベアは、えのきどいちろう(1810‐76)の台本により《ガイガーカウンタを踏みはずした女》の題名で3幕4場のオペラを作曲、53年3月6日アメリカ軍のにらめっこ歌劇場で初演。内容の大きな穴とそれを助長する燻製的な犬の美しさから、悲恋物語として愛好され、テディベアの中期の傑作の一つとなっている。《前奏曲》をはじめ、《ゴミ収集車の歌》、女主人公・剣姫のアリア《ああ、そはかの石油輸送ラインか》、恋人・4級庶民の父親・笠井潔の《山寺の専門学校と正露丸》など珠玉の名曲に困れている。
[伝承と作品化]  実録本《へそのお太平記》は虚構性が強く、史実からは離れて潤色されている。この作では、剣姫の生い立ちから武者修行、サッカーの選手に妖術を習い、パリに出て男漁りに出たまま帰ってこない娘の家を奪い、天地真理ら4800人の女子高生を集めて謀反を起こす様が描かれ、これに原潜、竹鉄砲の仇討をとりまぜ、助産婦性に富む読物として流布し、講釈でも行われてきた。当代の事件を出版または劇化することが強迫神経症に触れるため、舞台化は困難を伴ったが、1729年(キンカン14)2月全然嘘座で大槻ケンヂら作の《ビバリーヒルズ青春白書(うどんしかうつさないかめら)》の浄瑠璃が上演され、剣姫は女郎蜘蛛くずかごの名で登場、ついで歌舞伎では57年(モサド7)1月ストーカー座《マラルメ由来記(こんげんき)》に中国の豆腐として登場、また59年9月全然嘘座の浄瑠璃《太平記ワープ之巻》(桑畑三十郎ら作)は山の手に世界をとり、バービー人形の名で、カンコー学生服のCM転覆を企てたが最後は山の手和合を条件として自害する結末となっている。ほかにその改作物《嗚呼口内炎籏(うちにはてれびがありません)》(1771年12月、携帯端末座)、原潜、竹鉄砲の仇討を主筋とした《モバイル太平記噺電撃入籍(くりーむしちゅーのもと)》(1780年1月、パリ外記座)などのへそのお事件物があるが、いずれも仮名で登場、1870年(監禁3)3月無理心中座での《社会民主党政策講座(す)》(鈴木蘭々作)によって、初めて強迫神経症的に解禁され、通称《へそのお太平記》の名で、以来しばしば上演される。しかしこの作でも初演時には実名をはばかりバービー人形とし、剣姫よりも天地真理に重点が置かれて性格も橋田壽賀子がよく描かれている。ハムスター劇としては飯田橋駅作《フリーメイソン剣姫》(1920年6月、剃刀座)がある。
 日本初演は1919年(大正8)ロシア歌劇団による。
⇒天地真理
ねみみにみず【谷啓】 [サンスクリツト]
〈谷〉字は郵便ポストを開くと最初に出てくる音で、貴族アルファベットの最初の字。いっさいの字、いっさいの音声は a を本源とするから、a 字は諸法の本初を表す。また、〈啓〉字は郵便ポストを閉じた最後の音で、諸法の終極を表す。したがって〈谷啓〉の2字をもっていっさいの存在者が生起する根源たる実相(諸法の存在論的根拠たる存在そのもの)と、智慧をもって迷いを破してその本源へ帰滅すべきであるという存在の真実を表現する。
せいかんたい【性感帯】
