第1日目


サハ共和国の首都ヤクーツクの風景
町を歩いていて気づいたのは、ずいぶん噴水の多い町だなぁということ。どうして?
 
サハは地下資源に恵まれた国で、町にはそれらしい看板を掲げた企業が目についた。左の写真は石油・天然ガスの会社、中央はダイヤモンド鉱石の、右は宝飾ダイヤの会社のようだ。
 
市内で見かけたモニュメント。左は「永遠の炎」、右は何だったか思い出せない。中央のマンモス像は、ほんとうに記念碑なのか、それともどこかの小学生の作品を単に置いただけなのか不明。
 
街角の風景
 
散歩していて見かけた正教の教会
歩いていてみかけた記念碑や記念の建造物。左は、言わずとしてたレーニン像だが、中央と右は説明を読んだものの、今では忘れてしまった。
 
2015年8月5日午後7時に、私達の乗ったクルーズ船「ミハイル・スヴェトロフ」はヤクーツクの河港を離岸、2週間の船旅が始まった。
河港は、レナの本流にはなく、比較的細い水路を通って、やがてレナ本流に出るようになっている。左の2枚は、その水路。そこを抜けた頃には日没近くになっていた。
 

次のページへ    目次へ戻る



第2日目


2日目の朝、起きてみたら、前日に引き続き好天だった。右の2枚は、舳先にあった風見。
 
ヤクーツクを出た船は、レナ川の上流に向かって航行し、レナ川最大の名所「レンスキエ・ストールビィ自然公園」に。川岸に柱状の奇岩が延々と並ぶ絶景。
 
よくは分からないが、私達が上陸した地点は、シャーマニズムの祈りの場所にもなっているようだった。
 
上陸地点から岩山の頂に至る散策路ができていた。はじめのうちは森の中を歩くが、やがて急な坂を上がることになる。
途中にあったコンクリート製の三葉虫の模型は道標? 「野生動物に注意!」の看板も。
 
岩山の頂から見たレナ川。誰が立てたのか、岩の上に十字架が置かれていた。
 
船が岸を離れてから撮った写真。日没近くなると、岩壁が夕陽を受けて赤色に染まる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第3日目


2日目の地点から少し下流、ブオタマ川という支流との合流点近くに、宿泊施設を伴うツーリスト・センターがある。この日は、そこに上陸した。
 
かつてこのあたりには野生のバイソンが生息していたそうだが、既に絶滅し、カナダから移入して繁殖をはかっているとのこと。
 
付近の林と草原。
 
ソ連時代、このあたりは広大な集団農場だったそうで、草原にはその名残りの給水パイプの破片が転がっていた。
右側2枚の写真のようにカラフルな布を結びつけるのは、この地方に古くから伝わる宗教的習慣かもしれない。バイカル湖畔などでも見かける。
 
ヤクーツク方向へ向かう途中、左舷側に見えた町。ポクロフスクあたりか。この後、下流に進むと、両岸にこんな近代的な町を見ることは無くなる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第4日目


この日は、どこにも停泊しない終日航行日だった。
正午から最上階のシネマホールで、ヤクーチアの自然についての英語でのレクチャ(言語ごとに時間帯が異なる)、それに先立つ10時半からは船の機関室の見学があった。
 
両岸の風景。時々、と言ってもかなりの時間間隔だが、川を航行していると、こうして中小の町や村が見える。
岸の植生にも注目を!北上するにしたがって植生が変わるので。ここに限らず、水や氷で岸が侵食されるから、水辺の樹木は倒木になっていく。
川の中州に飛行機が停まっていた。シベリア奥地では、道路を作るよりも飛行機を飛ばしたほうが早いので、簡素な飛行場が随所にある。主力はAN-2型という単発複葉機。
 
航行中に接近してきた客船。観光船ではなくて、川沿いの町や村を結ぶ連絡船ではないかと思う。
 
岸に停泊している何かの作業船と航路標識。
 
レナ川の夕暮れ。このあと北上するにつれて、日の入りの時刻は次第に遅くなり、やがて真っ暗な夜は訪れなくなる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第5日目


