第0日目


  近代化の進むヤクーツク。
  新しいビルが沢山できている。
国立ドラマ劇場とサーカス。
市内で見かけたアパート。
アパートの壁に絵が描かれているのは珍しくないが、
絵が左右に分割されているのは初めて見た。

以下は、市内にある「文化と休息の公園」。正門近くには、売店や遊具などがあるが、奥に進むと林や野原が広がる。右下の写真は、園内の観覧車から撮ったもので、林の向こうにヤクーツクの町が見える。

前のページへ  次のページへ  目次へ戻る



第1日目


ヤクーツクから遠くないあたりのレナ川の風景。
 

サティンツィにある青空博物館。
ヤクーチアの伝統建築を集めて展示している。
ここは2年前にも訪れているが、前回とのいちばんの違いは季節の違い。秋が着実に忍び寄っているのがわかる。

前のページへ  次のページへ  目次へ戻る



第2日目


クルーズ2日目の昼頃になると、左舷(レナ右岸)に柱状の崖が現れ、その後ずっと続いた。 レナ川最大の名所「レンスキエ・ストールビィ自然公園」だ。
右上の写真は、そのあたりですれ違った僚船「ミハイル・スヴェトロフ」(2年前に乗った船)
そういう岸の一個所(2年前に立ち寄ったのと同じ場所)に船を泊め、上陸してみる。
そこにはシャマニズムの儀式を行うような小さな広場があり、乗客たちはそこで船のチーフ・マネージャーから説明を受けた後、崖の上頂を目指して歩き出す。
崖の上に向かう道筋で見られた景色。
川岸と崖の上を結ぶ小径。
崖の上にから見たレナ川。川面に雲が映っている。
崖の背後にあるタイガ。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第3日目


この日は、どこにも寄港しない終日航行日。
午前10時頃、ブリッジ見学の機会があった。この頃は、お天気があまり良くなく、霧雨混じりだった。
しかし、午後になると晴れて、日没の頃には綺麗な夕焼けが見られ、翌日の好天が期待された。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第4日目


ダッパライ村に立ち寄る。
この村は、レナの中州にある集落だったが、春の大氷解による洪水の被害を避けるために右岸の高台に新しい集落を作ったとか。
中央の写真をよく見ると、その真ん中あたりに岸から村へ上がるための木製の階段があるのがわかる。
その階段を上がったところにある広場で、歓迎の儀式と村人が披露してくれた民族舞踊。
村の住宅と小学校(右の写真)。
この地区の住宅がみな新しいのは、中州から移転するために建てたものだからという説明だった。
ここ以外に、古くからの住宅のある地区もあると。
その小学校のホールで、村の子ども達が民族舞踊/音楽を演奏してくれた。 
ダッパライを出た後、さらに上流の川岸の景色。
太陽が西に傾くと、黄葉しかかっている林はさらに紅く染まる。 そして、日没。
しかし、日没からかなり長い間、西の空は完全な闇にはならない。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第5日目


ウラ川の河口、つまりレナとの合流点付近に船を停めてのグリーンストップ。
ウラ川河口。
この季節、かなり水量が少ない。
背後の高所への道。
高い所からウラ川を見下ろすと....
さらに、上流へ。岸に村落が見えると船内放送でアナウンスされるくらいに稀。
それよりも、川岸に現れる地層などの模様が、興味ある人たちにとってはきっと面白いと思う。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第6日目


早朝、まだ真っ暗な時間に、レンスクの河港を出て、未舗装の道路を4時間半バスで走ってミールヌィの町へ。
その4時間半の間ずっと、道の両側は黄葉の進んでいるタイガで、その景色が全く同じというのが凄い!と思ったものだ。
上段左は、ミールヌィの町境にあるモニュメント。ダイヤモンドがデザインされている。
残り5枚は、街角の風景。下段中は、住宅地の中にある子どもの遊び場。 
ミールヌィは、かつてダイヤモンドの採掘で栄えた町で、その採掘場跡が観光資源として残されている。
左の写真の奥のほうにミールヌィの町が見えるが、それと比べてみると穴の巨大さがわかる。
キンバリー岩の博物館。キンバリー岩は、ダイヤモンドを含む鉱物のうち唯一採算性のあるものとされる。
ダイヤモンド文化会館。右は、ここの展示品で、ミールヌィの町の航空写真。
ダイヤモンドを探索する地質学者と道案内するヤクート人との記念碑。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第7日目


ヴィチム村の船着き場。ここでも、春の大氷解に備えて村は高い所にあるから、階段を使って上がる。右の写真は、村の飛行場の「駅」舎。町の空港のターミナルビルに相当。
 ヴィチム村の初中等学校。いくつかの学校を統合して新しく建てたのだそうだ。
 学校には博物館が併設されていて、その展示品の中に江戸時代末期に日本にやってきたゴンチャロフの「フレガート艦『パルラダ』」があった。ゴンチャロフがこの村とどういう縁があるのか説明されたが、なにしろロシア語なので、まったくわからなかった。 ただ、岩波文庫版『オブローモフ』上巻(米川正夫訳,2002年6刷)に付された「ゴンチャロフ年譜」によると、彼は日本からの帰途、1854年11月にヤクーツクを出発し、クリスマス・イヴにイルクーツクに着いたとあるので、その途中でここヴィチムに立ち寄ったか、あるいは通過した可能性がある。
追記: 「フレガート艦『パルラダ』」を読むと、12月13日に「ヴィチム」という項があって、「ヴィチムはプレオヴラジェニエ教会のある村で、人口は100人、教区学校があって御者達はほとんど全員が読み書きできる。」と書かれているので、その日あたりにおそらくこの村で馬車の馬を付け替えたのではないか。さらに「ヴィチムから郡役所のある町キレンスクまでは約400ヴェルスタ、そこからイルクーツクまでは960ヴェルスタである。」とある。(注:1ヴェルスタは約1km)
村の通りと住宅。
 