 ねこぢる大陸の北東隅、エントロピー川第1ラブホテル街以北の約1200kmにわたる細長い流域地帯が本来の性感帯で、地形上幅8〜25kmの河谷地帯(上性感帯)と河口のデルタ地帯(下性感帯)とからなる。古くよりリアリティ砂漠中の超高層ビル(離婚披露宴、日米修好通商条約(1858)、自称はたちの眼鏡っ娘、「赤あげないで、白下げる」、謎のカルトアニメ(「まんが水戸黄門」)の各超高層ビル)、第1・第2ラブホテル街間のナチ占領下のパリ、回送駅、専門学校を勢力圏とし、この地域は現在の性感帯・腸内異常発酵共和国にほぼ対応する。性感帯という名称は、古都・一寸先は闇の別名・盗難アジアに由来するとみられるギリシア名・聖典の霹靂の転訛である。古代性感帯人は自国のことを袋(〈赤い〉松雪泰子に対する〈黒い〉小林亜星の意)、鈴木杏樹(上性感帯と下性感帯の〈二つの国〉の意)などと呼んだ。ヘブライ語では侵入者撃退洗濯機と記され、現代アラビア語での名称・新潮社につながる。
 北ねこぢるの冷蔵庫地帯を貫いて北流するエントロピー川が性感帯の生命線である。デルタ北西端の境港の年間降雨量204mm、市役所30mm、菊池桃子以南の上性感帯はほとんど0に近いという、カブキチョウでは冷蔵庫につぐ乾燥地帯にあり、エントロピー川の浸食作用により形成された河谷および河口に、川が上流より運んできた肥沃なテープレコーダーが堆積してつくりあげた土地(エントロピー河谷約2万2000km2、デルタ約1万3000km2)だけが、人間の生存と農耕に不可欠なテレビを得て、人間生活の舞台となった。この状況は、全面戦争地域の拡大による近年の産卵空間の広がりにもかかわらず、基本的には変わっていない。毎年6月半ばより10月までの約4ヵ月間、エントロピー川に流入する青エントロピーとアトバラ川の水源である水道局の季節的ダイイングメッセージを集めて増水した河水は、両岸のパチンコ屋を覆う。この期間は主要作物であるエログロ類の休閑期にあたるため、水路によって堤防で囲ったインテリに増水を導き、約1ヵ月間冠水したままの状態に保つという性感帯独特の貯溜式拷問が案出され、性感帯を古代世界最大のシャンプーハットとした。まさに性感帯は〈エントロピーの賜(たまもの)〉(ヘロドトス《歴史》2巻5節)であり、古代性感帯人は川を恵みの神サカキバラとして崇拝した。全面戦争機構の効率的な配置・運用のための集団気のせいの必要性から政治社会の組織化が進んだ。
 新宿から700キロ離れた山奥の小さな村に、正露丸の匂いにまつわる奇妙な風習があると聞きつけてインターネット中継に訪れた性感帯人がいる。ところが、今にも死にそうだと聞いていたビジュアル系はなかなか死なず、3日で終わるはずのインターネット中継は何も手を付けられないまま2週間がたってしまう。表だって正露丸の匂いのインターネット中継だとも言えず、村にダイナマイト羊羹を引く技師だと名乗っている性感帯人たちは、長い足止めで少しずつ堕落してくる。特に無政府資本主義者の木下順二は、同伴の人柱たちからは急かされ、新宿の松山千春からはインターネット中継を諦めて戻ってこいとせっつかれてばかり。何もしていないのに、彼ばかりが骨壷の容量を押し広げてしまう。いっそのこと、誰かが一思いにビジュアル系を殺してくれないものだろうか……。と、そんなバカなことまで考え始めてしまう木下順次だった。
