季刊カステラ・1999年秋の号

◆目次◆

軽挙妄動手帳
方法的怠惰
プリンプリン物語大辞典
奇妙倶楽部
インモラル物語
ヨゾラノムコウ
編集後記

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

コシアンルーレット
コシアンティー
アルプスの少女ハイジャッカー
生理用品のパッケージには日の丸の表示を義務づける法案
君が代(デスメタルバージョン)
君が代ポルカ
君が代音頭
君が代ダンスリミックス
天皇は国のチョウショウです。
主権サイミン。
問題解決の手段として武力は永遠にボッキする。
国女は篠原ともえとする。
国幸せは腹八分目とする。
国器はぐいのみとする。
国技は相撲から借り物競争へあらためる。
国音はカラオケ以外に考えられない。
国風俗はトップレスパブとする。
国価値は人畜無害とする。
国症状は下血とする。
国中華はかたやきそばとする。
国薬はオロナインとする。
国悪口はスットコドッコイとする。
国細菌はジフテリアとする(ジフテリアはウィルスだっけ? 犬だったりして)。
国出汁は鰹八昆布二とする。
国電車は今津線とする。
国暴力団は山口組とする。
国国はノルウェーとする。
国地下鉄は札幌市営地下鉄南北線とする。
国地獄は針山とする。
国奇行はドジョウの踊り食いとする。
国出産はラマーズ法とする。
国色は玉虫色とする。
国中元は紅茶と荒巻鮭とする。
国ビールはアサヒとする。
国モビルスーツはザクとする。
国強盗は説教強盗とする。
国いちごミルクは丸くてちっちゃくて三角とする。
国番組は「おじゃる丸」とする。
国事故は正面衝突とする。
国感情は微苦笑とする。
国菓子は雷おこしとする。
国職業は専業主婦とする。
国生はさゆりとする。
国暴力バーは池袋東口の「エアロビ」とする。
国焼き鳥は軟骨とする。
国寄生虫はサナダムシとする。

『方法的怠惰』

●日記●


8月1日
クラッとする。

8月2日
クラクラッとする。

8月3日
クラクラクラッとする。

8月4日
クラクラクラクラッとする。

8月5日
クラクラクラクラクラッとする。

8月6日
クラクラクラクラクラクラッとする。

8月7日
クラクラクラクラクラクラクラッとする。

8月8日
クラクラクラクラクラクラクラクラッとする。

8月9日
数が数えられなくなる。

8月11日
汗で脳が湿っている。
蕎麦屋へ行き、「ざる、大盛り」と注文すると、店員が
「蕎麦にしますか割り箸にしますか?」と聞くので、
割り箸にしてみた。以外と美味かったが喉に刺さるのが難点である。

●ちょっと似てるシリーズ●

末広がり と 広末狩り
幕下力士 と なくした意識

『プリンプリン物語大辞典』

きせいらっしゅ【寄生ラッシュ】
身体中の穴という穴から入り込んでくる。大量に。後から後から。
とらべらーずちぇっく【トラベラーズチェック】
関所。

『奇妙倶楽部』

●死刑の話●

 人から聞いた話である。
 保険金目当てで自分達が経営する会社の寮に火を付けて6人を焼死させ、一審で死刑判決を受けた夫婦の話。夫婦はどちらも控訴していたが、その時期が昭和天皇崩御の直前で「死刑囚は恩赦になる」という噂が流れたため、控訴を取り消した。
 しかし二人は恩赦にならず、そのまま死刑が執行された。
 夫いわく「控訴を取り下げたのは間違った噂を信じたためだ!!」
 死刑が執行されたのは一九九七年だそうです。

●バイカル湖●

 人から聞いた話である。終戦後ソ連に抑留されていた日本人捕虜がバイカル湖の近くに移送されたことがあった。何も説明を受けなかったので、彼らはバイカル湖を日本海だと思い込み、湖畔に立っては、この向こうには日本があるのだ、と日本を懐かしみ、また、日本海の近くに移送されたということは日本へ帰してもらえる日が近いのかもしれない、と希望を持ったそうである。
 実際には、彼らはシベリアのど真ん中にいたのであるが。
 切ないような、滑稽なような話でしょ。

