レニングラード



 屋外で行われたヨールカのお祭りの会場で、自分が乗るための金属製の丸い大きなお皿(橇)を運ぶ女の子。もちろん気温は氷点下。 (1986年12月撮影)



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レニングラード


 市内の広場で出会った子ら。真冬でも屋外で元気に遊ぶ。 (1985年12月撮影)


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レニングラード


 公園にいた仲良し2人。「あそこにあるの、見える?」「うん、わかる。」「こうなっているのよねぇ。」
 「もっと、よーく見てみようよ。」 (1987年8月撮影)

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レニングラード



 ロシアの民は今でも自然の恵みを素直に享受する。秋になれば誰もが森へ茸取りへ行くし、雀ヶ丘にあるモスクワ大学のまわりの林檎の実が熟すのはみんなが楽しみしているという具合。夏の終わり、レニングラード中心部にある芸術広場の木の下でも子ども達が木の実拾いに熱中していた。 (1984年8月撮影)

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レニングラード



 旧ソ連の時代、日本の修学旅行団のように子どもたちが集団で旅行している場面に出会うのは珍しいことではなかった。この写真を撮影したのはレニングラードの中心部にある芸術広場でだが、写っているのは地元の子らではなく遠くヴォルガ中流の都市サラトフから来た子たちだった。 (1987年12月撮影)

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ペテルゴフ



 レニングラード郊外にあるペトロドヴォレツは、下公園の噴水群で有名。絵葉書や観光案内の写真で見る立派な噴水のほかに子ども達が楽しめる仕掛け付きの噴水もいくつかある。この茸の形の噴水は上からの水が時々止まる仕掛け。その時を見計らって外へ出るか、外から入るかする。タイミングを誤ればもちろんびしょ濡れ。 (1984年8月撮影)

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ペテルゴフ



 フィンランド湾に面したテラスで母親に写真を撮ってもらっていた女の子。母親の許しを得て私もカメラを向けたのだが、はにかんでしまってこちらを向いてくれない。  (2005年8月撮影)


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コストロマ



 コストロマの街を歩いていた時、路上駐車している車の中にいた女の子がこちらを見ていたので撮ったのだが、カメラを向けられて怖がってしまったのかもしれない。  (2007年8月撮影)


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セヴェロバイカリスク



 バイカル湖のほぼ北端の町。この日、日中でも氷点下10℃よりも低い気温だったのに、学校が放課になった後から夕方まで街のあちこちで子ども達の歓声が絶えなかった。日本では路地から子どもの声が聞こえなくなって久しいものだから、それでよけい印象的だったのかもしれない。写真は、そんな子ども達の中の2人。 (2001年3月撮影)


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マリ



 トルクメン(トルクメニスタン)の町マリで、新年を迎えるお祭りに参加していた民族衣装姿の少女。 (1991年12月撮影)


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モスクワ



 ソ連の時代、モスクワの赤の広場では毎正時ごとにレーニン廟の衛兵の交代があり、その時刻になると地方からモスクワ見物にやってきた人達が廟の前に集まってきたものだった。大勢の人だかりで小さな子どもには見えなくなるので、こうやって親が抱き上げたり肩車をしてあげる光景が広場の随所で見られた。 (1990年8月撮影)


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モスクワ



 ゴルバチョフの登場以後、モスクワのアルバート通りをはじめ、各都市の人々の多く集まるところには、こうした似顔絵画家がたくさん出て、わりに短い時間で描く商売をするのがよく見られるようになった。両親に「せっかくだから描いてもらいなさい」と言われて座ったのはいいけど、じっとしているのはつらいし、自分がどんなふうに描かれるのかも不安だし..。 (1989年8月撮影)


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モスクワ



 お正月を前にした“ヨールカ”の季節になると子供達のための劇場ではそのための特別のプログラムを組み、冬休み中の子どもたちがたくさん集まる。モスクワにあるドーロフ名称動物劇場での集いにやってきた女の子。幕間にロビーへ出たらそこでも音楽が鳴っていて、思わずリズムに合わせてからだを動かす。 (1986年12月撮影)


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アルバート通り(モスクワ)