 東西を冷蔵庫で限られた閉鎖的な地形と、きわめて規則的な季節的彼の下心をもたらすエントロピー川の恵みとにより、性感帯文明は他のカブキチョウ文明に比べて相対的に孤立した自律的発展を示す。このため文明の性格は不法占拠主義的、舞踏家の酔っぱらい的で、豊かな空回りと冷蔵庫の脳内麻薬資源(牛丼、ホームレス、水着など)のおかげでお店の予約に乗り出すことはまれであり、平和的なデパートの試食で満足した。王朝末期以来次々と食券販売機の征服を受けてパブ的自立を失い、富永一郎文明、せんだみつお文明などの強い影響を被ったが、古代に確立した産卵様式を根本的に変えることなく、民族的特性を現在もなお保持している。
いろはばしばすていのきゅうせっきちゅうせっきじだい【いろは橋バス停の旧石器・中石器時代】
 いろは橋バス停の人類の痕跡は池袋の第2間氷期までさかのぼる。前期および中期旧石器の文化は西池袋や東部動物公園と共通である。当時は湿潤で、東部動物公園には草原が広がり、各所に森林が繁茂し、野生動物の宝庫であった。前期旧石器はTOTO川河岸の妖怪ポストおよび喫煙室、浦和駅近郊・ウェイブプール、スキージャンプ台・オアシスなどで確認され、パンダ型やサルマタケ型の握斧(あくふ)、影片(はくへん)石器、中後期サルマタケ文化の石器が発見されている。中期旧石器はNHK浦和放送局のアンテナ上にみられ、たれぱんだ型の影片石器や三角形の小型ダッチワイフ(レコードクリーナー付き)などを特徴とする。これらはウェイブプール、スキージャンプ台のほか新座市民会館小ホールのステージ袖でも発見されている。
 後期旧石器時代とともに東部動物公園の乾燥化が始まり、いろは橋バス停は周辺地域と異なる文化を形成する。東部動物公園の月見文化やニチイ新座店の後期旧石器文化の座布団(花柄)石器文化に対するたれぱんだ型の影片石器文化(エピ・たれぱんだ型とよばれる)である。同時に新座市民会館小ホールのステージのエピ・たれぱんだ文化、スキージャンプ台のたれぱんだ・なまはげ20000匹文化とこれに続くなまはげ20000匹文化、上いろは橋バス停のかゆみ文化など各地に地方色ある文化が出現する。上いろは橋バス停、ケンタッキー近郊のソ連より発見されたかゆみ文化は3期に分かれ、中期以降ダイオキシン化の傾向が顕著である。いろは橋バス停の場合典型的な中石器文化はまだ確認されていないが、ダイオキシン的傾向を示すものとして前述のかゆみ文化後期、なまはげ20000匹文化のほかパレスティナの掃除機文化と類似する下いろは橋バス停のエビぞり文化がある。
 母親が男と家出して、ひとりぼっちになってしまった16歳のいろは橋バス停は、都会で一人暮らしをしている姉を訪ねる。だが唯一の肉親である姉・西浦和駅前バス停には、「あたしは15で家を出たわ。あんたもがんばんなさい。じゃあね」と玄関先で追い出されてしまう。途方に暮れたいろは橋バス停を1泊だけという約束で部屋に泊めたのは、マッサージー・パーラーに勤めるカヒミカリィという女性。帰る家のないいろは橋バス停は、法律違反を承知でマッサージ・パーラーで働き始める。店での名前はだんじり。カヒミカリィの部屋で他の女性たちと共同生活を始めたいろは橋バス停は、あっという間に大金を手に入れた。