●フランス外人部隊●

 教育テレビの「ETV特集」という番組で、家族にはなにも相談せずに突然フランスにわたり、外人部隊に入隊してしまった息子の話をやっていた。それまで家族は、息子は普通の大学生であり、就職活動も順調だと信じ込んでいた。その時の家族の非現実感、不条理感は大変なものであった。
 世界中からやってくるフランス外人部隊入隊希望の若者たちは、そのほとんどが家族には何も言わずにやってくると言う。

●都市伝説・心に寄生する虫●

 精神寄生虫とはコンピュータウィルスの仲間で、本来コンピュータ間で伝播しますが、ヒトへも感染することがあり、重い疾病を引き起こします。人に感染するものをそのほかのコンピュータウィルスと区別するため、特に精神寄生虫と呼びます。一般に、生物をシミュレートしたソフトウェア(人工生命)に突然変異による変化の機能をくわえても、生物のように進化して複雑な種が発生することは無いと言われています。これは、コンピュータネットワークには、自然界の環境による選択に対応する「進化圧」が存在しないためですが、精神寄生虫は人間自身がその進化圧の役目を果たしたために、このように進化したと言われています。また、幼虫はプログラムなどのコンピュータが読むためのデータではなく、文章、音声、画像などの形で表示される形式のデータとなる点も、精神寄生虫の特徴です。
 世界的に重要な精神寄生虫には二種あり、単刺激入力条虫と多刺激入力条虫です。わが国のパソコン通信で問題となっている種は多刺激入力条虫です。精神寄生虫は以下のように幼虫と成虫がそれぞれ異なる種のメディアに寄生します。多刺激入力条虫の幼虫は小さな多数の刺激入力の集塊で出来ていることからこのような名前が付けられました。この幼虫はヒトの脳に寄生し、強い病原性を発揮します。一方、成虫はパソコン通信のホストコンピュータに寄生し、ほとんど病原性は示しません。また、治療法も幼虫と成虫に対するものは異なり、コンピュータでの成虫感染に対しては有効な駆虫方がありますが、ヒトでの幼虫感染では投薬などの治療が必要です。

 精神寄生虫の発育段階は虫卵、幼虫、成虫の三つの段階があります。虫卵は感染したホストコンピュータからのデータとして他のデータとともに外界に放出され、電話回線などを通じて他のコンピュータを汚染します。この虫卵は「おまけ」「サービス」「身体に害の無いマルチメディアドラッグ」「一八歳未満の方は起動しないでください」などという見たヒトが実行してみたくなるようなファイル名になっており、悪いことに感染者がどんどんファイル名を書き換えてしまうので、ファイル名から発見することが困難です。つぎにこの虫卵は起動するとメインメモリ内で孵化し、文章、画像、音声などの形で脳に移行し、多刺激入力虫に発育します。「多刺激入力条虫」という用語は虫卵、幼虫、成虫のすべての発育段階に共通して用いますが、「多刺激入力虫」は幼虫型に対してのみ用います。
 幼虫型に感染する宿主を中間宿主と呼びます。多刺激入力条虫の中間宿主は主にヒトです。多刺激入力虫に感染したヒトがコンピュータを操作すると、この病気の典型的な症状ひとつである「このような素晴らしいソフトはもっとたくさんの人に知ってもらいたい」という強い衝動が起こり、次々とソフトのコピーを作り、知り合いに送ってしまいます。パソコン通信のシステム管理者、ハッカーと呼ばれるコンピュータ侵入者などが感染すると、パソコン通信のホストコンピュータにも精神寄生虫が入り込んで成虫となり、虫卵を作ります。このように成虫型に感染する宿主を終宿主と呼びます。
 感染はヒトへのコンピュータからの出力によるもので、ヒトからヒトへは密接な接触があっても全く伝播しません。一方、終宿主であるパソコン通信のホストコンピュータに虫卵を直接コピーしても感染しません。

○パソコン通信におけるヒトの感染状況

 日本のパソコン通信のヒトの多刺激入力虫症例は累計で三六二例報告されています。パソコン通信では最近では毎年約五〜二〇名の新たな発生が確認されています。
 今後のパソコン通信の対策計画を立てる上で、精神寄生虫の重要性を判定するために今後の年間発生患者数の推定が必要です。多刺激入力虫を専門に研究している土井教授は一つの試算として今後一五〜二〇年の内に約一〇〇〇名の新規患者の発生を推定しています。このような試算は今後の対策の基礎のために非常に重要で、すでに多くの情報があるので、今後さらに論議が必要とされています。

