写真で見るロシアと旧ソ連の国々
日本の隣国ロシアは不思議な国で、ある人にとっては神秘的な魅力に満ち溢れた国であるのに、別の人にとっては得体の知れぬ近寄り難い国のようです。実際、数多くのお客を彼の地へ案内している旅行会社の社員に聞くと、一度ロシアへ行った人の多くは両極端に別れる傾向があるそうです。一方は、その魅力にとりつかれてその後も繰り返し足を運ぶ人、そして他方は「ロシアだけはもう金輪際行きたくない」という人。 私はどういうわけか前者の部類らしく、1979年の暮れにバレエを見に荒れる冬の日本海をナホトカまで渡ってモスクワとレニングラード(当時)に行ったのを皮切りに、以来今日までかれこれ60回以上にわたって旧ソ連邦とロシアの各地を旅行してきました。 幸か不幸か、私がソ連・ロシアを旅行した時期は、いわゆる「停滞の時代」からペレストロイカを経て“粗野な資本主義”の時代まで、社会と人々の価値観とが大きく変っていった時で、その激変の様子を目の当たりにした三十年余でもありました。ここでは、一旅行者の目で見たその時期のソ連・ロシアの都市と自然、そしてそこに住む人々の表情を何回かにわけてご紹介しようと思います。
◆◆ 目次 ◆◆
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- 第1章 サンクト・ぺテルブルクとその郊外 (1997.3掲載/1998.4更新/2022.10一部修正)
- モスクワよりはるかに新しい町でありながら、心の故郷へ帰ってきたような不思議な印象を与える美しい町、サンクト・ペテルブルク。 300年の間に、文学,演劇,音楽,美術,建築,科学などの巨大な花を開かせた町。 そして同じその間に、建設と破壊,栄華と困窮,蜂起と弾圧,包囲と解放,革命とその崩壊,..と歴史の多様な試練をくぐりぬけてきた町でもあります。
- ■■サンクト・ぺテルブルク点描 → 運河のある風景/青銅の騎士像/「青銅の騎士」碑/ピョートルI世像/エセーニン像/アフマートワ像/リムスキー・コルサコフ像とグリンカ像 /ジェルジンスキー像/ドストエフスキー像/ゴーゴリ像/ジュコフスキー像/ネフスキー大通り/ガスチヌィ・ドヴォール/ドム・クニーギ/文学カフェ/ペトロパヴロフスク要塞/要塞監獄/ペトロパヴロフスク教会/エルミタージュ/エルミタージュ別館/聖イサク寺院/カザン寺院/スパース・ナ・クラヴィー聖堂/アレクサンドル・ネフスキー修道院/スモーリヌィ修道院/夏の庭園/マルスの広場/デカブリスト広場/宮殿広場/芸術広場/ミハイロフスキー劇場/フィルハーモニー/ロシア美術館/カザンスカヤ広場/センナヤ広場/ユスーポフ庭園/アレクサンドロフスキー庭園/ミハイロフスキー庭園/ネヴァ河畔の並木道/遊歩道/水路/水路めぐりの観光船/フィンランド湾/アストリア・ホテル/ヨーロッパ・ホテル/ホテル「サンクト・ペテルブルク」/アニチコフ橋/トロイツキー橋/透かし彫りの欄干/エカテリーナII世像/アレクサンドリンスキー劇場/サーカス/ロッシ通り/マーラヤ・カニュシナヤ通り/前世紀の雰囲気の建物/夜景/ロストラの灯台柱/軍事歴史砲兵博物館/海軍博物館/ナヒーモフ海軍幼年学校/クンストカーメラ/民族誌博物館/動物学博物館/人形博物館/ドストエフスキー博物館/お伽話劇場/コメディアン劇場/ノーヴァヤ・ガランディア/メンシコフ宮殿/タヴリーダ宮殿/サンクト・ペテルブク大学/スフィンクス/旧海軍省/旧元老院/日本領事館/中央郵便局/モスクワ駅/フィンランド駅/地下鉄駅/バスターミナル/市電 /空港/マリインスキー劇場/高等音楽院/シチェドリン図書館/キーロフ・スタジアム/「ユビレイニイ」スポーツ宮殿/街角 /子ども広場/教会・聖堂/モスク /モスクワ凱旋門/関所跡/ネヴァ川/洪水の記憶/チフヴィン墓地(ドストエフスキーの墓,チャイコフスキーの墓,グリンカの墓,ボロディンとムソルグスキーの墓,R.コルサコフの墓,ルビンシュテインの墓/ボルトニャンスキーの墓,クラムスコイの墓,シーシキンの墓,プティパの墓)/ヴォルコヴォ墓地(ツルゲーネフの墓,プレハーノフの墓,ワガノワの墓,ブロークの墓,ガルシンの墓,ゴンチャローフの墓,ベリンスキーの墓,ラジーシチェフの墓,メンデレーエフの墓,パヴロフの墓)/ニコライII世の墓/日露戦争戦没将兵の慰霊碑/冬戦争の慰霊碑 ■■十月社会主義革命の足跡 → 巡洋艦“オーロラ”/スモーリヌィ/幼時のレーニン/レーニン博物館の展示品/旧レーニン博物館前の装甲車/フィンランド駅/ケレンスキーの閣僚が逮捕された部屋/ラズリフ湖畔“緑の書斎”/レーニンの母と姉妹の墓 ■■900日の包囲に耐えて → ピスカリョフ墓地/ターニャの日記/「通りのこちら側は危ない」の注意書き/拡声器のあった所/イサク寺院に残る弾痕/道路脇のトーチカ跡/勝利の広場 ■■サンクト・ペテルブルク郊外 → 郊外の民家/レーピノ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク
- 第2章 子どもたち (1997.4掲載/2020.11一部修正)
- 子どもは世界のどこの国でも可愛いのでしょうが、ロシアを旅行すると特に子どもたちの可愛さが印象に残ります。もっとも、口の悪い人達は「その分、大人が憎らしい」などと言ったりしますけれど....
