肉多め、葱少なめ



 私が幼かった頃、トンカツはめったに食べられない贅沢品で、それより断然値段の安かった串カツがご馳走だった。しかし、期待して買ってきたのを食べてみると、串に刺さっているのは圧倒的に玉ねぎで、肉はほんの申し訳程度、ひどくがっかりしたのを今でも覚えている。写真は、ヤクーツク市内で見かけたシャシリクの広告。肉が多めで、玉ねぎは少なめだと強調している。   (2017年9月撮影)




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猛犬注意


 文字通り「猛犬注意」だから何もおもしろくない写真だが、私はこういうのをソ連時代に一度も見たことがなかった。なのに、今夏の船旅ではまったく違う街で複数回お目にかかった。
 考えてみると、日本でも「猛犬注意」というのは「猛犬がいるから注意してお入りください。」という意味ではなくて、ほんとうは「入ってくるな。獰猛な犬がいるぞ。」という意味なのではないか。そうだとすると、社会の中に格差が広がれば広がるほどこの手の警告が増えていくということになると思うのだが、いかがだろうか。   (2007年8月撮影・ボルガ河畔キネシマ)




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氷上歩行禁止


 上の「猛犬注意」とは違って日本ではあまり見られない注意書き。ロシアでは冬季の結氷した河川や池・湖はふだんの道路よりもずっと歩きやすくてお目当ての場所に早く着くことができるから、厳冬期には氷上を歩く(あるいは自動車を走らせる)というのはいわば「常識」だったのだが、このところの温暖化のせいなのか、近頃ではこの種の看板をよく見かけるようになった気がする。「命にかかわる」とまで言っているのは、もしかして、実際に事故があったからなのか?    (左:2018年9月ニジニ・ノヴゴロドで,右:2020年2月サンクト・ペテルブルクで撮影)




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告白


 ウラジオストクは落書きの多い町だ。こういう塀はもとより建物の壁でも地下道の側壁でも、ちょっと隙があるとすぐに落書きされている。こんなのよりはるかに芸術的な落書きをいくつも見たが、それを写真に撮るのも不審がられる気がして、ひと気のないところにひっそりと書かれていた殴り書きのようなのを撮ってきた。
 これは、好きな女性に気持ちを伝えられない男がそれこそひと気のない場所の塀に酒に酔った勢いで書いたと思われるものだが、ほとんど告白の役目を果たしていない。第一に「Я」が誰なのかわからない。まさかネフリュードフだとは思わないけれど。それに「Катюша」という名前の女性はロシアにはあまりにも大勢いて、肝心の本人が自分のことだと思わないのが決定的な欠陥だ。
 なお、ウラジオストク市の名誉のために一言付け加えると、この不特定告白タイプの落書きはロシア全土いたるところに見られる。    (2007年12月撮影)



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マナー教育



 落書きに限らず、ゴミを辺り構わず捨ててしまうなど一部市民のマナーの悪さに業を煮やした市当局が、子どもの頃からしっかりマナー教育をするように呼びかけたと思われる看板。しかし、それさえ落書きされているのが、なんだか悲しいけど。    (2017年9月撮影・ウラジオストク)



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落書き



ドン河畔の村コンスタンチノフスクで見かけた、敷地を囲む塀に書かれていた落書き。
こちらは、愛を告白するとかではなくて、政治的な。
「巨大独占資本による寡頭政治的な愛国主義か、あるいは共産主義か」と。
現代のロシア人を悩ませる深刻な問題かも知れないが、夜陰に乗じて書かれた可能性が大。    (2014年8月撮影)



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愛の証


 3ページほど前の「告白」が片想いなら、こちらは相思相愛。今、ロシアでは愛し合う男女の間ではこうやって鍵をかけるのがブームなのか。第1段目はイルクーツク、2段目はサンクト・ペテルブルク、3段目左はカリーニングラード、同右はヤクーツク、4段目左はラトビアのピルスルンダーレ、同右は同じくリガ、5段目左はユジノ・サハリンスクで撮った。つまり、ロシア全国どころか、ロシア以外の国も含めてどこの街にもこういうのがあるということだ。
 それはいいとして、橋にこうやって錠を下ろした後、鍵は橋の下の川に捨ててしまうのであろう。なにしろ、永遠の愛の証だから。しかし、将来ご離婚あそばすなど万一破綻をきたした時、どうするつもりだ。放り投げた鍵はバルト海や北極海に流されてしまっているかもしれず、解錠することができないではないか。
 5段目右の写真は、リャザンで撮ったもの。欄干だの柵だのあちこち構わずにに錠を吊されるのに閉口した当局かどこかが専用のハンガーを設けたものと思われる。

(1段目:2011年8月,2段目及び3段目左:2011年12月,3段目右:2015年8月,4段目:2014年3月,5段目左:2019年8月,同右:2017年8月撮影)