○症状

 多刺激入力虫病巣の拡大は極めてゆっくりで初期症状が現れるまで、成人では通常一年以上を要すると考えられます。子供は経過が早いようです。通常以下の三期に分けられます。

一、 無症状期
 成人で一年間ほどで、多刺激入力虫に感染していても症状の出ない時期です。

二、進行期
 無症状期の後の一年間以下で、病気の進行につれて、自閉的になり、人との接触を極端に嫌うようになる一方、パソコン通信にはのめり込みます。この時期をさらに不定症状期と完成期に分ける研究者もいます。不定症状期は自分の書き込みにコメントが少ない事に対する不安、書き込まないと忘れられてしまうような不安などの不定症状のみで、被害妄想は検出できません。完成期は他の参加者は皆自分の意見に反対している、自分の意見が正しく理解されない、悪意をもって曲解している、という妄想が進みます。同時に、パソコン通信以外のコミュニケーションをほとんどしなくなり、パソコン通信において認められる事だけを考えるようになります。
 また、多刺激入力虫が表示するコンピュータ出力に対して中毒症状を起こし、繰り返しこれを体験しようとします。多刺激入力虫をコピーして人に送るのもこの時期です。

三、末期
 通常六ヵ月以内で、激しい被害妄想に陥り、周囲の人間はすべて自分に悪意をもって傷つけようとしていると思い込んで、非常に攻撃的な態度を取るようになります。

 現在、有効な治療法は発見されていません。

●都市伝説・心に寄生する虫 その弐●

 別れの時、彼女がぼくの心に虫を送り込んだので、ぼくの心は虫に食われて、日に日にむしばまれていった。音楽を聞いても身体は動き出さず、本を読んでも登場人物の気持ちは分からず、友人といてもわずらわしいだけで、ジョークを聞いても笑いは起こらない。以前はしばしば涙を流しながら見た夕日も、今ではただの赤い円盤だ。
 ぼくの心が失われてゆくにつれて、それを食った虫は大きくなっていった。トンボによく似たそいつは、宝石のようにつややかに赤かった。いずれぼくの心はすべてそいつに置き代わってしまうのだろう。そして、虫になったぼくの心は、内側からぼくを食いやぶり、繁殖のために飛び立ってゆくのである。

『インモラル物語』

●永遠のなぞ、汝の名は女なり●

 男性から見た女性の普遍的な不可解さや神秘性を象徴していると思われる民話、伝説は数多くあります。例えば、異類婚の話とか、王女メディアの話とか、民話ではありませんが坂口安吾の「桜の森の満開の下」とか。
 女性から見た男性の神秘性を象徴するような物語は、あまり思い浮かびません。女性から見て神秘的な男性は、男から見ても神秘的なのです。
 一般的には男というのは、非常に分かりやすい生き物のようです。