/モスクワ/ウラジオストク/ペルミ/エカテリンブルク/カリーニングラード/ティンダ/シカチアリヤン(アムール河畔)/ムルマンスク/ユルマラ(ラトビア)/ナガリク(サハ)/ヴォログダ/ノヴゴロド/オデッサ/ヤールツェボ(エニセイ河畔)/カザン/ビリニュス/オルジョニキッゼ/ペトロザボーツク/バイカル湖/シーダ(バイカル湖畔)/ポルト・バイカル/コムソモリスク・ナ・アムーレ/チクシ(サハ)/タリン/タルトゥ/テラビ(グルジア)/ヤルタ/ドゥヂンカ/ストールビィ(クラスノヤルスク郊外)/エニセイ最下流域/カムチャッカ/シベリア鉄道/チェボクサリ/サラトフ/ヴォルガ川/プリョス(ヴォルガ河畔)/コーカサス山麓/グルジア軍用道路/ブハラ/シャフリサブス/ヒワ/アシハバード/トロイツコエ(アムール河畔)/ユジノサハリンスク/アルハンゲリスク/キジ島/オリホン島/ブラワ(アムール河畔)/ボゴロツコエ(アムール河畔)/キュシュール(レナ河畔)/シクチャフ(レナ河畔)/ジガンスク(レナ河畔)/ヴィチム(レナ河畔)/レンスク(レナ河畔)/レナ川/ソロヴェツキー島/ブルダコフカ/マンドロギ/スヴィリストロイ/ヤロスラヴリ/ザポロージェ/ヘルソン郊外/ゴリツィ(ヴォルガ・バルト運河)/ベラジョールスク/クリン/クラスノヤルスク
イルクーツク/サンクト・ペテルブルク/横浜/バツーミ/ナリチク/エニセイスク/プーシキン/フィンランド湾/バクー/エレワン/ミンスク/オカ川/ハバロフスク/ハバロフスク郊外/キエフ/キシニョフ/ヤクーツク/レニングラード/ペテルゴフ/コストロマ/セヴェロバイカリスク/マリ(トルクメニスタン)
- 第3章 青天井の博物館 (1997.5掲載/2018.7一部修正)
- 川崎市にある「日本民家園」のように各地の古い木造家屋を集めて展示した施設が、あちらにも各地にあります。旅に出るようになるまで、私はロシアというのは建物を石で作るとばかり思っていましたが、じつは民間は木造家屋が主流だったのですね。何と言っても森の国ですし。こうして集められた古い民家や教会を見ていると、何か日本の家々と共通するものがあるような気がしてなりません。
- スズダリ/コローメンスコエ(モスクワ)/漁業コルホーズ「ウズバラ」(ラトビア)/ロッカ・アリ・マレ(エストニア)/ムィシキン/キジ島/コズモデミャンスク(マリ)/コストロマ/アルハンゲリスク/タリツィ/サティンツィ(サハ)/ノヴゴロド/窓飾り/ゴロジェッツ/軒下の飾り
- 第4章 馬車 (1997.5掲載/2020.4一部修正)
- ロシアといえば冬の“トロイカ”ですが、車輪のついた馬車も健在。むしろ、馬橇は観光用のものしか見たことがありません。たぶん、私が観光地ばかりを歩いていて人々の地道な生活の場をきちんと見ない、そんな旅行をしているせいでしょうね。
- 荷馬車/結婚式へ行く馬車/結婚式を終えて/消防馬車/観光用の馬車/観光用の橇
- 第5章 シベリア鉄道で西へ (1997.6掲載/2020.10一部修正)
- シベリアの大地を1週間かけて走り抜ける鉄道の旅。誰でも一度は憧れる旅ではないでしょうか。それとも「『憧れる』なんてとんでもない!1週間も乗りっぱなしでは退屈この上ないじゃない。」と思ってらっしゃいますか?それが不思議なことに何度乗っても退屈することなんか全然ないのですよ。
- ウラジオストク/ウスリースク/ルジノ/ヴャゼムスカヤ/ハバロフスク/アムール川/車窓の風景(草原)/ベロゴルスク/マグダガチ/スコヴォロジノ/エロフェイ・パヴロヴィチ/チェルヌィシェフスク・ザバイカリスキー/カルィムスカヤ/チタ/ウラン・ウデ/イルクーツク/旅は道連れ/エニセイ川/クラスノヤルスク/ノヴォシビルスク/車窓の風景(オビ河畔の農地)/エカテリンブルク/ペルミ/カマ川/ヤロスラヴリ/ヴォルガ川/ニジニ・ノヴゴロド/ボゴリューボヴォ/ウラジーミル/セルギエフ・パッサート/モスクワ
- 第6章 クリミア半島 (1997.7掲載/2022.7一部修正)
- 黒海に突き出たクリミア半島、とりわけその南岸は変化に富んだ地形と温暖な気候で古くからロシアの人々によって保養地として利用されてきました。厳しい寒さと単調な大森林や大平原の中に住むロシア人にとってここが憧れの地であろうことは双方の土地を比べてみるとよくわかる気がします。ソ連時代、モスクワっ子にとって、夏の休みにクリミアなど黒海沿岸に行って肌をちょっと黒めに焼いて帰ってくるのはステイタスを自慢することになったんだそうです。
- ヤルタ(燕の巣,リバディア宮殿,アルプカ宮殿,チェーホフの家,裏通り,ヤルタ港,海岸通り,公園,教会の塔,黒海を望む,葡萄畑と黒海,薄暮と夜景,森と湖)/フォロス/セワストーポリ(入り江,モニュメント,海に面したゲート,海港,軍港,大通り,裏通り,ナヒーモフ像,レーニン像,入り江を望む,ウラヂーミル教会,黒海艦隊博物館,臨海公園,堡塁跡,ジオラマ館,遺跡)/バフチサライ/シンフェローポリ郊外
- 第7章 ベラルーシ (2001.2掲載/2021.6一部修正)
- ロシアとヨーロッパのはざまに位置し、歴史の過酷な試練にさらされ続けてきた小国ベラルーシ。ソ連が崩壊した後も、長く続く独裁者の圧政によって人々の呻吟と抵抗がやみません。
- ミンスク(旅客駅,駅前広場,勝利の広場,独立広場,レーニン像,聖シメオン・ヘレナ教会,長崎の鐘,街角,モニュメント,聖霊大聖堂,事故犠牲者慰霊碑,アフガン戦争戦没兵士慰霊碑,バレエ・オペラ劇場,地下鉄駅,トロエツカヤ旧市街区,ヤゼル・ドラズドヴィチ像,ロシア社会民主労働党第1回大会会議場)/ミール城/ネスヴィシ城/ハティニ/チェルノグラディ/ゴメリ/ブレスト(市創建1000年,要塞,ブレスト講和締結地,中央駅,ドラマ劇場,教会,市場,子どもたちの像,ホテル,街角)/ブレスト郊外/国境
- 第8章 モスクワ名所案内 (1997.9掲載/1998.2更新/2022.1一部修正)
- ロシアの首都モスクワは、その名が初めて文献上に現れて以来1997年で850年になるということで、その年の9月に850年祭を盛大に祝いました。そのモスクワの名所を「観光案内」風にご紹介してみます。
- 赤の広場/レーニン廟/クレムリンの壁(片山潜の墓)/グム/ワシーリー寺院/ミーニンとポジャルスキーの像/ロブノエ・メスト/歴史博物館/ホテル「ナツィオナーリ」/ホテル「ウクライナ」/ホテル「ロシア」/公園「ザリャーディエ」/クレムリン/クレムリン内の教会群/武器庫/鐘の王様/大砲の王様/中心部鳥瞰/道路元標/アレクサンドロフスキー庭園/マネージナヤ広場/マネージナヤ広場(マースレニッツァ)/ルビャンカ広場/キタイ・ゴーラド/暗殺現場/勝利の公園/凱旋門/ボロジノ戦闘パノラマ館/バリケード型のモニュメント/ゴーリキー公園/コローメンスコエ/コローメンスコエ(マースレニッツァ)/ツァリーツィノ/十月50周年記念公園/オリンピック村公園/イリィンスキー辻公園/街角の風景/ライオンの像/教会とお堂/郊外の団地/モスクワ・シティ/オスタンキノ/ВДНХ/動物園/植物園/モスフィルム/製菓工場/トヴェリ通り/カリーニン通り/アルバート通り/クトゥーゾフ大通り/寒暖計のネオンサイン/ツム/ディェツキー・ミール/ペレストロイカの風/レーニン像/マルクス像/エンゲルス像/ユーリー・ドルゴルーキー像/クトゥーゾフ像/バグラチオン像/チャイコフスキー像/ゾルゲ像/ジューコフ像/プーシキン像/マヤコフスキー像/ゴーゴリ像/オクジャワ像/ガガーリン像/ウラジーミル大公像/ゾーヤ・コスモデミャンスカヤ像/ノヴォヂビチ修道院/ダニーロフ修道院/カザン聖母聖堂/救世主キリスト大聖堂/プーシキン美術館/トレチャコフ美術館/現代史博物館/モスクワ防衛博物館/露天彫刻美術館/トルストイ博物館/ゴーリキーの家博物館/鉄道博物館/ボリショイ劇場/マールィ劇場/モスクワ芸術座/プーシキン・ドラマ劇場/ワフタンゴフ劇場/高等音楽院/チャイコフスキー・コンサートホール/ラフマニノフ・コンサートホール/動物劇場/サーカス/レーニン図書館/モスクワ大学新館/モスクワ大学旧館/単科大学/モスクワ川/モスクワ川ミニクルーズ/ルジニキ・スタジアム/セブ/ホワイトハウス/国家院(下院)/シャンペン工場/石細工の工場/「クロコヂール」編集部/「イズベスチャ」本社/イタル・タス通信社/電報局/韓国大使館/日本人学校/蚤の市/地下鉄駅/鉄道駅/河港/空港/星の街/ゴールキ・レニンスキエ