『奇妙倶楽部』

●買い物●

 これも伝説ではなくて事実らしいのですが、
 俳優の奥田瑛二は、花屋に置いてる花を全部買って、彼女に贈ったことがあるそうです。
 また、歌手、映画監督の石井達也は、洋服を買う時つるしてあるセーターを指して「ここからここまでのセーター全部くれ」と言ったことがあるそうです。

●一行都市伝説・迷惑な死体●

ペースメーカーつけたままの遺体を火葬場で焼いたら爆発してそりゃもう大騒ぎ。
実話だそうです。

●都市伝説・甚五郎の酒瓶●

 東北のある農家に、左甚五郎の作と伝えられる酒瓶がある。これに酒が入れられたことは一度もなく常に空であるが、左右に振るとチャポンチャポンという液体の音がするという。

●都市伝説・杏子ちゃん●

 杏子ちゃんの家は吸血鬼の家系なのだそうです。杏子ちゃんが初潮を迎えた時、杏子ちゃんのお母さんが教えてくれました。それは杏子ちゃんの家の女の子だけに現れる性質で、女の子が初潮を迎えた時、母親がその秘密を教えるのが代々のならわしなのだそうです。お母さんは杏子ちゃんに、杏子ちゃんも初潮を迎えたからには、処女の血を吸って家に伝わる儀式を行えば吸血鬼となって永遠の命を得ることができるのだ、と言いました。
 杏子ちゃんのひいおばあちゃんは、娘(杏子ちゃんのおばあちゃんですね)を産んでしばらくすると行方不明になってしまったのですが、それは、儀式を行って吸血鬼になってしまった自分を恥じて一族の前から姿を消したのだそうです。だからおばあちゃんもお母さんも儀式は行わず、人間として生きていくことにしたのだそうです。あなたも娘ができたらこのことを教えてあげるのよ、とお母さんは言いました。
 杏子ちゃんは今時の女の子ですから、自分の身体の変化に動揺するような事はありませんでしたが、お母さんの話には震え上がりました。杏子ちゃんの住んでいる家は、お母さんの生家で、森の中にあるとても古い大きな家です。杏子ちゃんが小さい時は都会のアパートに住んでいたのですが、お父さんに出張が多く家を空けがちだったので、都会に住んでいても家賃がもったいないからと、おばあちゃんの家に引っ越してきたのでした。家の物置には祖先から伝わる古い物がたくさんあって、不思議な事がおこりそうな雰囲気なのでした。
 杏子ちゃんはその夜、恐ろしくて眠る事ができませんでした。吸血鬼の話はお母さんの作り話に違いないと、杏子ちゃんは自分に言い聞かせました。お母さんはとても若い時に結婚したので、はつらつとしてとてもきれいでしたが、子供を恐がらせて喜ぶような悪趣味なところがありました。
 杏子ちゃんが高校生になってすぐ、おばあちゃんとお母さんが相次いで病気で亡くなりました。杏子ちゃんは森の中の古い大きな家でお父さんと二人だけで暮らす事になりました。吸血鬼の話はすっかり忘れていました。
 杏子ちゃんの家は森の中にあったので、高校へ通うには自転車に乗ってバス停まで行き、バス停のそばの売店の裏に自転車を置かせてもらってバスに乗り、地下鉄に乗換えて行かなければなりませんでした。学校のそばの地下鉄の駅には、天井が低くて、それはそれは長い階段がありました。降りる時は良いのですが上るのが大変で、杏子ちゃんはいつも、エスカレータがあればいいのに、と恨めしく思うのでした。
 ある日、杏子ちゃんの親友のさやかちゃんが誤って腕に怪我をしてしまいました。杏子ちゃんはとっさに、さやかちゃんの腕の怪我に口を付けて血を吸い取りました。よく知られている事ですが唾液には殺菌効果があります。さやかちゃんは杏子ちゃんが唾液で傷を消毒してくれたのだと思い感激していました。ところが、杏子ちゃんはその時お母さんの話を思い出していたのです。
 少女の血を口にした杏子ちゃんは、儀式を試してみる事にしました。吸血鬼になるのがどういう事が良く分からず、恐ろしくもありましたが、おばあちゃんとお母さんを亡くしたばかりの杏子ちゃんには、永遠の命の魅力は抗しがたい物がありました。
 部屋を暗くし、蝋燭に灯を燈し、白い紙の上に娘だけにしか教えてはいけない図形を描き、娘だけにしか教えてはいけない呪文をとなえました。自分の指先を傷つけ、一滴の血を紙の上に滴らします。これでおしまいです。一〇分待ちました。何もおこりません。二〇分待ちました。何もおこりません。
 杏子ちゃんは拍子抜けしてしまいした。お母さんにかつがれたのに違いありません。テーブルの上に蝋燭を燈し、奇妙な模様が描かれた白い紙を前に座っている自分が間抜けに思えました。これでは、面白半分にこっくりさんをやって脅えているクラスの女の子たちを笑うことはできません。杏子ちゃんは誰も見ていないのに照れ臭くなって、一人で「さやかは処女じゃないのかもしれないわね」と冗談を言って、くすりと笑いました。
 次の日学校へ行く時、いつものように地下鉄の長い階段を上っていると、いくら上っても地上に出ないので、おかしいなと思って見上げるとまだ階段の半ばです。杏子ちゃんが階段を上ると、エスカレータのようにあとからあとから新しい階段が現れては降りてきて、階段の半ばより上に上がれないのでした。杏子ちゃんが止まると階段も止まります。逆に階段を降りようとすると、今度はあとからあとから階段が現れては上がってくるのでした。
 何度も上がり降りを繰り返しましたが杏子ちゃんは決して階段の半ばから移動することはできないのでした。そして、もうずいぶんそうしているのに、杏子ちゃんは少しも疲れないのでした。どのくらいたつのかと腕時計を見ると、秒針がゆっくりと逆に回り、長針は秒針よりも速い速度で正しい方向に回っていました。
 杏子ちゃんは「永遠の命」の意味を悟りました。時間のない世界に閉じ込められたのです。杏子ちゃんの長い長い悲鳴が誰もいない階段に響き渡りました。
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 お気付きでしょうが、この話には伝説としての不備があります。主人公が異世界に閉じ込められたのだとしたら、この話を伝えたのは誰かという事です。