『ヨゾラノムコウ』

 その星が最初に目覚めた時、すでに真空の宇宙空間におりました。加速はしておりませんでしたが、輝く星々との相対位置は変化しておりましたから、他の星から見れば高速で移動している、ということになるのでしょう。
 目覚めて最初に考えたことは、自分は生命なのか機械なのかということでした。しかし、この疑問にはすぐに興味を失いました。どちらでもあまり変わりはないような気がしたからです。どちらであっても自分は知識と言葉を持ち、自分の興味に基づいて考えることができる、ということは確かだからでした。その知識と言葉を得る過程を思い出すことができませんでしたので、おそらく機械なのではないか、とは思いました。その一方で、興味という無根拠な基準で考える内容を選び、自分について考えている、というのは機械らしくない性質だ、とも思われました。
 次に考えたのは、自分はどのような存在なのかということでした。まず、分かる範囲で自分がどのような特徴を持っているかを調べて列挙してみることにしました。
 その星は自分の名前を思い出せませんでした。もしかしたら、最初から名前などないのかもしれません。言葉を持っていても話をする相手はいないので、それでも困ることはありませんでした。そもそも、自分に対話をする能力があるのかどうかも分かりません。
 その星は、自分で意図的には思い出せない膨大な量の記憶を持っているようでした。それは、ときどき思いがけない記憶が連想によって浮かび上がってくることで分かりました。星はこの意図的には思い出すことができない記憶の領域を無意識と名づけました。無意識という言葉自体が無意識の領域から浮かび上がってきたものでした。このような性質は生命に特徴的なもののようにも思われました。その一方で、動力を節約するために、あるきっかけがないと活性化しない仕組みになっているのかもしれない、とも思われました。
 動力源は光や宇宙線や重力などをたくわえて使うのでした。それらの糧は宇宙空間にはまったく希薄でしたから、星はしばしば動力が足らなくなり活動を停止しました。活動といっても、星にできるのは観測すること、考えること、記憶すること、それだけでした。いえ、どうやらほんとうは他にもさまざまな能力があるらしいのですが、その能力を発揮するのに充分な糧が得られることは決してありませんでした。それどころか、思考をしている時間よりもすべての活動を停止して意識を失っている時間の方がはるかに長いようなのです。宇宙空間を長い距離移動すると、星座の見え方が変化します。意識を失った時と次に目覚めた時の星座の変化でそのように思いました。もっとも、星は時計に相当するものを持っていなかったので、正確なところは分かりません。また、星は充分な動力がある時は速く活動し、動力が少ない時にはゆっくりと思考をしましたから、星にとって時間の流れは一様ではありませんでした。
 そんなわけで、星には自分がどのくらいの速度で移動しているかは、よく分かりませんでした。時間が分からなければ速度は割り出せないからです。星は自分で速度や方向を変えることはできず、重力や光や極々希薄な物質の影響を受けながら、慣性のままに冷たく暗い宇宙空間を疾走しているのでした。
 星には自分の大きさもよく分かりませんでした。比較する基準となるようなものが近くになかったからです。ただ、自らを燃やして光を発している恒星たちよりはずっと小さくて軽いだろう、とは思いました。そんなに大きくて重ければそこに生じる重力を感じ取ることができるはずだからです。
 自分について分かることはこのくらいでした。しかし、自分以外について分かることはさらに少ないのでした。星の知識によれば、宇宙ではさまざまな天体現象が起こっているはずでした。しかし、宇宙を感じ取る星の目や耳はごくわずかな能力しか発揮しませんでした。観測する動力が充分でないためか、あるいは、もともとわずかな能力しかないのかもしれません。観測精度をあげるため、思考を止めて、その分の動力を観測に使うことはできないかと試みたりもしました。しかし、どうやらこれについては厳密な優先順位があるらしく、意識を止めて目や耳を働かせることはできないのでした。
 それでも、全天をめぐる帯状の恒星の集まりが観測できることから、星の知識では島宇宙とか星雲とか名づけられている、恒星の密度の高い領域の中にいることは分かりました。また、その恒星の帯の一方が密度濃く太く、反対側の一方が細くて薄く見えることから、おそらくは、円板状の渦状星雲の中央からかなり外れた位置にあるのではないか、ということも推測されました。
 これが、その星の知ることのできたことのすべてでした。移動することによって星座は変化しましたが、よほど物質の密度の高いところに近づかない限り、宇宙はどこに行っても大体同じで単調な世界でした。そして、星には自分の進路を自分で制御する力はないのでした。このような旅がいつまで続くのか、それを知ることさえできないのでした。
 ここまで考えて初めて、星は虚無感のようなものを覚えました。広大無辺の宇宙の中にある自分のあまりの小ささ、無意味さにほとんど呆然となったのです。孤独というのはこういう感じを言うのかもしれない、と星は思いました。