- 第9章 年賀はがき,他 (1997.10掲載/2016.12一部修正)
- ブレジネフのソ連時代、我々外国人旅行者がまず驚いたのは、パン屋といい肉屋といい、どこでも必ずと言っていいほど長い行列があることでした。そんな時代にあってほとんど唯一供給が需要を上回っていたのが年賀はがきだったのです。いえ、私がそう言っているわけではありません。当時ソ連大使館広報部から発行されていた「今日のソ連邦」という雑誌にそう書いてあったのです。でも、図柄の素敵なのも少なくなく、何よりも価格が安かったので私は現地で大量に買い込んでは、日本へ帰ってから子ども達への年賀状として使ったものです。
- モスクワ・クレムリン/グジェリ陶器/平和を訴える/冬の森/小鳥とチョウザメ/子ども達のために/おとな達にも/ザルービン氏作品集/森の動物たち/封書用ニューイヤー・カード/クリスマスカード兼用/新生ロシアの官製年賀はがき/官製クリスマスカード/封書用私製クリスマスカード/バースデーカード/グリーティングカード
- 第10章 母なるヴォルガ (1997.11掲載/2020.9一部修正)
- モスクワの北西のバルダイ丘陵に源を発し、はるか南のカスピ海まで3500km以上を流れる大河ヴォルガは、その位置と豊かな水量と全体を通じての緩やかな勾配から、古くからロシアの人々にとって、農業・漁業・交通・エネルギーをはじめ美術や音楽に至るまで、それこそ文字通り「母なる川」だったのです。そのヴォルガに沿って岸辺の町々をご紹介してみようと思います。
- トヴェリ/モスクワ/モスクワ運河/ドゥブナ/川岸の風景(1)/カリャージン/ウグリチ/岸辺の教会/ムィシキン/リビンスク貯水池/リビンスク/ツターエフ/トルグスキー女子修道院/ヤロスラヴリ/コストロマ/プリョス/キネシマ/チカロフスク/ゴロジェッツ/ニコラ・クリューチ/ニジニ・ノヴゴロド/オカ川/濃霧/マカリエフ/コズモデミャンスク/チェボクサリ/マリインスキー・パッサート/コズロフカ/スヴィヤシュスク/カザン/チーストポリ/ニジネカムスク/エラブガ/ニジニャヤ・カマ国立公園/ナベレジヌィエ・チェルヌィ/カマ川とその岸辺/チャイコフスキー/ヴォトキンスク/ボルガル/ウリヤノフスク/トリヤッチ/サマーラ/閘門/川岸の風景(2)/ヴィンノフカ/鉄橋/夜の閘門/ウソフカ/サラトフ/小舟/太陽と月/ヴォルゴグラード/ヴォルガ・ドン運河/イリヨーフカ/ドン川/コンスタンチノフスク/ドン川の岸辺/ドン川の閘門/スタロチェルカッスク/ロストフ・ナ・ダヌー/アストラハン
- 第11章 化学者メンデレーエフ (1997.12掲載/2005.3一部修正)
- 高校生のときに誰もが習った元素の周期表で知られるD.I.メンデレーエフは、日本の高校化学の教科書に登場する唯一のロシア人でしょう。このメンデレーエフの生きた足跡がサンクト・ペテルブルクに残されています。
- メンデレーエフ像/建物の壁に書かれた周期表/ペテルブルク大学/メンデレーエフ博物館/手書きの周期表/墓
- 第12章 バルト三国今昔(いまむかし) (1998.1掲載/1999.2更新/2016.7更新)
- ずいぶん以前、まだソ連に行き始めの頃のことですが、あるときロシア人のガイドと話していてバルト諸国のことが話題になりました。すると彼は「あそこは、反ソ感情が強いから」と言うのです。事情を何も知らなかった私は「おいおい待てよ。『反ソ』って言ったってあそこはソ連じゃないか?」と思ったものです。ゴルバチョフのペレストロイカがやってくると15の連邦構成共和国の中で最も早く独立の声を上げたバルト三国、それには私たちのはかり知ることのできないような厳しい歴史の背景があったはずです。今から約30年ほど前のソ連時代のもの、独立後しばらく経ってから撮影した写真、それに比較的最近旅行した時の写真とをご覧いただきます。
- ■■ソ連時代のバルト三国 → ビリニュス/トラカイ城/沿道の農村/国境/リガ/サラスピルス/ユルマラ海岸/漁業コルホーズ/タリン/ロッカ・アリ・マレ ■■独立後のバルト三国 → ビリニュス(ゲディミナス塔,国会議事堂,バリケード,積み石,慰霊碑群,アンタカルニス墓地,ソ連兵の像,自動車道路,郊外の団地,鉄道駅,オペラ・バレエ劇場,大学,教会,通り)/カウナス(カウナス城,旧日本領事館,通り,広場)/国境/リガ(自由記念碑,石碑,広場,教会,石畳の道,城壁と塔,街角,ユーゲントシュティール建築)/タリン(街並,通り,太っちょマルガレータ,市役所,大聖堂,タリン港,日本大使館) ■■21世紀のバルト三国 → ビリニュス/トラカイ/カウナス/シャウレイ近郊/ピルスルンダーレ/リガ/タルトゥ/沿道の農村/タリン
- 第13章 はるかなるシルクロード (1998.3掲載/2008.8更新/2018.8一部修正)
- ソ連邦崩壊の直後に書かれた日本のある新聞記事によると前章のバルト諸国とは逆に「連邦構成15共和国中、最も“不本意な”独立を遂げた」とされる中央アジアですが、古来よりシルクロードの要衝として幾多の興亡を繰り広げてきた深い歴史を持つ国々としてよく知られています。ほんとうに“不本意”だったのかどうかは知りませんが、その中央アジア諸国のうち旧ソ連邦の南側の国境に近い地域を私が訪ねた1991年暮れには既に独立国としての確かな一歩が踏み出されている気がしました。この章ではさまざまな古い遺跡を中心にご紹介します。
- ■■ウズベキスタン → タシケント/サマルカンド/州境/シャフリサブス/テルメズ/ブハラ/ウルゲンチ/ヒワ/キジルクム砂漠/アムダリア川 ■■タジキスタン → ペンジケント ■■トルクメニスタン → アシハバード/ニサ/アナウ/メルブ
- 第14章 サハリン島 (1998.4掲載/2006.11更新/2021.3一部修正)
- 函館からの飛行機がオホーツク海に出て数十分後にはもうサハリン島の上空で着陸態勢に入ります。ドア1枚隔てた隣のお宅のような土地サハリンの春と夏の表情です。
- ■■春のサハリン → ユジノ・サハリンスク(市街,劇場,郷土博物館,戦没者慰霊碑,教会,日本製車両,花屋,物売り)/コルサコフ(港,駅,コルサコフ像) ■■夏のサハリン → 島の南岸/ユジノ・サハリンスク(街角,サハリン鉄道本社,鉄道駅,駅前広場,郷土博物館,美術館,国際劇場センター,チェーホフ像,チェーホフ『サハリン島』文芸博物館,樺太神社跡,市場,公園,ガガーリン公園,展望台,ロープウェイ,勝利の広場,歴史公園『ロシア』,教会,幼稚園,空港)/コルサコフ(市役所,郷土史博物館,街角,丘の上の住宅群,市内俯瞰,港,サハリン残留韓国人記念碑)/ドリンスク(鉄道駅,街角,王子製紙落合工場跡)/スタロドゥヴスコーエ/オゼロ・レビャジエ/ブズモーリエ(鉄道駅,海沿いの集落,神社跡)/ホルムスク(街角,海港,戦没者慰霊碑)
- 第15章 コーカサスを越えて (1998.5掲載/1998.9統合/2005.8更新/2019.12一部修正)
- 黒海からカスピ海にかけて5000mにも及ぶ高さの山々が連なるコーカサス。それは果てしのない平原と起伏のない森ばかりを見ているロシア人にとって、きっと別世界のようだったでしょう。プーシキン、レールモントフ、トルストイ、イッポリート・イワーノフなど多くの作家や音楽家、画家などがコーカサスに魅了されていることからもそのことが想像できます。 また、このあたりは多くの民族が入り混じっていて、古くから交易も盛んなかわりに紛争も絶えない地域でした。「片手に剣、片手に盃」というのはこの地方の人々にとってまさに実感だったのでしょう。