 ロシア外務省ビル近くのアルバート通りは、モスクワでの最初の歩行者天国。今では以前ほどの賑わいはなくなり、多少怪しげな雰囲気さえするところになってしまったけれど、この歩行者天国ができた当時はモスクワっ子よりもむしろ各地からの「おのぼりさん」がたくさん見物にやって来たし、またその人達目当ての土産物を売る露店や写真屋さんなども大勢集まり、モスクワで一番と言ってもいいほどに楽しい通りだった。 左の写真はその写真屋さんのセットの馬車で写真を撮ってもらおうとしている兄妹。でもいちばん下の子はどうもむずかってしまってダメな様子。 右の写真は、同じ通りでみかけた小さな女の子。乳母車の人形よりもそれを押している本人のほうがずっと可愛い。 (1987年12月撮影)

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モスクワ



 モスクワ植物園内を散策中に見かけた光景。乗ってきた自転車の調子がちょっと良くないのかな。 (2007年8月撮影)



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モスクワ



 モスクワ河港で船を見送る少女。家族か知人がこれから船旅に出るところなのだろう。 (2009年8月撮影)



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モスクワ


 モスクワ市南西部にある「オリンピック村公園」というごく小さな公園で、母親と一緒にいた子。女の子だと私は思っているのだが、男女どちらだと思います?背後にいる母親の服装も赤色、この子が座っている遊具も赤、地面も赤色なので、わかりづらいが、遊具は丸い腰掛け状のもので、座ったままいろいろな向きに向くことができる。感心したのは地面で、子ども達が怪我をしないように、クッション状のものが敷き詰めてあった。 (2016年3月撮影)


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モスクワ


 モスクワの中心も中心、赤の広場を出たところにあるマネージナヤ広場でマースレニッツァの催しが開かれていた。その中の何かのゲームの屋台でちょっと挑戦してみたり、眺めていたりする子たち。 (2019年3月撮影)


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ウラジオストク



 日本からの船が着くウラジオストク港ターミナル・ビルで知り合ったハバロフスク在住のナターシャ。屋内のロビーに置かれた噴水が、当時のソ連としては非常に垢抜けした印象を与えたものだった。  (1991年8月撮影)


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ウラジオストク


 市の中央広場に、中国牡丹江から来たチームの手によって素敵な氷の滑り台が作られていた。氷製の滑り台だから、その滑り具合と言ったらこれ以上のものはない!広場にやってきたこどもたちが大喜びで何度も繰り返し滑っていたのは言うまでもない。  (2007年12月撮影)


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ペルミ


 ペルミのメインストリートの脇にある広場に特設の会場が設けられて、氷りの滑り台や迷路などがいくつも置かれて、たくさんの家族連れが遊びに来ていた。場内に、太陽のイメージの大きな人形が立っていたので、マースレニッツァのお祭りだと思う。  (2018年2月撮影)

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ペルミ


 上の会場からいくらも離れていない所にある広場に設けられた特設のスケートリンク。ここにも家族連れが大勢来て、楽しんでいた。まだスケートができない子には金属パイプを曲げただけの補助具があり、これを使っているうちに短時間で滑ることができるようになる。  (2018年2月撮影)

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ペルミ


 上の二つの広場からは少々離れたところにあるゴーリキー公園で行われていたやはりマースレニッツァのお祭りの一風景。ここでは、氷ではなく雪山が作られていて、そこでどう遊ぶかは自由。雪の上を転げ回る子ども達の歓声が絶えなかった。  (2018年2月撮影)

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エカテリンブルク


 エカテリンブルクの「血の上の教会」の近くに、何か子ども達のためらしい施設があり、そこに池と林のある庭園が付属していて、大人や子ども達が遊びに来ていた。乳母車に乗せられてここを回っていた子が、乳母車から降りたところを、母親の許しを得て写真に撮った。  (2018年2月撮影)

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カリーニングラード



 カリーニングラード市内を散歩していたときに出会った中学生の一団。私が、ロシアに古くからある伝統的な毛皮の帽子をかぶっているのを見て、腹をかかえるようにして笑っていた。その笑い声に気づいて、写真を撮らせてもらった。たしかに、冬至過ぎの時期だというのに、そんなものをかぶっている人を一人も見なかったから、いまやロシア欧州部では、あの帽子は廃れてしまったのか。   (2011年12月撮影)


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ティンダ



 BAM鉄道局の置かれている沿線の町ティンダでは春の訪れが遅い。待ちわびた春がやってきて冬に別れを告げるマースレニッツァの日には広場に町中から人々が集まる。屋台も出るし、舞台もあるし、力比べの行事もあって日本の縁日と同じ。写真は広場で馬に乗せてもらっている女の子。 (2001年3月撮影)



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