ティンダ


 祭りの雑踏の中で同じくらいの齢の男の子とにらめっこしていた女の子。可愛いので近づいて写真を撮ろうとしたらカメラに気づいて泣きだしてしまった。ごめんなさい。 (2001年3月撮影)


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シカチアリヤン (アムール河畔)


 シカチアリヤンの村はずれに船を係留してのグリーン・ストップ。食後に、みんなが参加できるゲームがあり、そのうちの一つに女性が草を編んで作った冠をかぶって何かをするというのがあった(説明が全部ロシア語だったので具体的に何をするのか私には最後までわからずじまいでした。ごめんなさい。)。その冠をかぶったハバロフスク在住の少女ナースチャ。この冠はゲームの終わりに川に流し、その流れ方によって結婚運を占うという意味もあるらしかった。  (2002年8月撮影)

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シカチアリヤン (アムール河畔)


 ナナイ族に伝わる宗教儀式の補助役を務めるために待機している女の子。これより前に披露された子どもたちの民族舞踊でも中心的な役目を果たしていた子だ。  (2002年8月撮影)



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シカチアリヤン (アムール河畔)


 学齢より前の子ども全員が入園するという村の幼稚園の年少組。子どもたちがとってもおとなしくしているのに驚いた。日本の高校生にこの子たちの爪の垢でも煎じて飲ませ、授業中はこのように静かにしているのがノーマルなんだということを教えたいほどだ。 (2002年8月撮影)



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ムルマンスク


 北極圏の都市ムルマンスクでは冬至前後の時期には一日中まったく陽が出ない。つまり、数時間だけ薄暮のような明るさになるとは言え、終日夜なのである。市内にある幼稚園を訪問したこの時も夜ではなかったのに、写真は夜間保育所のような感じになってしまった。こんな季節にはるばる日本からやってきた珍しい旅行者に園児たちのほうも興味津々。 (1986年1月撮影)



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ユルマラ


 ムルマンスクとは対照的に気候温暖の地ユルマラ(ラトビア)で、先生に引率されて通りを歩く小学校低学年の子たち。さきほどの厳しさからすると見ているほうもちょっとホッとする気分になれる。 (1987年8月撮影)

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ユルマラ



 ユルマラは海水浴場としても旧ソ連の中で有数の場所で、近くに住む市民だけでなく遠くロシアなどからの海水浴客も少なくなかった。海を見たらすぐに水の中へ入りたくなるのは世界中どこの子も同じ。 (1987年8月撮影)


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ナガリク


 バイカル湖西側の寒村ナガリクの村の文化会館の前庭で民族舞踊を披露して遠来の観光客を歓待するヤクートの少女達。

 下の写真は日本の同世代の女の子と一緒に記念撮影をしているところ。  (1994年8月撮影)

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ヴォログダ


 両親に連れられて知人の家での新年を祝うパーティーに出席した2歳のダーシャ。テレビでは、年越しの時間帯には型どおりにプーチンの新年の挨拶、クレムリンの12時を告げる鐘、そしてグリンカ作曲のロシア国歌と続き、その後はゴルバチョフだのチェルノムィジンだのがディスコのようなところで踊ったり喋ったりする得体の知れない番組が放送されていた。その頃にはウオトカがまわってだいぶできあがってきた大人たちは画面を見ながら「エリツィン、クダー?」なんてくだを巻いていたけど、本人はもうすっかり退屈してテーブルの下にもぐったり、....。 (2000年1月撮影)


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ヴォログダ


 北国ロシアでは子ども達の冬の遊びに橇が欠かせない。ほぼ同じ規格と思われる金属製のものが大量に出回っていてどこの町でも見ることができる。もちろん一人遊びもできるけど、小さな子や遊びに疲れた子はこうやって大人に引っ張ってもらうこともできる。 (2000年1月撮影)


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ノブゴロド


 ロシアの古都ノブゴロドにある古い民家を集めた公園の中。園内に設置されたブランコにのっていた子ども。兄妹か姉弟だろう。 (1988年8月撮影)


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路上の落書き (ノブゴロド)


 「子どもたち」の章に子どもが一人も写っていない写真というのも恐縮だが、ノブゴロド中心部の公園内の舗道で見つけた落書き。この場に子どもがいないにしても、公園で楽しく遊ぶ子らの様子が目に浮かぶようではないか。 (1988年8月撮影)


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