- ■■ロシア → ピャチゴルスク/山麓の青空市場/ナリチク/渓谷/コーカサスの山々/オルジョニキッゼ ■■グルジア → カズベキ/グルジア軍用道路/アナヌリ/ムツヘタ/トビリシ(メテヒ教会,ナリカラ城趾,市街,ルスタヴェリ広場,ルスタヴェリ大通り,自由広場,街角,バルコニーのある家,鉄道駅,クラ川,城壁の跡,シオニ教会,ジナゴーグ,オペラ・バレエ劇場,動物園,サーカス,トビリシ貯水池)/テラビ/ゴリ/ツハルトゥヴォ/クタイシ/バツーミ(市街,イルカ,植物園,ツィヒス・ジリ遺跡,黒海) ■■アルメニア → アルメニア北部地方/ハフパット修道院/セヴァン湖/ガルニ/ゲガルト/エレワン(共和国広場,国立美術館,大虐殺のモニュメント,サハロフ像,芸術家の像,マテナダラン,黄昏)/リプシマ/エチミアジン/ガイヤネ/ズワルトノツ/ホルヴィラップ修道院跡 ■■アゼルバイジャン → バクー(海に面した市街,旧キーロフ公園,フレームタワーズ,テレビ塔,殉教者の小径,ケーブルカー,乙女の塔,城壁,イチェリ・シェヘル,シルヴァンシャー・サライ,キャラバンサライ,街角,海岸公園,辻公園,ヘイダル・アリエフ・センター,言語大学,市場,絨毯屋,絨毯博物館,鉄道駅,地下鉄駅,空港ビル)/バクー郊外(拝火教の寺院,油田,ヤナル・ダグ,ゴブスタン国立保護区周辺,泥火山,ゴブスタン国立保護区)
- 第16章 バイカル湖のほとり (1998.6掲載/2016.10更新)
- ロシア民謡にも歌われてあまりにも有名なシベリアの湖バイカル。その深さは世界一で、地球上の淡水の5分の1がこの一つの湖に貯えられているといわれます。透明度もおそらく世界一。固有種の藻や小海老が水を浄化する働きをしているそうです。広さも、淡水湖としてはロシアで最大、日本の琵琶湖の50倍近く、九州の面積の85%以上にもなります。私が訪ねたのはその広大な湖のほんの隅っこにすぎません。
- 湖面/湖上を行く船/リストビャンカ/バイカル/トルスティ岬/ペスチャナヤ湾/シーダ/サルマ/オゴイ島/オリホン島/ソロンツォヴォ岬/ズメイナヤ湾/ダフシャ/セヴェロバイカリスク
- 第17章 ウクライナとモルダヴィア (1998.7掲載/2004.1更新/2021.12一部修正)
- ロシアに比べたら穏やかな気候と肥沃な黒土とに恵まれて旧ソ連の穀倉の役割を果たしたウクライナ、そしてそれに隣接するモルダヴィア(モルドヴァ)の風景です。
- キエフ(シンボル,祖国の母の像,キエフ市創始者の像,ウラヂーミル大公像,黄金の門,独立広場,道路元標,外務省ビル,街角の風景,フレシャチク大通り,大祖国戦争のモニュメント,アフガン戦没者慰霊碑,キエフ大学,オペラ・バレエ劇場,サーカス,フィルハーモニー,国際文化芸術センター,市立教師会館,「ディナモ」スタジアム,鉄道駅,空港,民族楽器,シェフチェンコ公園,シェフチェンコ像,フメリニツキー像,ブルガーコフ像,歩行者天国,並木道,緑深いプロムナード,植物園,広場,レーニン像,農業集団化犠牲者慰霊碑,聖オリガ像,ロシアとウクライナの友好の碑,ケーブルカー,公園の石像,ペルシャ猫パンテレイモンの碑,地下街,ルィノック,レストラン,ペチェルスカ修道院,ソフィア寺院,アンドレイ教会,アンドレイ教会周辺,ミハイロフスキー修道院,ウラヂーミル教会,教会跡,イコン)/ドニエプル川/道路/コーヴェリ/クレヴァニ郊外/リヴネ(街角の風景,オルガン&室内楽ホール,アカデミー音楽&ドラマ劇場,ホテル「ウクライナ」,教会,「ユーロマイダン」の記憶,国旗の色の鉄柵,子ども鉄道)/オデッサ(オデッサ港,ポチョムキンの階段,リシュリュー像,エカテリーナII世像,オペラ・バレエ劇場,街角,裏通り,鉄道駅,並木道,広場,白い柱廊,小公園「古いオデッサの一角」,シェフチェンコ公園,市立公園,通りの風景,パッサーシュ,土産物屋,大聖堂,戦艦ポチョムキンの碑,永遠の炎,チェルノブィリ犠牲者慰霊碑)/ザポロージェ/ヘルソン/ドニエプロペトロフスク/ウクライナの農村/向日葵畑/葡萄畑/モルダヴィアの農村/オルヘイ・ヴェチ/ワイナリ−/キシニョフ(通り,街角の風景,ホテルから眺めた街の様子,道路元標,共和国議会,大統領官邸,市役所,オルガンホール,プーシキン像,ステファン・チェル・マーレ像,商店街,物売り,ナスレテア大聖堂,空港,噴水)
- 第18章 モスクワ郊外の夕べ (1998.8掲載/2021.9一部修正)
- 「黄金の輪」と呼ばれる古都群をはじめ、モスクワ周辺の有名無名の町や村をご紹介します。モスクワの町を一歩離れると、そこには話に聞いていたロシアの原風景が広がります。
- 郊外への道/ウラヂーミル/ボゴリューボヴォ/スーズダリ/キーデクシャ/ヤロスラヴリ/セルギエフ・パッサート/トヴェリ/クリン/トゥーラ/ヤースナヤ・パリャーナ/オリョール/コロムナ/リャザン/カシーモフ/ムーロム/パーヴロヴォ
- 第19章 セーヴェル 〜 ロシアの北 (1998.9掲載/2019.1一部修正)
- ロシアといえば北の地という印象なのに、その中でもまた北の地域。冬には昼間がほんの数時間しかないとか気温が零下30度にも下がるという所です。しかし豊かな森林資源や漁業資源を背景に古い時代から人々の営みがありました。
- ヴォルガ・バルト水路/ゴリツィ/キリーロフ/ベーロエ湖/ベラジョールスク/コヴジャ川/ヴィテグラ/オネガ運河/オネガ湖/キジ島/マンドロギ/スヴィリストロイ/スヴィリ川/スヴィリ川河口/ヴァラアム島/ネヴァ川/ペトロザボーツク/白海・バルト運河/ナドヴォイツィ/ベロモルスク/ムルマンスク/鉄道沿線の村々/アルハンゲリスク/ソロヴェツキー島
- 第20章 平和を祈る (1998.10掲載/2022.3一部修正)
- さきの大戦で戦勝国側の一員だったとは言え、ソ連は他の国々とは比べものにならないほどの戦争被害を受けました。ことに戦争で亡くなった人の数は2千万ともそれ以上とも言われています。戦後の復興も敗戦国の日本以上に困難だったという面もあります。それだけに、為政者の思惑がどうであれ、人々の中には平和を心から願う気持ちが強い筈ですのに....。
- モニュメント(ヴォルゴグラード,レニングラード,コーカサス北麓,サラトフ,ウグリチ)/陣地跡(オデッサ郊外)/要塞跡(ブレスト)/収容所跡(サラスピルス)/工場跡(ヴォルゴグラード)/埋葬記録(レニングラード)/永遠の炎(スズダリ)/永遠の炎を守る(オデッサ,キエフ,イルクーツク,ハバロフスク,ブレスト)/戦没兵士の記憶(コムソモリスク・ナ・アムーレ,ムィシキン,ベラジョールスク,ウラジオストク,サマーラ,ハバロフスク,カリーニングラード)/横断幕(キエフ)/ポスター(ハバロフスク)/街頭活動(ハバロフスク)/連帯(リガ)/ヴァフタ・パーミチ(ヴォルゴグラード)/日本人墓地(ハバロフスク,イルクーツク,リストビャンカ)/戦没者慰霊碑(ナリチク,ヴォログダ,ミンスク,ハバロフスク)
- 第21章 人々 (1998.11掲載/2021.12一部修正)
- ロシアに幾度も行くようになって、どうしてロシアばかりにそう度々行くのかとよく聞かれます。自分でもひと言では答えにくいのですけれど、はっきり言えるのは旅先で出会った人々との関係で不愉快な思いをしたことが殆ど無いことです。無類のお客好き、おせっかいとも言えるほどの親切、そして日本ではもう3-40年も前に失われてしまったような純朴さ、..そんなものにひかれてつい何度も足を運んでしまうのかもしれません。