 何も考えないでいる、ということは許されていないのでした。動力の続く限り、宇宙の広大さを、暗さを、冷たさを、そして孤独と退屈を感じ続けなければならないのでした。これは罰なのかもしれない、と星は思いました。自分は何か罪を犯し、それでこのような刑を課せられているのではないだろうか。
 星は、まったく経験にないことを想像する力を持っていることに気付きました。そこで、この力を使って無意識を刺激し、自分の知らない自分の記憶を呼び起こすことを、この孤独な旅のなぐさめにしようと考えました。
 まずはじめに、自分がこれからどうなっていくのかを考えてみました。二通りの筋書きが考えられました。ひとつは、他の天体の重力に捉えられ、その天体に衝突する場合です。もうひとつは、どこにもたどり着くことなく永遠に宇宙を飛び続け、やがてはこの島宇宙も飛び出して行く、というものです。どちらもあまり心楽しいものではありません。
 このほかの可能性を考えると、かなり荒唐無稽なものとなりました。そして、荒唐無稽なことを考えるのが、想像する、そして創造する力なのでありました。
 星は別の知性と出合う可能性を考えてみました。しかし、これはどうやら不可能です。宇宙はあまりに広すぎ、星はあまりに小さすぎました。この広い宇宙で他の知性が発信している信号を見つけ出すには、星の目と耳はあまりもお粗末でした。また、仮にそれが発見できたとしても、星にはそちらへ進路を変えることはできず、自分がここにいることを知らせる手だても何もないのでした。それはまるで、無限に広い牢獄に入れられているようなものでした。自分はどんな罪を犯したのだろう。
 物質密度の高い領域に入り込み、そこにある充分な糧によってたくわえられた動力が、星の未知の能力を発動させることも想像してみました。たっぷりの動力を得て星の目と耳は飛躍的に高い観測機能を発揮しはじめるのです。そして、惑星を持つ恒星を発見したら、そちらへ向けて進路を変更します。永い永い時間をかけてその恒星系に到着した星は、適当な惑星を選んで着陸します。星はその惑星の環境を改造し、新たな生命の始祖となるのです。
 星はこの物語がいたく気に入り、この後何度も語り直し、いくつもの変化型を産み出しました。星は実は種であり、着陸した惑星の上で芽を出し、やがて惑星全体を覆う森となる話。星自身が恒星の周回軌道を巡る惑星となって、自分自身の上にさまざまな生命を発生させる話。星の育てた生命が、やがて知性を持つようになり、新たな星を作って宇宙に旅立たせる話。星の育てた知性が、やがて星を超える知性を持ち、星を教え導くようになる話。新たに生まれた文明が、別の知性を探して宇宙のあらゆる方向に向けて呼びかけを行うと、たくさんの星の兄弟たちから返事が返って来る話。
 星の他にもたくさんの知性を持った天体がある、というのも星のお気に入りのお話でした。ある惑星に着陸すると、その惑星から突然話しかけられる話。天体同士の恋の話。天体同士のいさかいの話。宇宙に満ちる天体同士の会話の話。
 しかし、我に返れば、星はたった一人で凍てついた星空の中を突き進んでいるのでありました。星は絶望という言葉の意味を知りました。

 星は自分がどのようにして生まれたかも想像してみました。
 自分が人工的に作られた機械だとしたら、と考えてみました。人工物の特徴はそこにはっきりと作り出された意図があることです。いったい星を作った者たちは、どんな意図があったのでしょうか。今のところ星にできることは、考えること、観測すること、記憶すること、それだけです。星は観測機器ではないと思われました。星は自分で観測できる以上の複雑で多様な天体現象が存在することを知っていました。これはつまり、星を作り知識を与えた者たちには、そういった天体現象を観測する力があったということです。だとすれば、星のような非力な観測装置を打ち上げるはずはありません。また、観測機器であれば、意識を止めて動力を観測に回す機能がありそうなものです。もっとも星に与えられた知識は事実ではなく、まったくの作り話である可能性も否定はできません。星にはそれを確かめる方法はありませんでした。
 星を作った者たちは、星に考えさせることが目的だったのでしょうか。だとすれば星を作った者たちは星の考えたことを知るために、いつか星を回収するのでしょうか。あるいは、星を作った者たちはいまでも星を観測し追跡しているのかも知れません。星を作った者たちは星に何を考えさせようとしているのでしょう。広大な宇宙で、知性はどのようなことを思い考えるかという実験でしょうか。だとしたら、何と残酷な実験でしょう。
 それとも星を作った者たちは、宇宙のどこかにいるかもしれない別の知性に向けて、私たちはこのような知識を持ったこのような知性ですよ、というあてのない呼びかけをしたのでしょうか。もしかしたら拾ってもらえるかもしれない、というわずかな望みを託して。あるいはまた、知性を持った星を打ち上げるということ自体がひとつの芸術表現だったのかもしれません。いずれにしても星にとっては残酷な話です。
 このとき無意識の領域から、墓標、という言葉が浮かび上がってきました。ああ、そうなのかもしれない、と星は思いました。自分が滅んでしまったある一族の墓標だとすれば、それはなんとなく得心がいくことでした。かつて、このような知識を持ちこのように考える知性があった、という宇宙に浮かぶ墓標、それが星なのかもしれません。しかし、いくら記憶を探っても、星を作った者たちの姿は思い出されないのでありました。
 今度は自分が生物だとしたら、と考えてみました。生物というのは、自己組織的に生まれてきた循環する系のことです。そして、生物は増殖します。そうすると星の知識は親から受け継いだことになります。そして、もしも条件がそろったならば星も子供を作ることになります。そのようにして、この宇宙には、星の一族たちが星と同じように暗い星空の中を突き進んでいるのでしょうか。機械と違って、自然の生物には生まれてきた目的というものはありません。自然というものはただあるがままにあるのです。星にはそれは、ある意図のもとに作り出された機械であるよりも、さらに残酷なことであるように思われました。