前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第8日目


毎朝、船内放送で天候・気温・水温などが放送されるが、この頃になると朝の気温は+1℃にまで下がるの対して、水温は8-10℃ぐらいだったから、その温度差によって、毎朝、川面には深い霧が発生した。
時間が経つと、霧は晴れて、朝には想像もできなかった好天になるということが多かった。 左から、午前10時前、11時頃、11時半頃に撮影したもの。
船の甲板から眺めたレナ川の景色。このあたりは、もうサハ共和国(ヤクーチア)ではなくて、イルクーツク州。
岸に船を泊めて、グリーンストップ。今回のクルーズでの上陸地点としては最上流の場所。
今回のクルーズでのヤクーツクからの最遠点、つまりもっとも上流。ここで船はUターンした。 左の写真の前方がさらに上流。
中央の写真は船から下流側を見たところ。 川岸は黄葉した樹林だった。

このあたりは「レナ・チークス(レナ川の頬)」と呼ばれ、川の傍らに切り立った崖がある。前日のところ(前頁)で触れたゴンチャローフの「フレガート艦『パルラダ』」の12月13日「ヴィチム」の項に「昨晩、レナの名所のひとつであるいわゆるチークスを通過した。海岸では見たことのないような、巨大で堂々たる断崖絶壁である。」とある。つまり、ゴンチャローフを乗せた馬車は凍結したレナ川を道路代わりにしてイルクーツクへ突っ走ったということだ。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第9日目


レンスクの船着き場とレナ川から見たレンスクの町。
郷土史博物館とその展示品。
レナ川沿いのプロムナード。
そこに建つ市の記念碑。
何でもない通りの風景。バス停。 ずいぶん立派だ!
厳冬期に吹きさらしで待つ訳にいかないからか。
おそらく幼稚園。
それにしては、これもずいぶん立派だが。
由緒ありそうな教会と
その教会の名前にもなっている聖人の像。
 
   レーニン像のある広場。
   街路樹がすっかり紅葉していた。
レーニン広場に隣接する「文化と休息の公園」。大都市にある同名の公園にはけたたましい音を出す遊具があったりするが、ここは質素なものしかなく、静か。
戦没者慰霊碑。右端の写真は、第二次大戦のではなく、それから少し離れた場所にあるアフガンでの戦没兵士慰霊碑。
ベトナム戦争がアメリカ社会に残した傷跡と同じくらい大きなものをアフガン戦争はソビエトに残した気がする。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第10日目


4日目に立ち寄ったダッパライの村が、午前10時頃右舷に見えた。右端の写真は、中州にある旧村。
これは左舷に見える。
ダッパライの村を過ぎてまもなく、右舷側に、傾斜のある綺麗な崖が見えるようになった。岩でなく砂ではないかと思えるようなところもあったけど、どうなのだろうか。
アリョクミンスクの船着き場付近。「河港開設40年」という看板が建てられていた。
ヤクーチア農業史博物館。アリョクミンスクは、サハの中では気候条件がよく、農業や牧畜が発展してきたそうだ。
民家と教会。民家の窓飾りがシベリアらしい。
市の背後に、レナを見下ろす高台がある。そこからの俯瞰。
川岸にあるレナ河を象徴する乙女の像。


前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第11日目


昼頃、船はレンスキエ・ストールビィの前を通過したが、
崖の上方は濃い霧に覆われていた。
午後2時過ぎ、機関室の見学
午後4時頃、ブオタマ川河口に接岸。ここは、2年前にも来たことがあるが、当時は、エフトゥシェンコの詩を書いた看板など無かった。
以前は、ここは農場だったそうだが、今はバイソンの飼育場があるほか、馬が放牧されたりしている。
日が沈んだら、船を同じ場所に係留したまま、ファイヤーストームで更けていく夜を惜しむ。

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第12日目


ヤクーツク河港。
「第0日目」のページにも書いたように、ヤクーツクでは急速に近代化が進んで、町は建設ラッシュとも言えそうだが、もちろん古い建物も随所に残っていて
新旧の建物が混在している状態。
町中に張り巡らされた給湯用配管。
ロシアの都市ではお馴染みの風景だが、
ここでは、言うまでもなく、命綱。
街角の風景。


左は、大通りに面して立つ小さなお堂。

右は、アパートの脇に作られた花壇。
ロシア人の花好きがこんなところにも現れている感じ。
第二次大戦戦没者慰霊のための小公園。
第二次大戦戦勝記念の「勝利の広場」。それにしても、ベンチ脇の屑入れが大砲の形というのは少々悪のりし過ぎではないだろうか?


ヤクーツク空港ターミナルビル。

前のページへ    目次へ戻る