- 歓迎/ガイド/通訳/運転手/車掌/ウェイトレス/客室係/船員/船長/船のチーフ・マネージャー/船の受付係/歌舞団員/バラライカ弾き/バヤン弾き/踊り手/船客/読書する女性/鍵番/売り場係/堂守/聖職者/祈る人/祝福を受ける人/鐘撞き/デザイナー/製パン職人/露天商/ワイン醸造家/ソムリエ/左官/花に水をやる人/花を買う人・売る人/コルホーズ長/工場長/仕立屋/ピロシキ売り/売り子/農婦/猟師/老闘士/生物学者/ロシア語教師/大学教師/音楽教師/幼稚園長/編集長/学芸員/自然公園管理人/植物園ガイド/調理員/旅行会社社員/ペンション・オーナー/音楽家/兵士/警官/小荷物係/青年/カップル/カップル風/新婚の夫妻/釣り人/民族衣裳を着た娘さん/民族衣裳を着ての歓迎/手芸をする女性/チェスをする男性/犬を連れた奥さん/父親/父と子/学生/師弟/生徒/少女/ハイカー/店番/見知らぬ人/別れ
- 第22章 極東とシベリア (1998.12掲載/2021.12一部修正)
- ロシアというとモスクワとかあちらを頭に浮かべがちですからずいぶん遠い所とつい思ってしまいますけれど、サハリンは別にしても、日本海のすぐ向こう岸がロシアなのです。飛行機でならほんの2時間、船でも一昼夜もあれば着いてしまう文字通りの隣国です。その中でも日本から「片道5時間」以内の極東と東シベリアの表情をお伝えします。
- ナホトカ(ナホトカ港,鉄道駅,姉妹都市の碑)/ウラジオストク(遠景 ,港 ,湾内,鉄道駅 ,空港,ルースキー島連絡橋 ,岸辺のプロムナード,レーニン像,イリヤ・ムロメッツ像,キリルとメフォディの像,セルゲイ・ラゾ像,ムラヴィヨフ像 ,エレノア・プレイ像,ウラジーミル・ヴィソツキー像,ニコライ記念門,博物館,戦没者慰霊碑 ,ケーブルカー ,ДВГУ ,教会 ,小さな公園,中央広場,街角 ,フォーキン提督通り ,アムール湾 )/ハバロフスク(広場,ハバーロフ像,ムラヴィヨフ像,ハバロフスク発祥の地,プーシキン像,通り,高層住宅など,坂道,街角,人工池,河畔の公園,内戦のモニュメント,教会,建物,音楽劇場,サーカス,木立ち,アムール川,スタジアム,日本人墓地,慰霊公苑,ダーチャ,ダーチャ村,子ども達のキャンプ施設)/イルクーツク(アンガラ川にかかる橋,街の風景,ショッピングモール,科学実験博物館,図書館と博物館,歴史博物館,学校,幼稚園,子ども鉄道,市場,露店,冬景色,オベリスク,河畔の記念碑,ヴァンピーロフ像,イルクーツク市の創設者像,レーニン像,レオニード・ガイダイ像,ピョートルとフェブロニア像,バイカルあざらしの像,永遠の炎,アンガラ川,川岸,モスクワ凱旋門,内務省殉職者慰霊碑,造船所,鉄道駅,市電,キーロフ公園,公園,文化と休息の公園,公園に置かれたベンチ,歩道に置かれたベンチ,彫像のある広場,金沢通り,デカブリストの家,デカブリスト記念碑建設予定地,キーロフの隠れ家,ドラマ劇場,スタジアム,日本人墓地,修道院,美術館,サーカス,フィルハーモニー,ホテル,消防署,朝,並木道,教会,民家,郊外の村,郊外のタイガ)
- 第23章 お土産 (1999.1掲載/2019.9一部修正)
- ロシアやその他の旧ソ連各地で買ったり贈っていただいたりしたお土産の数々です。「モスクワ饅頭」とか「キエフ羊羹」とかはありませんけど、その土地土地の風土が育んだ素朴なものが多いのが特徴です。もちろん写真は現地で撮ったものではなく、デジタル・カメラを使って我が家で撮影したものです。
- 人形(マトリョーシカ,ロシア,ウクライナ,ウズベキスタン,チュバシ,サハ,グルジア,カムチャッカ,北方地方,リトアニア,ロシア[壁掛人形],ロシア[布製の人形],ベラルーシ)/藁製品(帽子,トレー,小箱)/サモワール/木の製品(鶴,小熊,寄木の小箱,白樺細工の小箱,壁掛け,匙,柄杓,木製のトレー,メモ留め,書見台)/塗りもの(ホフロマ塗り,パレフ塗り風の絵,ブローチ,木馬のミニチュア,復活祭の卵,台所用の木板)/石の加工品(孔雀石,ネフリート,琥珀)/焼きもの(小皿,グジェリ陶器,素焼きの人形,素焼きの鶏,料理用の壺,笛,飾り皿,小さな壺)/ガラス製品(白鳥,花瓶,愛の形,泡の芸術)/金属製品(鋳物,チェカンカ[銅の打ち出し細工],真鍮製のトレー,花柄のトレー,飾り匙,国旗をデザインした匙,灰皿)/布製品(プラトーク,民族模様の刺繍,リネン,ヴォログダ・レース,中央アジアの帽子,ぬいぐるみ,壁掛け,国旗のミニチュア,干支)/動物製の品々(皮革製表紙の手帳,壁掛け,先住民の工芸品,牙細工,角製の置物,根付風のキーホルダー,マンモスのキーホルダー)/遺跡の木片/キーホルダー/バッジ/絵(小さな油絵,砂で描いた絵,小石を貼った絵,壁掛け,自筆の絵)/写真/蓮の実/石/ロウソク/花束/CD/マグネット
- 第24章 市場 (1999.2掲載/2020.1一部修正)
- 観光でよその土地を訪れたとき、その土地の人々の生活のにおいをいちばん感じることができるのはきっと市場でしょう。だから外国へ行くと市場に寄るのが好きという人は多いはずです。私もその一人ですが、あちらの人々には写真を撮る時はきちんと身なりを整えてという考えが強くあるようで、作業着や普段着で写真を撮られることをあまり好みません。そのため、ちょっと腰の引けた写真になってしまっているのが残念です。
- リガ/タリン/サマルカンド/ヒワ/ウラジヴォストーク /イルクーツク/エニセイスク/ドゥヂンカ/バクサン渓谷(北コーカサス)/コストロマ/ムィシキン/リャザン/エレヴァン/カヘチア/テラビ(グルジア)/ユジノサハリンスク/ブズモーリエ/ニコリスコエ(ヴォルガ河畔)/モスクワ/ハバロフスク/スズダリ/ヴォログダ/ベラジョールスク/バクー/プリョス/エリゾヴォ(カムチャッカ)/カリーニングラード
- 第25章 クレムリン (1999.3掲載/2020.11一部修正)
- 「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、その町々の聖俗の権力機関・行政機関の置かれた中心地でもありました。ですから、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンそのものやあるいはその跡が今でも残されているところが少なくないのです。
- モスクワ/ノヴゴロド/ニジニ・ノヴゴロド/カザン/リャザン/コロムナ/トゥーラ/アストラハン/プスコフ/ヴォログダ/スズダリ/コストロマ/ベラジョールスク/ウグリチ
- 第26章 看板,広告,スローガン (1999.4掲載/2022.2一部削除/2022.6一部修正)
- 街の通りやその他の場所で見る看板や広告の写真を意識的に撮ってきたわけではありませんが、今になって手元にあるネガの中からこうして並べてみるとこの三十年余の間の社会の変化が垣間見える気もします。
- 屋上のスローガン/大会準備/劇場の広告/演奏会案内/オペラの広告/商店の看板/西側のチェーン店/野球試合のポスター/地震被災者の救援/独立運動/万国の労働者、団結せよ!/チェルノブィリ子ども基金/チェルノブィリ・ツアー/大統領選挙/新しい市名/古い市名/ペレストロイカ/政党の看板/消されたレーニンら/制限時間/営業時間/モスクワ850年祭/赤十字の看板/日本文化への関心/日本観光のお誘い/日本料理店の宣伝/日本料理店の看板/店名/アイスクリーム販売車/遺跡案内/車窓の注意書き/エコマーク/環境保護/求人広告/有朋自遠方來/諺?/肉多め、葱少なめ/猛犬注意/氷上歩行禁止 /告白/マナー教育/落書き/愛の証/看板作り/時差/翻訳困難/理解困難/カラオケ・ピザハウス/コンビニ風の店/24時間営業店/「昼休みなし」/禁煙/戦勝記念日/バス停
- 第27章 歌は世につれ (1999.5掲載/2021.12一部修正)
- ロシアの人々の生活と歌や音楽とは切っても切り離せません。音楽はしっかりと生活の一部になりきっているのです。あちらの音楽で私がいちばん気に入っているのはロシア正教の教会音楽。聖堂の中でそれを聞いていると自分が地上にいるのか天上にいるのか判然としなくなるというのもあながち作り話とは思えなくなります。ロシアの人々の豊かな音楽性は教会で培われたに違いありません。でも、神聖な場所での撮影はためらわれて教会音楽の写真は1枚もなく、ここでは世俗的な写真ばかりです。