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看板作り



 私ははじめこれを見たとき、職人が看板を作っているか色を塗り替えているところだと思った。だが、よく見てみるとそうではなくて、作業をしているのも人形で、じつは看板の一部。宣伝しているのが塗装店なのか画材屋さんなのかはわからなかったが。    (2007年8月撮影・ボルガ河畔チェボクサリ)



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時差


 イルクーツクのホテルのレセプションの上にあった時計。世界の代表的な都市の時刻をこうやってならべて表示するのは、日本のホテルなどでも別段珍しくない。
 ところで、にわかに信じがたいことだが、当時、東京とイルクーツクの間にはあれほどの経度差があるのに時差が無かった。写真の時計は、それを示している。ただ、これが日本でなら、二つの時計の長針・短針・秒針の向きはそれぞれ正確に平行線を描くが、ここではそうはなっていなくて、なぜか両者の間には2分25秒だけの時差があることになっている。こういう点が、人々をしてロシアをこよなく愛おしく感じさせる所以であろう。     (2011年8月撮影)



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翻訳困難


 バイカル湖畔リストビャンカ村で見かけた道路案内板。この先の二つの村とイルクーツク市への距離を示している。いずれも固有名詞だから、何の問題もないのだが、いつだったか、日本語を話すロシア人ガイドが付いてくれた時、いちばん上に書かれている村の名前の意味を日本語で説明しようとして「大きな...」と言ったきり、詰まってしまった。     (2011年8月撮影)



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理解困難


 リトアニアのカウナスからラトビアに向かうバスがトイレ休憩のために立ち寄ったガソリンスタンドの駐車場にあった標識。「」が「禁止」の意味なのは想像がつくが、ここで遊んじゃいけないというのはわかるにしても、家と樹木と自動車の絵はいったい何を禁止しているのか、理解が難しい。    (2014年3月撮影)



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カラオケ・ピザハウス


 「カラオケ」という名前のピザハウスなのか、カラオケもできるイタリア料理店なのか、正確なところは不明。おそらく、その両方なんだろうけど、カラオケとイタリア料理が頭の中で結びつかないのは私だけか。それにしても、今やカラオケがこれだけ「市民権」を得ているということだ。    (2016年3月モスクワ市内で撮影)



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コンビニ風の商店


 サハリンのコルサコフ市内で見かけた。日本では、ミニストップとセブンイレブンが同一店舗というのはちょっと考えにくい。つまり、この店は、本国のミニストップともセブンイレブンとも何の関係も無いということだ。中に入らなかったからわからないけど、もしかするとコンビニでもないかもしれない。    (2019年8月撮影)



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24時間営業店


 コンビニではないだろうけど、24時間営業を売りにする店もソ連崩壊後に現れるようになった。ロシアに限らず、それがいいことなのか、そうでないのかは難しいところだけど。    (2020年2月サンクトペテルブルク市内で撮影)



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「昼休みなし」


 窓にハチャプリやヒンカリの絵があることからわかるようにグルジア料理を提供する軽食堂。しかし、ここで私が注目したのは右の写真。ソ連時代には、多くの店が真っ昼間に2時間もの昼食休憩を公然と取って、外に客がいようがいまいがその間はしっかり店を閉めているというのが普通だった。だから、24時間営業よりも、この「昼休み無し」のほうが当時を知る者にとってははるかに魅力的なのだ。    (2020年2月サンクトペテルブルク市内で撮影)



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禁煙



 ハバロフスク市内の施設で見た禁煙の掲示。「ここで吸っちゃダメ!」と言われるのでなくて、先に「禁煙してくれてありがとう」と言われてしまうと、それでも吸うぞという気持ちにはなりにくい。    (2012年8月撮影)



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戦勝記念日


 先の大戦での日本の敗戦の日8月15日は、韓国や北朝鮮にとっては解放記念日で、大々的に祝賀行事が行われるが、ロシアでは戦勝記念日というとナチス・ドイツに勝利した5月9日が盛大に祝われ、対日戦勝利の日にはそれほど重きが置かれない。8月15日ではなく、米戦艦ミズーリの艦上で、日本が降伏文書に調印した9月2日が第二次大戦終結の日として記念される。   (2012年8月撮影・ハバロフスク市内)


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バス停


 旧ソ連時代のバス停と言えば、バスの時刻表などあろうはずもなく、バス停であることを示す「A」の札のそばに、せいぜい朝・昼・..の時間帯ごとにおよそ何分間隔でバスが運行されているかが、それもかなりの時間幅で書かれているだけというのが殆どで、頼りにはならず、ただひたすら待つしかなかった。それが、いまや、バルト三国では、日本並みかそれ以上だ。この写真は、タリンの「動物園」停留所。バスが4系統、トロリーバスが2系統通っているが、まもなく来る車の予定時刻が表示されるだけでなく、まぢかに迫ると、あと何分後にやってくるかが分単位で表示される。この時、私は、市の中心部に向かう6番のトロリーバスを待っていたが、実際、この写真を撮って1分後にちゃんとやって来た。     (2014年3月撮影)



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