聖イサク寺院


 市の中心部にある壮大な寺院。設計はフランスの建築家モンフェラン。寺院の名称はピョートル1世の守護者とされるビザンチンの修道士イサーキィ・ダルマーツキイに由来する。寺院内部の絵画・聖壇に劣らず破風のレリーフなども見事。外の柱にはレニングラード包囲当時の機銃掃射の弾痕が残っている。現在は宗教活動を営んでいるが、ソ連時代には博物館として扱われ、聖堂の中央部に「フーコーの振り子」が取り付けられていた。「宗教に対する科学の勝利」の象徴との説明だったが、いかにも場違いという印象を否めなかった。 (1段目:左から1990年8月,1993年12月,1997年12月,2段目:2005年8月,3,4,5段目:2011年12月撮影)

 3,4段目の写真の外装を見ても、6,7段目の写真の内装を見ても、贅の限りを尽くしていることがよくわかる。この教会の丸屋根には、別料金を払えば登ることができ、ペテルブルクの中心部に高層建築は無いので、ここから市の中央部を俯瞰することができる。   (6,7,10段目:2013年8月,8,9段目:2016年12月撮影)


 逆に言えば、この寺院の高い円屋根を市内の至るところから遠望できるということでもある。左はネヴァ川の対岸から見たもの。右は、センナヤ広場に近いあたりから撮った写真。センナヤ広場と言えば、ドストエフスキーの『罪と罰』の舞台になったあたりに近く下層の人々の吹きだまりのような所だったと考えられるが、そこと王侯貴族しか入れなかったような寺院とが言ってみれば目と鼻の先というのにも、あらためて驚く。江戸でも吉原遊郭の二階からお城が見えたりしたのだろうか。   (最下段:2020年2月撮影)

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カザン寺院


 ネフスキー通りのほぼ中央に位置する教会。イサク寺院のに似た円屋根を持つが、通りに向かって半円形に広がる回廊が特徴的。19世紀はじめにヴォロニンの設計で建てられた。この両翼に広がる回廊の天井に非常に明るい照明器具が付けられているのを私は最近まで知らなかった。   (上段左:1985年8月,同右:2011年12月,中段左:2017年1月,同右及び下段:2016年12月撮影)


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スパース・ナ・クラヴィー聖堂


 グリボエードフ運河の脇に立つ教会。モスクワ赤の広場にあるワシーリー寺院を思わせる色彩豊かなキューポラが特徴。アレクサンドル2世の暗殺された場所に建てられたのだという。近年になって大規模な修復工事が行われ今ではすっかり復元されているが、上段の写真を撮った当時はまだ工事は終わっていなかったような。 (1段目:1993年12月,2段目及び3段目右:2005年8月,3段目左及び4段目:2013年8月撮影)






アレクサンドル・ネフスキー修道院



 ネフスキー通りの東端にある修道院。ソ連時代も宗教活動を行なっていた。  (上段:1998年8月,下段:2017年1月撮影)


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スモーリヌィ修道院


アレクサンドル・ネフスキー修道院のそばを北に向いて流れていたネヴァ川が、大きく西に向きを変えるあたりにある修道院。18世紀に創設。  (下段中及び右:2016年12月,その他:2011年12月撮影)


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