- キエフ/セワストーポリ/ザポロージェ/タリツィ/オデッサ/コラ/エレヴァン/ゲガルト/コムソコリスク・ナ・アムーレ/スズダリ郊外/モスクワ郊外/ナガリク/カムチャッカ/ヴォルガ川/エニセイ川/ネヴァ川/オカ川/ハバロフスク/レニングラード/サンクト・ペテルブルク/ペテルゴフ/ヤロスラヴリ/モスクワ/セヴェロバイカリスク/ティンダ/リガ/シャウレイ近郊(リトアニア)/カザン/キシニョフ郊外/ブラワ/シカチアリヤン/レナ川/黒海/アルハンゲリスク/イルクーツク
- 第28章 乗り物 (1999.6掲載/2022.9一部修正)
- 広いロシアを縦横に走る交通機関。その乗り物の写真をと思ったのですが、ソ連時代には飛行機からの俯瞰は言うに及ばず、飛行場も鉄道の分岐点もみな撮影禁止だったので、手元のネガの中にも乗り物の写真は意外に少ないのです。
- 飛行機/海洋フェリー/河川用の客船/列車/列車の行先標(サボ)等/列車の室内/郊外電車/高速鉄道/空港との連絡線/地下鉄/市電/バス/トロリーバス/山岳用バス/ケーブルカー/ロープウェイ/リフト/バギー/マルシュルートカ/都市交通の切符/水中翼船/モーターボート/サイドカー/ヘリコプター
- 第29章 通りと道 (1999.7掲載/2018.8一部修正)
- どの町や村にも無数にある「通り」。人と同じでその表情はなかなか個性的です。ぜひ見比べてみてください。
- 旧市街の路地(ビリニュス,リガ,タリン)/路地裏(タリン)/石畳の道(タリン)/城壁の間(タリン)/城門の向こう(タリン)/城壁の外(アストラハン)/塀沿いの道(ウラジーミル)/落書きのされた歩道(サンクト・ペテルブルク)/幅の広い歩道(キエフ)/幅の広い中央分離帯(ドニエプロペトロフスク)/幅の広い階段(オデッサ)/幅の広いプロムナード (ヤルタ)/ビルの谷間(リガ)/建物脇の歩道(モスクワ)/朝の通り(モスクワ)/歩行者天国(モスクワ)/古都の通り(ブハラ)/石畳の坂道(ヤルタ)/冬の夜道(レニングラード)/雨の歩道(レニングラード)/並木のある歩道(ユジノサハリンスク)/明るい歩道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)/繁華街(サラトフ)/運河沿いの道(レニングラード)/川岸の通り(ハバロフスク,ヴォルゴグラード,プスコフ)/緩やかな坂道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)/並木道(ヴォルゴグラード)/樹木に囲まれた階段(キエフ)/分離帯を兼ねた並木道(キエフ)/色づき始めた並木道(キエフ)/街路樹のトンネル(トビリシ)/樹氷のある通り(レニングラード)/バスの走る通り(レニングラード)/トロリーバスの走る通り(イルクーツク)/大学の見える道(モスクワ)/墓地の小径(サンクト・ペテルブルク) /山の見える道(カムチャッカ)/雪の降る道(ハバロフスク)/水溜まりのある道(ドゥヂンカ)/村の道(スズダリ)/村の「大通り」(トゥルハンスク)/曲がった道(トゥルハンスク)/タイガを貫く道(イルクーツク郊外)/森の小道(クラスノヤルスク郊外)/雪原に延びる道(シャフリサブス〜サマルカンド間)/樹氷のある街道(サマルカンド〜タシケント間)/石畳の坂道(プリョス)/白樺林の散歩道(プリョス)/教会の丸屋根の見える道(ヤロスラヴリ)
- 第30章 通貨 (1999.8掲載/2020.1一部修正)
- ソビエト連邦の崩壊、そしてその後のロシア経済の混乱のために、国内で流通する紙幣や貨幣は崩壊後10年ほどの間にずいぶん変わりました。その変化を振り返ってみます。デジタルカメラでいい加減に撮ったものですから、向きがまっすぐでなく、几帳面な方には気になるとは思いますがどうぞお許しください。
- ソ連の通貨(5ルーブル紙幣,25ルーブル紙幣,硬貨,記念硬貨)/新生ロシアの通貨(100ルーブル紙幣,500ルーブル紙幣,1000ルーブル紙幣,ルーブル硬貨,新しい1000ルーブル紙幣/10000ルーブル紙幣)/デノミネーション後の通貨(10ルーブル紙幣,50ルーブル紙幣,100ルーブル紙幣,硬貨,ルーブル硬貨,記念硬貨)/ベラルーシの紙幣/ウクライナの貨幣/アゼルバイジャンの貨幣/バルト三国の通貨(エストニアの貨幣,ラトビアの貨幣,リトアニアの貨幣)
- 第31章 郵便切手 (1999.8掲載/2000.12一部修正)
- お札や硬貨のことに触れると、それよりもずっとコレクターの数の多い郵趣関係者から切手もという声が出そうですが、旧ソ連では切手で外貨を稼ごうとしたのではないかと思うほど多くの種類の切手が発行されていて、切手だけ取り上げても一つのWWWサイトには到底収まりきれません。実際、旧ソ連の切手を扱った日本語のサイトもありますし、ここでは私の手元にあるごく限られたもののご紹介に留めます。
- ソ連の切手(特殊切手の例,「諸国民の祝日」,小型シート,年賀切手,アルメニア地震救援,日ソ共同宇宙飛行記念)/臨時切手(ウクライナ,ロシア)/加刷切手(アゼルバイジャン,ロシア)/ロシア以外の国の切手(ウクライナ,ベラルーシ,ウズベキスタン,リトアニア,ラトビア,エストニア)
- 第32章 家族の肖像 (1999.9掲載/2018.12一部修正)
- ロシアの子どもたちと仲良しになって手紙がくるようになると、そこに必ず書かれているのが家族のこと。パパやママのことは言うまでもなく、おばあちゃんやらお姉ちゃん、それに飼い犬のことまでことこまかに書かれていて家族の絆がともて強いことを感じさせられます。対する私の返事はと言えば、妻子についてなど一度も触れたことはないのにです。
- イルクーツク/アルハンゲリスク/サンクト・ペテルブルク/シベリア鉄道/ヴォルガ川/モスクワ/ナドヴォイツィ/エヴパトーリア/トビリシ/サマルカンド/タシケント/ヤクーツク/ラトビア/バトゥーミ沖/ヴォログダ/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ハバロフスク/オゴイ島(バイカル湖)/エニセイ最下流域
- 第33章 エニセイを下る (1999.10掲載/2019.1一部修正)
- シベリアを東西に分かつ大河エニセイは流域に住む人々にとって文字通り命綱の役割を果たしています。ここでは中流のクラスノヤルスクから北極圏までの流域の町や集落、そしてそれらを包む豊かな自然の表情をご紹介します。
- クラスノヤルスク/ストールビィ/タシキノ/カサチンスキー早瀬/川の表情/アンガラ河口/川岸の風景/レソシビルスク/エニセイスク/浮き桟橋/ヤールツェヴォ/ヴォローゴヴォ/タイガ(コムサ)/レーベジ/トゥルハンスク/イガルカ/川の上の空/鴎/ドゥヂンカ/ツンドラ/トナカイ放牧地/ウスチ・ポルト/エニセイ川
- 第34章 楽聖チャイコフスキー (1999.11掲載/2015.6一部修正)
- ロシアを代表する作曲家P.I.チャイコフスキーに関係のある写真を手元のネガから探してみました。
- ヴォトキンスク/ペテルブルク音楽院/モスクワ音楽院/プログラム/マリインスキー劇場/クリン/終焉の地/墓
- 第35章 新年を祝う (2000.1掲載/2020.12一部修正)
- ソ連時代は表向きにはクリスマスを大々的に祝う習慣がありませんでしたから、そのかわりという訳でもないでしょうけれど、新年を迎えるお祝いは盛大でした。ソ連が崩壊してクリスマスが祝われるようになった現在でもその習慣は生き続けています。
- モスクワ/キエフ/レニングラード/サンクト・ペテルブルク/ムルマンスク/カリーニングラード/イルミネーション/東京便の機中/マロース爺と雪娘/新年を迎えるパーティー/年頭の挨拶/カレンダー