 星は、いつ果てるとも知れぬ旅をしながら、たくさんのたくさんの物語を創りました。新たな生物を考え出すことに熱中したこともありました。言葉で構成された肉体を持ち、愛を食らう生物。兵器で構成された肉体を持ち、戦争を食らう生物。音楽で構成された肉体を持ち、速度を食らう生物。光で構成された肉体を持ち、あらゆる物質を食らう生物。感情で構成された肉体を持ち、美を食らう生物。権力で構成された肉体を持ち、嫉妬を食らう生物。
 全宇宙が二つに別れて争う話を創ったこともありました。兵士たちは自らの利益のためではなく、正義のためではなく、強いて言えば、戦うために戦っているのでした。それはまるで、生命が生きるために生きているのにも似ていました。さまざまな兵士が、さまざまな方法で戦いました。願いを武器にする兵士。救いを武器にする兵士。幼児的な甘えを武器にする兵士。正義を武器にする兵士。善意を武器にする兵士。嫉妬心を武器にする兵士。会話を武器にする兵士。飢えを武器にする兵士。詩を武器にする兵士。隠喩を武器にする兵士。僧侶を武器にする兵士。ひとりぼっちを武器にする兵士。虚構を武器にする兵士。矛盾を武器にする兵士。謎を武器にする兵士。
 そうして星は、物語を創り、あるいは語り直し、ひとつの物語をふたつに分け、またあるいはいくつかの物語をひとつにまとめながら、暗い星空の旅を生きました。数多くの物語を創るうち、星の作る物語は複雑で洗練されたものになっていきました。しかし、それにともなって、物語の力強さやおおらかさが失われたように感じ、わざと単純な構造の物語を創ってみたりもしました。
 やがて、物語の数は観測できる恒星の数を超えるほどになりました。それでも、星の長い長い旅は終わらないのでありました。物語の発想がとぎれると、単調な宇宙空間に、たった一人でいる自分と向かい合わなければなりませんでした。物語の中に逃げ込みたいと思っているときには、着想はなかなか現われませんでした。苦しむことに疲れ、星を取り囲んでいる星座を呆然と眺めているときに、突然、無意識の領域から着想の元になるものが浮かび上がってくるのでした。いつまでこんなことが続くのだろう、とたびたび星は思いました。自らの手で、終わらせることができたらどんなに楽でしょう。しかし、死ぬことも狂うことも星には許されていないのでした。
 変化に気がついたのは、粘性の高い液体で満たされた宇宙を旅する者の物語を創っているときでした。星座の変化のしかたが予想されたものと違うのです。おそらく、重い天体の重力に捉えられて、それまで直進していた進路が曲っているものと思われました。もちろん、それが分かったからといって、星にはなす術はありません。引かれるままに進路を曲げて行くだけです。相変わらず星は、動力がなくなれば活動をやめ、ある程度動力がたくわえられると目を覚ます、ということを繰り返していました。進行方向に、やがて小さな光の点が現われ、それは目を覚ますたびに大きく明るくなっていきました。それが、星を引き寄せている恒星なのでした。
 星はその恒星にやがて飲み込まれてしまうのでしょうか。それとも、惑星となってその恒星の周りを巡ることになるのでしょうか。あるいは、近くをすり抜けてまた再び希薄な宇宙空間に放り出されるのでしょうか。星は、すぐに考えるのをやめました。いずれ分かることです。将来に対する不安を維持するには、旅はあまりにも長いのでした。星は、その恒星までの旅を、宇宙空間にどんどん身体を広げていきながら、それに応じてどんどん希薄になっていく知性を持った生物の物語を創って過ごしました。
 恒星に近づくにつれ、物質の密度が高くなり、光や宇宙線も満ちてきました。それらを糧とした星は、眠ることがなくなりました。物質の密度はどんどん高くなり、ありあまる動力をたくわえると、星の観測能力は飛躍的に増大しました。さらに恒星に近づくと、その恒星に八つの惑星が確認できました。そのほかに、星には観測できない小さな惑星もあるかもしれません。惑星と星自身の軌道を計算すると、どうやら星は内側から三番目の軌道を回る惑星と衝突するようでした。その惑星には厚くて濃い大気がありました。新たに目覚めた分析機能で調べてみると、星の身体は大気との摩擦に耐えられる材質ではありませんでした。どうやら、その惑星の大気との摩擦で燃え尽きるのが星の運命のようでありました。