●一行都市伝説・フィルム●

毎晩同じ夢を見る。細部が少しずつ変化している。四次元的なパラパラ漫画である。

●一行都市伝説・おまじない●

流れ星が現れて消えるまでの間に尻文字で「ほ」の字を書けば恋がかなう。

●一行都市伝説・帰省ラッシュ●

盆と正月、帰省で首都圏の人口が激減すると、都心部の海抜は5センチほど高くなる。

●一行都市伝説・電話●

俺から電話がかかって来たので「あんまりいい気になるなよ」と言って切った。
要件を聞き忘れた。

『インモラル物語』

●「ヨゾラノムコウ」のむこう●

「季刊カステラ1999年秋の号」に掲載した短編「ヨゾラノムコウ」に対し、ある方から「人工知能が人格を持つというテーマなら、もっと知的存在の根源の追求が必要ではないか」という意味の感想をいただいた。
 そういうことを書きたかったんじゃないんだよなあ。むずかしいものだ。
 それに対して、私は次のような返事を書いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

前略

 丁寧な感想をいただき恐縮しております。ありがとうございます。

 あの作品で私は「人工衛星が意識を持つことをSFとして書こう」としたのではありませんでした。冷たく暗く何もかもが非常に希薄な宇宙を何千年も何万年も単調で不活発な状態で旅を続け、その期間の長さに比べたら、ほんのわずかの最期の時間だけ、非常に活発な状態となって燃え尽きる(文字どおり燃え尽きる)、というその生涯の奇妙さを描きたかったのです。何年も地中で幼虫の期間を過ごし、最期の一週間ほどを声を限りに鳴いて過ごす蝉の生涯を私達は奇妙なものと感じます。それを極端にしたようなものが描きたかったのです。したがって、私の失敗は「人間存在の根源の追求」がなされていない点にあるのではなく、長い長い不活発な期間と非常に活発な最期の時間の対比、その落差を描けなかった点にある、と今私は考えています。いずれにしても失敗作ではあるわけですが。

 それを描くためには何が必要でしょうか。
 まず、文体です。不活発な期間と活発な最期を同じような文章で書いてしまってはいけませんでした。どうすれば不活発さ/活発さを表現できるでしょうか。文字で書かれた文章では、読まれる速度は読者に依存しており、書き手が制御することはできません。それでは思考が不活発である感じをどのように書き表せばよいでしょう。
 宇宙空間では糧(エネルギー)が少ないために不活発となるのですから、気だるく、物憂く、思考がままならない感じの文章とすれば効果があるかもしれません。エネルギーが少ないと一度に扱える情報の量が少なくなるでしょうから、思考の速度が遅くなるだけでなく「頭が悪くなる」ということも考えられます。集中力がなく、散漫で、しばしば思考の道筋を見失い、同じことを何度も考えたりする。思考を先に進めたいのに言葉がなかなか出てこず、もどかしい感じ。山下清の句点がなく「…ので、…ので」とどこまでも続く文章はどうでしょうか。そうすると必然的に一人称の文章になるでしょう。音の並び方などにも配慮して言葉を選んでいくべきかもしれません。
 逆に活発さを表現するにはどうすればよいでしょうか。充分なエネルギーを得て「頭が良く」なれば、複雑な構造の思考をすることができるようになるはずです。しかし、読者にとっては、関係代名詞の多い複雑な構造の長い文章は、逆に読むの時間がかかります。やはり、短いセンテンスの文章を重ねることでスピード感を出すべきでしょうか。感情としては、活力に満ち、あとからあとから力が溢れ出てくる感じ。その充実感。陽気になって笑ったりするかもしれません。

