ベロモルスクからアルハンゲリスクに向かう鉄道の車窓や停車駅で撮影。 (1998年8月撮影)
 | どことなくうらさびしい感じのする村の風景。そんな気がするのは手前のうち捨てられた貨車のせいか。 |
こちらはうち捨てられた橋。 |  |
 | 乾燥した感じのする場所が見つかりにくいのも北のほうの特徴? |

列車が停車したある駅。 | 
その駅舎。木の扉を開けて出てきたのは駅員のおばさんだろうか。 |
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最下段は、モスクワ〜アルハンゲリスクを結ぶ鉄道からムルマンスク方面行きの列車が分かれる分岐点の駅。 鉄道輸送の拠点だからさぞかし大きな駅だろうと想像したいらホームに屋根もない駅だった。 ホームを一歩出ると右の写真のような風景だった。
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北ドビナ川の河口近くに発達した古都。サンクト・ペテルブルクが開かれるまではロシアのヨーロッパへのほとんど唯一の窓でもあった。今でも、車窓に寒村の続く北方鉄道に乗ってここまでたどり着くと突然それまでとは別世界のような大都会が現れて驚かされる。 (1998年8月撮影)
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 | 中はどうか知らないが外観はちょっとおしゃれなアパート。 |
戦没者慰霊の「永遠の炎」。北ドビナ川河岸の公園にある。 |  |
 | 河岸の遊歩道。ロシア全土のどの都市もそうであるように、ここでも花壇がよく手入れされていた。 (1998年8月撮影)
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河岸にあった市創設400周年のモニュメント (下の2枚も含め、1998年8月撮影) |  |

北ドビナ川の夕暮れ | 
河口にある造船所 |
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郊外マルイ・カレリ村付近の風景。 (1998年8月撮影)
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白海に浮かぶソロヴェツキー島(アルハンゲリスクから空路がある)に由緒ある修道院がある。スターリン時代には強制収容所として知られていたが、ソ連崩壊後、修道院の再建が進められていて、各地から巡礼者が集まって来るようになっている。上段の写真は、白海から見た修道院、下段は修道院近くの船着き場とそこから見た修道院 (2009年8月撮影)
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その修道院。 (2009年8月撮影)
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このソロヴェツキー修道院だけではないが、ロシアの修道院には要塞としての役割もあって、銃眼を備えた城壁などで守りを固めていた。ここの修道院は、実際に国内の宗教紛争だけでなく、クリミア戦争など外国との間で戦火をまじえたことも一度ならずある。 (2009年8月撮影)
城壁の建物の中に、強制収容所に関する展示室があった。また、下段右端の写真は、それとは別で、当時独房として使われた場所。 (2009年8月撮影)
島には修道院が持っていた植物園が今でもある。右は園内にある礼拝堂。左の案内板を見ると、園内のどのあたりにあるかがわかる。 (2009年8月撮影)
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園内の花壇。 (2009年8月撮影) 前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
島内あちこちの風景。こうやって見ると、全島が森という感じがするほどだ。 (2009年8月撮影)
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島の小高い丘の上にあった灯台のようにも見える建物。そばに非常に急な木製の階段があって、それを降りると、スターリン時代に迫害された囚人の慰霊のためのものなのか、大きな十字架のようなものがあった。かつて囚人を突き落としたという階段を復元したものだろうか。 (2009年8月撮影)
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