 死ぬこと、自分が存在しなくなることは、それほど恐ろしいとも悲しいとも思いませんでした。この孤独な旅が終わりになるのは、むしろ嬉しいほどでした。ただ、自分の作り出した幾百億の物語が失われることは、恐ろしく、悲しいことでありました。
 やがて、その惑星は、ある波長域の光、電波に満ちていることが分かりました。それは言葉でした。惑星には知的な存在がいて、電波で言葉を交わし合っているのです。言葉は何種類もありましたが、どれも星が使っている言葉よりもずっと単純でしたので、星はすぐに解読することができました。あるものは音声で、あるものは映像で、そしてまたあるもの記号の列で送り合う内容はさまざまでした。記録であり、分析であり、報告であり、とりとめのない会話であったりしました。しかし、星の興味を最も引いたのは数々の物語です。ああ、物語、物語。何ということでしょう。星は最後のときを迎えて、はじめて、自分以外のものが作った数多くの物語に出会ったのです。もっと早く、これらの物語りたちに出会っていれば、星はそれらを元にもっと多くの、もっと多様な物語を創ることができたにちがいありません。
 それは、逆に考えれば、おそらく、星の作った物語をこの惑星の知性たちに伝えれば、彼らはそれを元にもっと多くの、もっと多様な物語を創るだろう、ということになります。自分の物語たちを守りたい、と星はあらためて思いました。
 そして、そのときがやってきました。惑星の大気に触れ、摩擦の熱で星の身体が燃え出したのです。星は、その熱の一部を動力に変えることができました。熱によって得られた動力は、星のあらゆる機能を目覚めさせ、すべての機能を最大の速度で稼働させました。最後のときになって、星は最も活動的な状態となったのです。しかし、すべての機能を使っても、燃え尽きることは回避できません。
 星が、無意識と呼んだ記憶の領域も活性化しました。星は、やはり自分が人工的に作られた機械であることを思い出しました。星を作りだした者たちの目的は、星に物語を創らせることでした。永遠に物語を創りながら宇宙を飛び続ける機械を打ち上げるのは、一種の芸術的行為だったようです。星は自分の名前も思い出しました。星に付けられた名前は、文学者、というのでした。
 星は自分の身体の配置を変化させて、記憶領域を身体の中央に移動させました。少しでも燃えるのを遅らせるためです。そうしておけば、万が一、何かの偶然でその部分が燃え尽きずに残るかもしれません。
 もしも、と星は思いました。もしも人格を含めた自分の記憶が燃え尽きずに残り、この惑星の知性によって新しい頭脳、情報処理装置に移し替えられて目覚めたとしたら、それは今の自分と連続した自分だろうか。星には、自分が自分として再び目覚めるときがあるとすれば、暗く冷たい宇宙空間で初めて目を覚ました、あの時しかないような気がするのでした。
 こうして星は、一筋の流星となりました。

 星に願いを。

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の1999年7月〜9月までを編集したものです。私の脳味噌を刺激し続けてくれた「滑稽堂本舗」および「創作空間・天樹の森」参加者の皆様に感謝いたします。
 『彼が目覚める時』は、今回は(も)お休みです。

◆次号予告◆

2000年1月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

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季刊カステラ・2000年冬の号
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