モニュメント (ウグリチ)
モスクワからそれほどは遠くないウグリチの町の中心部にある施設。新しく建てられたもののようで、宗教的な雰囲気があるのがソ連時代のとは決定的に違う。 (2007年8月撮影)
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陣地跡 (オデッサ郊外)
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侵攻軍との間で激戦が展開されたオデッサ市の郊外に当時の陣地が復元・保存されていた。 (1985年8月撮影)
要塞跡 (ブレスト)
独ソ戦の初期、侵攻する独軍に対して最も果敢な抵抗をしたことで知られるポーランド国境に近いブレスト要塞跡。破壊しつくされた残骸の中にコンクリート製の巨大なモニュメントがある。右の写真は、要塞の残骸を保存したものかあるいは復元したもの。圧倒的な兵力の敵包囲下こうした薄暗い通路に身を潜めて、機をうかがっては死にものぐるいの白兵戦を展開したことが想像される。 (2000年12月撮影)前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
収容所跡 (サラスピルス)
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ラトビアのサラスピルス収容所跡に立つモニュメントの一つ。子どもを守ろうとする母親か。 (1987年8月撮影)
工場跡 (ボルゴグラード)
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スターリングラード戦で、独ソ両軍が奪い合った製粉工場。建物には明るい夏の陽射しがあたっていて、当時の凄惨な戦いを想像することさえ難しかった。 (1997年8月撮影)
埋葬記録簿 (レニングラード)
900日におよぶレニングラード包囲のとりわけ最初の冬、飢えと厳しい寒さとでおびただしい数の市民が命を落とした。亡くなった人の近親者がその遺体を埋葬した場所が現在のピスカリョフ墓地になったと言われる。墓地入り口の資料館に展示されていた死亡者の数を日毎に記録したノート。 (1986年12月撮影)
下段の写真は、そのピスカリョフ墓地の現在の姿。 (2020年2月撮影)
永遠の炎 (スズダリ)
戦没者を悼む「永遠の炎」。ここスズダリだけでなく、各地にある。こうやって燃やしっぱなしにできるのは、資源大国ロシアだからで、日本では到底無理。 (2014年12月撮影)