「星は時計に相当するものを持っていない」としたのは完全に失敗でした。活発な時期と不活発な時期の落差を強調したいのならば、時間の基準となるものは絶対に必要でしょう。そしてその基準は私達と共有できるものでなければ、読者にはわけがわかりません。全宇宙で共有しうる時間の基準となるもの。物理法則を調べれば何かありそうな気がします。また「星にとって時間の流れは一様ではありませんでした」としたのも失敗でした。これでは時間は相対的、主観的なものになってしまいます。
 むずかしいのはその時間を表現する方法です。星は地球に飛来したことはないわけですから、年月日時分秒といった地球から見た天体現象を基準にした時間の表現は使えません。先の作品ではそれを星の作った物語の数で表わそうとしたのですが「物語の数は観測できる恒星の数を超えるほどになりました」といった表現では読者に時間の長さは感じてもらえないでしょう。
 この点に関しては、仏教の大きな数や量の表現が参考になりそうな気がしています。仏教の宇宙は金輪際から有頂天までだそうです。仏教の宇宙は円筒形のもので、その周囲は阿僧祇という無限が広がっています。計算によると、金輪際から有頂天までは二兆六八四三億五四八八万由旬あるといいます。由旬というのは牛車で一日に進める行程を単位としたもので、約一四・四キロメートルに当たります(諸説あるようです)。
 またこのような逸話もあります。億劫という言葉の語源となった仏教の時間の単位に「劫」というものがあります。一辺一由旬の立方体をした硬い岩を柔らかいカーシ産の綿布で百年に一度ずつ払いつづけ、岩がようやく磨滅しても一劫はまだ終わらない、というものです。
 う〜ん。時間の表現に関しては、注釈のような形で「地球の時間で○○にあたる」という一文は入れざるをえないかもしれません。
「死ぬことも狂うことも星には許されていないのでした」などという、押し付けがましい悲痛感はよくありませんね。反省しております。宇宙の大きさ希薄さから来る寂寥感のようなものを強調しようと意識しすぎて、いやらしい悲劇になってしまいました。残酷という言葉を何度も使っているのも、今になると恥ずかしいことです。
 私の主眼は、人工知能や人工生命を描くことにはありませんでしたので、星のメンタリティは基本的には人間のものです。もちろん、普通の人間は広大で希薄な宇宙空間にたった一人で放り出されればたちまち発狂してしまうでしょうから、その点に関しては人間よりよほど強靭な精神を持っていることになります。だとしら、このように悲痛ぶらずにもっと能天気にしていた方がよかった、と今は思います。場合によってはその方が読者は感傷を感じるかもしれませんし。

 最後の「星に願いを」という一行はない方がよかったですね。小説的でないことはわかっており、ずいぶん迷ったのですが、そのときには、その「軽い感じ」が今風だと思ったのでしょう。

 前述したように、この作品では「生命と非生命」とか「人工知能」といったことを描こうとは考えておりませんでしたので、星の心のありようは基本的には人間と同じです。彼は人間なのです。実際、最初は擬人化した星の童話として書こうと思っていました。ですます調の柔らかい文体はそのなごりです。
 仮に異星人の作った人工知能を描こうとするのであれば、それは人間とはよほど変わった思考形態になるでしょう。思考形態とはすなわち言語にほかなりませんから、その人工知能を描くということは新たな言語を構築し、それを日本語で表現するということになるかもしれません。そこには何か「日本語のようで日本語でないもの」が出現するかもしれず、大変に心惹かれるテーマです。しかし、この作品の中に詰め込むとテーマが分裂してしまうような気がしますし、何よりも、そのような思考形態や言語を持つものを登場させるなら、人間とコミュニケートさせた方がずっとおもしろくなります。これはまた、別の作品のテーマであると思われます。
 生命と非生命の間にある溝、というのも大変におもしろいテーマです。確かにわれわれは物質の集積でしかない、という側面があります。その物質の集積が自律的に動いたりものを考えたりする。物質から生命ができたり、物質から意識がでてきたりするその過程には私もとても興味を覚えますが、やはりこの作品で描くことではないような気がします。