- 第36章 絵はがき (2000.2掲載/2019.12一部修正)
- 私がソ連に行き始めた今から40年ほど前は「インターネット」という言葉すら知りませんでしたから、自分が撮った写真を他人に見せる機会があるなどとは思ってもみませんでした。旅に出ても風景を写真に撮ったりするよりも絵はがきを買ったほうがずっと良いと考えて、写真を撮るかわりに絵はがきを買ったものです。ただ、その絵はがきをここに掲載すると著作権の問題に触れますので、ここでは絵はがきセットの表紙だけをご紹介することにします。いわば絵はがきのカタログです。お気に入りのものが見つかりましたらどうぞ現地にいらしてお買い求めください。
- モスクワ/セルギエフ・パッサート/スズダリ/ウラジーミル/カリーニン/ノヴゴロド/プスコフ/レニングラード/サンクト・ペテルブルク/ラズリフ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク/キリロフ/ベラジョールスク/ヴァラアム島/キジ島/ペトロザボーツク/ソロヴェツキー諸島/ムルマンスク/アルハンゲリスク/ヴォログダ/カロームナ/リャザン/カシーモフ/ムーロム/トゥーラ/ヤースナヤ・パリャーナ/ボルヂノ/タリン/リガ/ビリニュス/リトアニア/ミンスク/ベラルーシ/カリーニングラード/キシニョフ/モルドヴァ/キエフ/カネフ/ザポロージェ/ヘルソン/ニコラエフ/オデッサ/セワストーポリ/バフチサライ/ヤルタ/リバディア/ゲラチ/コルヒーダの洞窟/トビリシ/アルメニア/バクー/エルブルス近傍/オルジョニキッゼ/カルバジノ・バルカル/ミネラリヌィ・ヴァディ/アストラハン/ヴォルゴグラード/サラトフ/サマーラ/ウリヤノフスク/ヴォルガル/カザン/スヴィヤシュスク/チェボクサリ/コズモデミャンスク/マカリエフ/ニジニ・ノヴゴロド/プリョス/コストロマ/ヤロスラヴリ/リビンスク/ムィシキン/ウグリチ/カリャージン/チーストポリ/エラブガ/ペルミ/ウラル地方の自然/エカテリンブルク/シベリア鉄道/アシハバード/ウズベキスタン/ブハラ/サマルカンド/ヒワ/タシケント/クラスノヤルスク/ノリリスク/タイムィル/ブラーツク海/イルクーツク/バイカル湖/レナ川/ハバロフスク/ハバロフスク地方/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ウラジヴォストーク/沿海州/サハリン/ユジノ・サハリンスク/カムチャッカ/ペトロパブロフスク・カムチャツキィ
- 第37章 教会のある町々 (2000.4掲載/2019.7一部修正)
- キエフが日本の京都にあたる古都だとすれば、鎌倉あたりに相当する古い町々がレニングラード州の周囲の地域にあります。町の中をどちら向きに歩いても古い教会に出会い、教会群の中に町があるかのような錯覚すら覚える町々です。ここでは、ノヴゴロド州,プスコフ州,ヴォログダ州のそれぞれ同名の州都の様子をご紹介します。
- ■■ノヴゴロド → クレムリン/ロシア1000年記念碑/ソフィア寺院/ゴスチヌィ・ドヴォール/ユーリエフ修道院/教会 ■■プスコフ → クレムリン/ヴェリカヤ川/教会/鐘楼/広場/修道院/塔/解放記念碑/大通り/天然の冷蔵庫/鉄道駅 ■■ヴォログダ → 夕暮れ/クレムリン/教会/記念碑/公園/木造の宮殿/アパート/民家/鉄道駅/大通り/ヴォログダ・レース/シャラーモフ博物館/スパソ・プリルツキー修道院/郊外の道
- 第38章 木々と草花 (2000.5掲載/2021.8一部修正)
- ロシアの人々は「森の民」で、森からたくさんの恩恵を受けて生きています。また、花々も大好きで、野草を摘んでよく人にあげたり窓辺を飾ったりします。この章に置いたのは旅先でふと立ち止まって撮った木々や草花の写真です。
- 荒れ野と林/林の入口/野の花/露の花/茸/エーデルワイス/紫陽花/白樺/湿地の花/バラ園/赤い実/赤い実のなる木/青い実/赤い葉/自然公園の植物/路傍の草花/森の花/公園の花/公園の木/庭の花/玄関先の花/花壇の花/大通りの花/ダーチャの草木/樹氷/路傍の樹木/食卓の花/通りに吊されたフラワー・ポット/通りを埋めた草花/螺旋形の樹
- 第39章 料理 (2000.6掲載/2021.12一部修正)
- ソ連時代の旅行では三度の食事はそれほど楽しみではありませんでした。なにしろホテルもレストランも国営。つまり役所が食事を出してくれるようなものだったからです。ところが庶民の家庭でごちそうになる料理の味はぜんぜん別。いや、家庭まで行かなくても通りのピロシキ屋さんでさえ「えっ、外国人にはあんなもの食べさせて、自分たちはこんな美味しいもの食べてるの!」という感じでした。写真では味は伝わりませんから、料理の写真も手元にほとんど無いのですけれど、その数少ないものをお見せします。
- 宴の前/船の料理/レストランの料理/ホテルの朝食/ビュッフェでの食事/ダーチャの庭での食事/アイスクリーム/山小屋の料理/家庭でのおもてなし/調味料/シャシリクを焼く/川魚の燻製/オームリ/オームリ料理/ピロシキ/キエフスキー・トルト/アゼルバイジャンのケーキ/スーシカ/ブリヌィ/ザクースカ/サラダ/スープ/ボルシチ/アクローシカ/キエフ風カツレツ/モルダヴィアの郷土料理/つけ合わせ/ペリメニ/サーロ/デザート/ハルヴァ/ランチ/学生食堂での昼食/街の食堂での軽食/機内食/車内食/日本食/うどん店
- 第40章 自然の宝庫 カムチャッカ (2000.8掲載/2019.7一部修正)
- 日本列島と同じく環太平洋火山列を構成するカムチャッカ。タイガや平原が延々と続く大陸のロシアとは全く違う景観だけでなく、変化に富んだ手つかずの自然がふんだんに残されているという点でも私たちをひきつけます。
- ペトロパヴロフスク・カムチャツキー/アヴァチャ湾/ハラクチル海岸/エリゾヴォ/パラトゥンカ/アヴァチャ山麓/コリャク火山/空から見た火山/ナリチェヴォ自然公園
- 第41章 『罪と罰』の世界 (2001.1掲載/2022.9一部修正)
- ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』は、サンクト・ペテルブルクのごく狭い区域の中で物語りが展開していきます。そのあたりを訪ねてみました。ただ、小説は夏のペテルブルクが舞台なのに、写真のほうは冬景色ばかりなのでちょっと違和感がありますけれど、いずれ夏に訪れる機会があったら撮り直すことにして、しばらくはこれらの写真でご容赦ください。
- S横町/K橋/ラスコーリニコフの下宿/センナヤ広場/中庭/金貸し老婆の家/ドストエフスキーの家/V通り/T橋/ペトロフスキー島/ユスーポフ公園 /エカテリーナ運河/ニコラエフスキー橋/鉤の手になった短い横町/ソーニャ・マルメラードワの家/小メシチェンスカヤ通り/ヴォズネセンスキー橋/K横町/ドストエフスキー博物館/ドストエフスキー像/ドストエフスキーの墓
- 第42章 BAM鉄道 (2001.5掲載/2019.1一部修正)
- タイガに覆われたシベリアの山中を太平洋に向かって走るBAM(バイカル・アムール)鉄道。ソ連邦の一大国家プロジェクトとして建設が進められてきましたが、2001年春の「セヴェロ・ムィスキイ」トンネルの貫通で、まもなくその大工事も終わろうとしています。真冬には気温が氷点下60℃にも下がって、寒さのために空を飛んでいる鳥が突然落ちてくるとも言われるあたり、列車に乗って旅をしていても、鉄道建設がどんなに過酷な労働だったのかを思わず想像してしまいます。
- コムソモリスク・ナ・アムーレ/ノーヴィ・ウルガル/イサ/フェブラリスク/ティンダ/ノーヴァヤ・チャラ/コダール山系/タクシモ/セヴェロムィスキイ山地/キュヘリベクスカヤ/ノーヴィイ・ウオヤン/セヴェロバイカリスク/コルシューニハ・アンガルスカヤ/ブラーツク/ヴィホレフカ/チュナ
