ソ連時代も現在のロシアでもモスクワに次ぐ第二の都市の地位を不動にしている旧レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)。右の写真の手前は大小ネヴァ川にはさまれるワシーリー島。奥に見える建物が冬宮。「レニングラード」の文字の右にあるマークは海軍省の尖塔の上にあるもので、市のシンボルになっている。(1989年発行)
ネヴァ河畔に繋留されている巡洋艦「オーロラ」。この角度で撮った写真はたいてい対岸のホテル「レニングラード」(現「サンクト・ペテルブルク」)から撮っていることが多い。(1983年発行)
国立エルミタージュ美術館。帝政時代の冬宮の建物が現在そのまま美術館として使われている。 (1989年発行)
市名が「サンクト・ペテルブルク」に変更になってからだいぶ時間が経った21世紀発行の絵はがき。気のせいか、上のとは色彩感が全然違うように思える。 (左:2009年,中:2008年発行,右:発行年不詳)

左は、エルミタージュ美術館の絵はがき、美術館自体が作って売り出しているもの。 (2014年発行)
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レニングラード市の北部境界付近にある小さな村ラズリフは1917年の「七月事件」の頃にレーニンが潜んでいた場所で、ソ連時代は「聖地」の一つであった。そのためソ連全土からの見学者も少なくなく、ごく小さな村なのにこうして絵はがきも作られていた。 (1983年発行)
サンクト・ペテルブルク市から西へフィンランド湾沿いに行ったところにあるピョートルT世の夏の宮殿。 (1988年発行)
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サンクト・ペテルブルク市の南側郊外にあるプーシキン市。帝政時代はツァールスコエ・セローと呼ばれ、そこにあった学校でプーシキンが学んだことから現在はこの名前になっている。冬宮の設計者ラストレリの手になるエカテリーナ宮殿はあまりに有名だが、右の写真は宮殿本体ではなく、その敷地の中にある別の建物。 (左:発行年不詳,右:1985年発行)
プーシキンに隣接するパブロフスクの宮殿と庭園。庭園は人の手が丁寧に入った部分もあるが、自然をそのまま活かす形のところもあり、時間を忘れて散策するのにもよい。 (1986年発行)