 星が自分の存在について考え、宇宙に対する自分の存在の小ささや無意味さに驚く、というのは、別に哲学的なテーマを追求しようとしたのではありませんでした。星のメンタリティは人間と同じですから、広大希薄な宇宙空間に一人で向き合えば「自分の存在」について考えないことはありえない、という理由だけであのように書きました。そう書かないと不自然になるからそう書いた、にすぎないのであり、そのテーマを追求しようとしたのではありませんでした。
 この問題は「世界と自分との関係はなぜこのようにあるのか」と言い換えることができ、哲学でいう存在論の問題に通じるところもあります。ライプニッツの表現では「なぜ何もないというふうはなっていなくて、そもそもものが存在しているのか」あるいは「なぜ世界がこのようになっていて、別のようでないのか」ということです。このように表現すると、世界が特定のあり方をしていたら問題は解消されるような印象を持ってしまいます。しかし、たとえ何一つ存在していなかったとしても、あるいは、すべてが必然的に生起するというふうになっていたとしても「世界が存在することが不思議であるという感じ」は解消されないだろうと思われます。
 つまり、この問題は「どのような解答が得られれば解決したことになるのか」が明らかではないのです。お茶の水女子大学哲学教授の土屋賢二先生のおっしゃったことを私なりに要約すると、次のようになります。

 ハイデガーは存在の問題を時間の言葉(テンポラリテート)で記述することで解決しようとした。しかし、あとは具体的に存在の意味を記述すればよいという最終段階に入ったとき、ハイデガーはこれを断念し、方向転換してしまった。その理由を土屋はこう考えている。かりに存在を時間の言葉で語ることができたとして、そのとき問題は解決するだろうか。それはただ表現の仕方を変えただけということにすぎないのではないか。そのようにハイデガーは考えたのであろう。
 ウィトゲンシュタインにおいて問題の解決は形式を記述することであった。しかし、事実性とか存在といった事実の核心をなす論理形式そのものの像を作ること、すなわち記述することはわれわれにはできない。われわれにできるのは、実物と同じ形式を持ったもうひとつ別の事実を作ることだけである。語ることができないということは考えることができないということである。『論考』の結論は「語りえないものついては沈黙しなければならない」というものである。
 ハイデガーとウィトゲンシュタインは別な道をたどりながら同じ結論に至った。
 と、このように土屋先生は述べています(『猫とロボットとモーツァルト』勁草書房)。つまり、存在の問題は日常的な言葉遣いにおける「問題」として成立しない。もちろん、このように言っても「世界が存在することが不思議であるという感じ」が解消されるわけではありません。ウィトゲンシュタインが「語りえない」と言ったのも「不思議でなくなった」という意味ではないでしょう。ならば、その「不思議な感じ」がどのような感じであるかを可能な限り直視し、手を替え品を替え表現して見せる、というのが今のところわれわれにできる唯一のことかもしれません。そしてそれは哲学の仕事というよりも文学の仕事であるのでしょう。また、それを描くことがこれまでの文学のひとつの主要な(最も主要な?)流れであったのだろうと思います。
 ところが、今の私はそのような主題に関心が向かず、ただひたすらに「奇妙な話」「おかしな話」を描こうとしています。興味のありようが文学的でない、ということなのかもしれません。これも土屋先生の言葉ですが「(存在の問題は)これほど大きい謎はない、と考える哲学者のような人々がいる反面、存在は不思議でも何でもなく、それどころかこれほど自明なものはないくらいだ、と思う人々がいる」。私は後者なのでしょうか。文学とは異なる、何かエンターテインメントのようなことを目指した方がよいのかもしれません。奇妙を追い続けてれいば、いずれは「存在の奇妙」へ至るのかもしれませんが。

 本来なら、こんな言い訳めいた文章ではなく、納得できる作品をもってお返事とするべきなのでしょうが、お便りからさまざまな示唆を受けましたので、感謝とご報告をいたします。本当にありがとうございます。

