ヴォルガ川
いかにも仲良しという感じの写真だが、この子達はつい数日前まではまったく知り合いではなかった。たまたま同じ船に乗り合わせ、日が経つうちに大人どうしが仲良くなって昼間から酒盛りなんかしているものだから、子どもたちは子どもたちだけで社交界を作るというわけ。 (2007年8月撮影)
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ヴォルガ川
上の3人のうちの一人。船がウグリチの閘門を通過する時にデッキで撮影。小学校低学年の子どもが携帯プレーヤーのヘッドフォンを耳にかけているなんて、ついこのあいだまでだったら想像もできなかったほどのことだ。 (2007年8月撮影)
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ヴォルガ川
ヴォルガ川クルーズのとき、同じ船に乗っていたモスクワの少女マーシャ。12歳の女子中学生で、将来は化学者になりたいと言っていた。 (2007年8月撮影)
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プリョス
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ヴォルガ河畔プリョスの船着き場で絵を売る露店にいたやはり12歳の少女エレーナ。本人が描いたという絵を気に入って買ったので、記念にその絵と一緒に写真を撮らせてもらった。 (2007年8月撮影)
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プリョス
丘の道を下っている時、大声でおしゃべりしながら向かいの道を降りてくる生徒の集団と出会った。そうだ、今日が新年度の始業の日。それで、生徒たちはちょっとあらたまった服装をしている。我々の一人が「何年生になったの?」って聞いたら、一斉に「11年生!」と応えてきた。日本の高校2年生ぐらい? それにしても、女生徒の一人が旧ソ連時代の制服みたいのを着ているのにちょっとビックリ!この制服、今でも活きているんだ! (2018年9月撮影)
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コーカサス山麓
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ソ連時代には、軍人にそれなりの権威があったから、こうやって父親か誰かの軍帽だのを身につけて兵隊さんごっこか何かをして遊ぶ子どもを見ることが時々あった。もっともこの子の父親(?)は勲章まで子どもに貸してしまっているから、あまりそういったものの権威を認めていない人だったのかもしれない。 (1984年8月撮影)
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グルジア軍用道路
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グルジア軍用道路沿いの町パッサナウリで出会ったグルジアの子ども達。この年の4月に首都トビリシでいく人もの市民がソ連軍によって殺傷されるという大きな事件があり、グルジアでは独立の気運が高まっていた。この子たちと別れるとき、そのうちの1人が色鉛筆でノートに描いた絵をお土産としてくれたが、そこには独立後にグルジア国旗となる民族旗が描かれたいた。 (1989年8月撮影)
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ブハラ
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ウズベキスタンの古都ブハラで見かけた男の子2人。乗っていた自転車から降りて撮影に応じてくれた。 (1991年12月撮影)
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ブハラ
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ブハラのカリヤン・モスク近くで出会った女の子。我々のガイドを勤めていたタジク人の青年に甘えているところ。 (2007年1月撮影)
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シャフリサブス
昼食をご馳走になったお宅のお嬢さん二人。黒い服を着ているのが妹で、16歳の女子高校生。サマルカンドの大学へ進んで日本語を勉強したいと言っていた。 (2007年1月撮影)
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ヒワ
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幼い弟が凍り付いた階段で転ばないように手を引いてあげている姉。 (2006年12月撮影)
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ヒワ
イチャン・カラの中で見かけた兄と妹。 (2006年12月撮影)
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ヒワ
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モスクの境内で土産物の露店を手伝っていた女の子。 (2006年12月撮影)
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ヒワ
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城内を歩いていたときに出会った男の子。こちらから頼んだわけでもないのに写真を撮られたがっていて、カメラを向けたらこんなポーズをしてくれた。 (2006年12月撮影)
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アシハバード
アシハバード空港の国内線ターミナルでマリへ行く便を待つ乗客が連れていた女の子。待ちくたびれてすっかり飽きてしまった様子だったが、それでもおとなしくしていた。 (1991年12月撮影)
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トロイツコエ (アムール河畔)
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村の博物館前で見かけた男の子。後ろの木柱はおそらく博物館の所蔵・展示品で、ナナイ族にとって宗教的な意義のあるものなのであろう。 (2002年8月撮影)
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