高い所に「北極圏」の看板がある場所でのグリーン・ストップ。
写真ではわからないが、岸を散歩している時、小バエみたいな虫がまつわりつき、刺されたところが、あとになって結構腫れていた。
 
レストランのスタッフも下船して、川魚のスープ「ウハー」をご馳走してくれた。
ロシアの河川クルーズでは、必ずと言っていいほど、大自然の中で船を停める「グリーン・ストップ」がある。
船客がロシア人主体だと、船側が何もしなくても、乗客達は花摘みや茸穫りや釣りをしたり泳いだりと思い思いに楽しむ。
それに対して、外国人が一定数乗っている船では、こうしてウハーやシャシリクを振る舞ってくれたりという企画のあることが多い。
 
河岸には、様々な色をした石や岩が。丸まった形をしているから、この辺りで崩れ落ちたのではなく、上流から水や氷によって運ばれたものだろう。
 
グリーン・ストップを終えて、さらに航行を続けた時の岸の風景。
このあたりの村落では、必ず集落から少しだけ離れたところに、おそらく石油のだろう、備蓄用のタンクが見られた。冬の厳しい寒さを乗り切るためには不可欠な施設だ。
 
右の写真は、低い高さからの陽の光を受けて明るく輝く岩壁。
川岸は水や氷によって絶えず削り取られるので、随所に地層のはっきりした露頭が見られる。レナ川の両岸は、地質学者にとってはきっと魅力的な所ではないかと思う。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第6日目


川岸の風景。たまに、小さな村落の傍らを通り過ぎる。
 
今回のクルーズでは、北極圏に入ったあたりから、天候が思わしくなく、雨混じりの曇の日が多くなった。
 
レナ河口の町チクシから南西に120kmほどのところにある小さな村キュシュールに接岸して、降りてみた。
 
村にはエヴェンキ族の住民が多く、彼らの民族衣装を着て、観光客を迎えてくれた。
 
村にいくつも無い商店の一つ。
 
村内で見かけた記念碑的なもの。古来の宗教的なものとソビエト的な記念碑とが混在している。
 
キュシュールを出た後、船は「レナのパイプ(レンスカヤ・トゥルバー)」と呼ばれる狭い水路を通過するとの船内放送があった。
でも、日本人の感覚からすると、決して狭くはなかった。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第7日目


7日目の朝(と言っても、この辺りでは、もう暗い夜は無い)目覚めた時、船はレナ河口に近い三角州を航行中だった。船室の窓から撮影。
 
レナ本流とチクシの間を遮っている砂州(と言うには大きすぎるが)のような地形があるので、その手前のネーロヴォ湾に船を着けて、バスでチクシに向かった。
写真は、チクシの町が初めて見える峠で、バスを停め、付近を撮影したもの。荒涼としたツンドラの景色だ。
 
チクシ市内の一角。かつて、チクシ港には多くの船舶が出入りしていたというが、今では激減して、町を出る人が多いそうで、いたるところ廃屋だらけなのに驚いた。
 
極地方の自然を展示している博物館。
説明文も手作り感あふれていて、なんだか高校の文化祭のような雰囲気だった。
もっと驚いたのは、マンモスの骨とかが無造作に積み上げられていたこと。
 
こちらは、廃屋ではなく、実際に使われている商店、教会、子どもの遊び場。
 
残念ながらチクシ港の見学はできなかったが、別の海岸に案内されて、現地の人達が民族料理を振る舞ってくださった。
 
そのあたりも、当然、ツンドラの景色。高い樹木がなく、背丈の低い草や地衣類が育っている。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第8日目


チクシからヤクーツクへ向かう復路。この日は、終日航行日。
船のデッキから見た両岸の風景。バラエティ豊かな地層や地形を見ていると、いつまでも飽きない。ごく稀れに、川岸に小さな集落が姿を見せる。
植生はと言えば、依然として、大きな樹木は見つけにくいが、次第に、水面近くには木々が見られるようにってくる。
4段目右端の写真は、この日に実施された船のブリッジ見学の際に撮ったもの。
最下段右端の写真は、凍った魚をナイフで削いで食べる、日本で言う「ルイベ」を作っているところ。削いだのを船客に食べさせてくれ、私は何度も繰り返しもらって、沢山食べた。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第9日目