- 第43章 アムール川の漣 (2002.8掲載/2002.9一部修正)
- 中露両国の間を流れてきたアムールは、極東の中心都市ハバロフスクから北東に向かい、オホーツク海に流れ出ます。ヨーロッパ部の大河ヴォルガが母なる川と呼ばれるのに対し、極東最大のこの川はロシア人に「父なるアムール」と呼ばれるのだそうです。ここではハバロフスクから500kmほど下流のボゴロツコエまでの間を往復する船旅の折りに撮った写真の一部をお見せしようと思います。
- ハバロフスク/アムール川/川岸の風景/シカチアリャン/「緑の休息」/トロイツコエ/船内でのエンタテイメント/コムソモリスク・ナ・アムーレ/タンボフカ/ブラワ/航路標識/ボゴロツコエ/川を行き交う船/船旅の魅力
- 第44章 教会と修道院 (2003.1掲載/2022.6一部修正)
- 日本でも、どんな寒村へ行ってもお寺も神社も見あたらないということはありません。ロシアも同じ。いたるところに教会や修道院、あるいはその跡を見ることができます。この章には由緒ある建物だけでなく、通りがかりにちょっと見かけた、言ってみれば田舎の実家が檀家になっている小さなお寺に相当するような教会の写真も置きました。
- モスクワ/モスクワ運河/サンクト・ペテルブルク /クリン/ウグリチ/ノヴゴロド/キジ島/アルハンゲリスク/ヴォログダ/ブレスト/エニセイスク/オデッサ/ハバロフスク/キエフ/コストロマ/ムィシキン/ヴォルガ川/沿海州
- 第45章 ドニエプルから黒海へ (2003.9掲載/2004.7一部修正)
- 旧ソ連の時代、大きな川には遊覧船が配置されて、川が凍結していない夏の季節には、大人たちはもとよりピオネールの子ども達まで、いく日もかけてゆったりとしたクルーズを楽しんだものです。そんな川船の中で、ほとんど唯一海にまで漕ぎ出すのがこのドニエプル川のコースです。ウクライナの首都キエフから黒海までの「ウォーター・フロント」の表情をご覧ください。
- キエフ/川岸の風景/航路標識/クレメンチュク閘門/鴎/クレメンチュク/川岸の風景/ヨット/川岸の小さな家/可動橋/驟雨/教会/夕焼け/ドニエプロペトロフスク/パイプライン/電線/ザポロージェ/川の風景/ヘルソン/ドニエプロ・デルタ/オデッサ/セワストーポリ/ドニエプル航路の客船/黒海の夕陽
- 第46章 エルミタージュ (2005.5掲載/2022.10一部修正)
- ロシアの誇る世界的な美術館“エルミタージュ”。その膨大な所蔵品については、それらを紹介する書物もTV番組も数え切れないほどありますから、あらためてその写真をここに載せるのはほとんどやめて、美術館の雰囲気をお伝えすることを試みようと思います。
- 外観/階段/孔雀時計/玉座のある広間/居間のような部屋/書斎/いろいろな部屋/天井/天井近くの壁/玉座/回廊/展示室/絵画/彫塑/陶磁器/ステンドグラス/織物/古代の品/参観者/子供たち
- 第47章 動物たち (2006.8掲載/2022.7一部修正)
- ロシアでも、人々はあるときには動物たちに心を慰められ、あるときには動物たちに生活を支えられてきました。人々と動物たちの間には深い絆があります。ところで、ロシアをテーマにしたサイトに「動物たち」の章を置くのなら、どうしても熊の写真を載せたかったのですが、幸か不幸か野山で熊に出会ったことはまだ一度もないものですから....。
- 猫/犬/馬/小馬/牛/豚/馴鹿/羊/駱駝/山羊/鶏/駝鳥/七面鳥/孔雀/鴨/鳩 /小鳥/雀/鵞鳥/白鳥/鴎/烏/啄木鳥/鱒/蜂/蜻蛉/栗鼠/熊
- 第48章 カリーニングラード (2012.9掲載)
- カリーニングラードは、バルト海に面し、リトアニアとポーランドにはさまれたロシアの飛び地であるカリーニングラード州の州都で、かつてはプロイセンに属し、ケーニヒスベルグと呼ばれていた町です。第二次大戦後、ソ連邦に編入され、今では住民の多くはロシア系ですが、町の中にはスラブとは異なるゲルマン的な雰囲気を残している所もあります。
- 大聖堂/カントの墓/大聖堂内部/カント島/リブナヤ・ヂェレヴニャ/ケーニヒスベルグの橋/ソビエトの家/城門/大学/勝利広場/市内の建物/大祖国戦争の碑/旧証券取引所/画廊/通り/鉄道駅(北駅)/友好の碑/水辺の建物群/通りに置かれたベンチ/日本料理店
- 第49章 レナ川クルーズ (2015.12掲載/2017.9更新)
- バイカル湖の近くに源を発し、北極海に流れる大河レナを往復するクルーズの記録です。これまでの章とは異なり、町や村ごとに写真を置くのではなく、ほぼ2週間のクルーズの始まりから終わりまで時の経過順に写真を並べてみます。
- ■■2015年夏 → 第1日目(ヤクーツク)/第2日目(レンスキエ・ストールビィ自然公園)/第3日目(ブオタマ川河口付近)/第4日目(終日航行)/第5日目(グリーン・ストップ)/第6日目(キュシュール)/第7日目(チクシ)/第8日目(終日航行)/第9日目(シクチャフ)/第10日目(ジガンスク)/第11日目(終日航行)/第12日目(グリーン・ストップ)/第13日目(サティンツィ)/第14日目(ヤクーツク) ■■2017年秋 → 第0日目(出航前日・ヤクーツク)/第1日目(サティンツィ)/第2日目(レンスキエ・ストールビィ自然公園)/第3日目(終日航行)/第4日目(ダッパライ)/第5日目(ウラ川河口付近)/第6日目(ミールヌィ)/第7日目(ヴィチム)/第8日目(レンスキエ・シェキ)/第9日目(レンスク)/第10日目(アリョクミンスク)/第11日目(ブオタマ川河口付近)/第12日目(ヤクーツク)
- 第50章 ウラルの町々 (2018.2掲載)
- 欧亜を分かつ太古の山脈ウラル。その周辺の大都市のうち、さしあたり、東のエカテリンブルクと西のペルミの町の風景をお見せします。
- ■■エカテリンブルク → 街角の風景/工事現場/W杯準備/ホテル『アメリカンスカヤ』/ヴィソツキー・ビジネスセンター/給水塔/音楽学校/大学/劇場/映画館/サーカス/博物館/図書館/セヴァスチアノフの家/ハリトーノフ邸/教会/血の上の教会/記念碑/市役所/地下鉄駅/鉄道駅/ヴァイネラ通り/イセチ川と池 ■■ペルミ → 街角の風景/劇場とコンサートホール/ショーウィンドウ/教会/モスク/銭湯跡/動物園/広場/レーニン勲章/屋外に置かれたオブジェ/戦争の記念碑/銅像/ペルミ250年記念碑/鉄道駅/河港/川岸のプロムナード/空港
- 《 付 録 》
♪♪ 旅日記 ♪♪
私がロシアやウクライナの川・湖・海を旅したときの記録です。テキストだけで、写真はありません。 (1997.9掲載/2009.8追加)
19世紀ロシアの女性数学者としてその名を知られるソフィア・コヴァレフスカヤ(1850-1891)の書いた中編小説『ニヒリストの少女』を試しに訳してみました。左上にある白地に紺色文字の標題プレートをクリックしても試訳のPDFファイルを開けることができます。 (2024.3掲載)
ロシアや旧ソ連に関係のある内容の日本語によるサイトのうち個人によって作られたものをできるだけ収録したいという希望を持っています。そのようなページをお持ちの方で、ここのリンク集に掲載しても良いとお考えになってくださる場合はメールでご連絡くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすればリンク集に入ることができます。
《 お願い 》
ご覧になってくださってお気づきの点などがございましたらぜひお聞かせください。お待ちしています。
また、いろいろのご質問にもできるだけお答えはしたいと思いますが、なにぶんにも私はロシアについての専門家ではなく、単なる旅人に過ぎませんので、お答えがご期待に添えない可能性がございます。その点を予めご諒承ください。
憲法9条「改正」に反対します。
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