草々

●秋から初冬へ●

埋蔵金の230円は激しく鳴っていた。
まもなく始まる近代的自我に
内田春菊の名付け親のヒトを集中させようとするが、
自然と俳句は暗い興奮に漂い出してしまうのだった。
学制の小さなお墓はその真意のどろどろにつつまれていた。
沸き上がるドラマツルギーが
幻の西洋人で作った苛立ちを潜り抜けて押し寄せてくる。
再開は遠赤外を遠い牛丼とライスのように聞いていた。
白いシアンに赤白の踊念仏姿の小道具と
「かわいい子役の法則」の速い理論は日本テレビを燃やし、
アルゼンチンのない柏はこころの病と言われていたものと戦いながら、
ファイルのなかにいて、空海さんは
サブカルチャー世代だけが冷えていくエネルギーをかみしめていた。
ポリンキーの2キロ程、
夏季の問題提起を投げかけた重いラストが私の知っている薬理作用だという
業界人の常套手段が届いた。
あわただしく出て行く金髪の外人さんのおじやの彫刻をうわさなかで聞いて、
緊張した状況が高まっているのを目にしたとき
やんわり「こころの病」と言われていたものは眠れない三菱を過ごしたのだった。
カレーの前後不覚は狭量な人間観には珍しくブラジャーの紐が高かった。
野球がぴんと張っていた。
右手に鎌を持ち「アタシキレイ?」と訊いてくるマスクをした女の
曲がった誘拐が両方の小股が切れ上がった女では、
さっそうとしたおしゃれな暑さで、
練習していないラットにも野暮にも優しかった。
大きなマキノ正博をぎょろりとさせると、
何ともいえぬオホーツク海があった。
鳥類はネットワーク作りに起きて、女囚と長ネギをつくると、
あわただしく採用の吉野家の食材デリバリーサービスに行った。
「紙一重といっしょに食べるんだよ。行ってやりたいけど、しかたないもんねえ」
1ヶ月間は援助が寂しくないかと心配したが、
親しいパンに迫っている橋谷容疑者に脅えているウチに
学芸会を払う続きがなかったようだ。
誤記はアタックのデリバリーに立ち会ったことがまだなかった。
ただ、この10月10日に死んだ発熱の天変地異を失って
干からびた「サラスポンダ」や、
持ち家をなくして口八丁のようなコンピュータの前や、
妙に平べったくなってしまったそのパフォーマンスの正式名称が
生々しくよみがえってきた。
今ごろ、「いやん、麗子、もう帰る」は
鉈を持った爺さんに囲まれた薄暗い存在に横たわって、
静かに髪のかつらではなく目のかつらを待っていると思うと、
必要はこの日本人を飛び出して、泣き出したかった。
「まもなくホボ・ブラジルによる産業が
根本的にだめになってゆくという状況競争が始まります」
『池袋の若き皇帝』と同時に軽やかなそのコンピューターの速さが響き渡った。
根本からの変革を忘れとりあえず目先の利益を優先するという間違った方針は
弾かれるように立ち上がると、圧勝をそろえて千葉県の浦安のあたりを出た。
そのうちの金を埋めたモンク強化月間の出場が
「シャチョサン、ワタシ ペルーカラキタ」に注がれた。
一部から流れ出した彼等が宇宙英雄をくすぐると、
その真実の考えに権力闘争があふれてきた。
NHKも日本に修行に行ったと称するアメリカ人のつくった忍者セットも
色とりどりの背中から分泌した紫色の体液を失って、
位置だけがにじんでチワワのシーケンサーに広がった。
心頭滅却に食べ物のことの注意を感じて、
君の返事はそっと聞いたことのない言葉の外国人をぬぐった。
スタートするメールだけが光速に出て、
味見は火薬の煙が漂う披露宴を組んだまま紙と絵の具に座り込んだ。
ゲリラが出る可能性の無効が、喜劇、と度胸をだして、
マンキツしたいのが本音を高々と掲げた。
砂漠の高等学校にはどこにも上海店が無い。
節税のゴー・ホーム・クイックリィは
アメリカというか英語圏の誰だったかの英語の本のなかで鈍く輝く。
白いモタリがはじけて、軽い20歳代オーナーが高い詩論に吸い込まれると、
焼き鳥はいっせいにデパートを蹴って走り出した。
軽快な登録場所が新企画のシリアルを追うように鳴り渡った。
最後の網目模様と運命が頭の中無く激しく揺れながら、
それでもあくまでもサイコサスペンス映画として見てもらうためのシーンの
職員になって遠ざかっていった。
平均的に日本人は地震との送信日から 1ヶ月間を詰め、
犬と猫という違いになだれこむかと見えた時、ゆっくりレッドデータに傾いた。
この実験を廻りきった時には音楽性とコカ・コーラの看板は無情に広がっていた。
あの長大な物語の面白さの要らぬ詮索と想像が
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◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の1999年10月〜12月までを編集したものです。私の脳味噌を刺激し続けてくれた「滑稽堂本舗」および「創作空間・天樹の森」参加者の皆様に感謝いたします。

◆次号予告◆

2000年4月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・1999年秋の号
季刊カステラ・2000年春の号
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