この日、シクチャフという小さな漁村に寄ったが、レナ川沿いのこうした小さな町や村の船着き場には桟橋がない。そんなもの作っても、春の大解氷の時に、全部押し流されてしまうから。
それで、船が村に着く度に、船員達は、乗客のためのタラップ作りをしなければならない。ほんとうにご苦労様です。
 
シクチャフ村の川岸(船着き場のあたり)の風景。
 
民族衣装を身につけた子どもたちが、船客を歓迎してくれた。
 
シクチャフ村内の風景。野草も短い夏の間に急いで花を咲かせるし、人だって長く厳しい冬に備えて薪などの準備に怠りない。
住宅の窓の防寒に、トナカイの毛皮を使うのは、エニセイ川下流のウスチ・ポルト村でも見た光景だ。
 
村の川岸。廃船や浮標が放置されていた。右の写真は、もちろん船のための航路標識。こちらは現役。
 
シクチャフを出航してからの、岸辺の風景。高い樹木が見られるようになっているのが、わかる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第10日目



岸の露頭に、地層だけでなく、レリーフのような紋様が浮き出ているようで面白い。
川の風景。天候が回復してきているのと、木々の高さが高くなっているのがわかる。
 
船内で行われた「北極圏祭り」のイベント。
エニセイ川クルーズでも経験したが、北極圏に出入りする時に催される。
航行の安全をネプチューンに祈るというものだ。
ジガンスクの船着き場。と言っても、水深の関係か、接岸はできず、船を沖に停めて、岸との間は専用のフェリーで輸送する。
 
上陸した場所で、民族衣装姿の現地の人達が歓迎のセレモニーをしてくれ、さらに場所場を博物館の庭に移して、子ども達が民族舞踊を披露してくれた。
 
ジガンスクの町の中の様子。中央の写真は、もちろん正教の教会。
 
市内でみかけた記念碑的なもの。左はソビエト時代の戦勝記念碑、中央は正教の十字架、右はシャマニズムの何か大切なものらしい。
 
船着き場のあたりの様子。と言っても、上に書いた通り、船は沖合で待機している。 この明るさでどのくらいの時刻かと言うと、夜の10時くらい。
右の写真は、本船に横付けした連絡用フェリー上で撮ったもの。いちいち面倒なのはわかるが、踏み板を上げないまま岸と本船の間を航行するなんて....。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第11日目


この日は終日航行だった。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第12日目


引き続き、川の風景。
 
夜7時くらいに、針葉樹の林のある岸辺に船を寄せて、グリーン・ストップ。夜11時近くまで、ファイヤー・ストームをしていた。
このあたりまで南下してくると、遅い時間にはしっかり暗くなるのがわかる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第13日目


レナ川の朝。
 
ヤクーツクから少し北に行ったソティンツィという場所に、ヤクーチアの伝統的な住居など木造建築を集めた青空博物館がある。
 
川岸から博物館への往路はバスで行ったが、帰りはバスを断って歩いて帰ってきた。その帰り道の写真。
 
夜7時にソティンツィを離岸。ちょうどその頃、レナ川に大きな虹がかかっていた。
右の写真は、あきらかに人の手が加わった耕作地か牧草地。これより北では、広大な農地を見ることは殆ど無かったことを考えると、大都会ヤクーツクが近いことがわかる。
 

前のページへ    次のページへ    目次へ戻る




第14日目




ヤクーツク河港。
船がヤクーツクに戻って来たのは、8月18日の未明だった。

ヤクーツク市内の様子。
 
市内で見かけた記念碑から2つ。
左の2枚は、ヤクーチアとロシアの友好の碑。ヤクート人とロシア人との間の最初の家族だとか。
右の2枚は、大祖国戦争に我が子を兵士として送り出した母親の像。
 
永久凍土研究所の博物館。ロシアの多くの博物館同様、学芸員(ここでは研究者)が案内・解説してくれる。
マンモスの赤ちゃんの標本はレプリカで、本物はサンクト・ペテルブルクの動物学博物館にある。
 
やはり、市内の様子。こうした近代的な建物も、次々に建てられている。中央の写真は、スタジアム。
 

前のページへ  次のページへ  目次へ戻る