ホリガーという作曲家


 ハインツ・ホリガーと言えば、今世紀最大のオーボエ奏者と思われたのではないでしょうか。確かに、あの優雅なバロック音楽の演奏をしているホリガーのイメージは、我々音楽愛好家の脳裡にしっかりと刻まれています。しかし、彼は作曲家としての業績もまた実に大きいのです。ニュー・グローブ音楽辞典でも、オーボエ奏者としてよりも、作曲家としての方が、より大きく取り上げられていることでも、わかると思います。
 オーボエ奏者としてもスーパーマンのような演奏力を持ち、かつ現代音楽の最前衛での活躍ぶりは表裏一体のもので、オーボエという楽器に無限の可能性を探求する姿勢と(武満徹氏をはじめ数多くの作曲家が彼のオーボエを前提に曲を作り捧げている)、自ら表現の場を無限に広げて行こうという姿勢は、実は同じ地平に立ってこその世界ではないでしょうか。

 例えば、彼の「わき道で」というスイスのロベルト・ヴァルザーの詩に曲を付けたというか、それにインスパイアされて、新たなスイスの音楽を作ろうという試みは、試みとして意義のあることだと思います。
 カウンター・テナー(最近何故だか流行っていますね。世紀末現象の一つかな?)とクラリネットとアコーディオンとコントラバスという編成は、そう、アルプス地方でよく耳にする民俗音楽の楽器編成に似ていますね。
 ヨーデルの裏声を意識してカウンター・テナーを使ったのでしょうが、このようなスイスの民族音楽へのこだわりが、彼の作曲の基礎になっているのかも知れません。
 しかし、この苦渋に満ちた音楽はどうでしょう。九〇年代始めの音楽としては前衛の方向性が迷走し、世界の価値観が急激に変わる中で、旧来の音楽語法への一部での回帰と精神性の同居、コラージュ手法やミニマリズムの影響といった前衛が崩壊しつつある中で、自己のある音楽がどうあるべきか探っているような真剣なまなざしがこの音楽の中にあります。
 シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」のような、甘美で退廃的で自虐的で絶望的な世界が終曲に向かって広がってゆきます。

 ホリガーはハンガリー生まれのバルトーク、コダーイの師事した作曲家、民族音楽学者のシャーンドル・ヴェレシュにベルンの大学で作曲を習っています。
 この人のことはまた今度…。

 この「わき道で」という曲が入ったCDには「アルプスと妖精の音楽」という楽しいというか、いささか意表をつかれるような音楽も入っています。ヴァレーの谷に伝わる民話のナレーションに合わせて音楽が進行していくといったものなのですが、スイスの民族音楽の楽隊の演奏にインスパイアされて作られただけあって、現代音楽が苦手の方にも聞いていただけるものになっているかも知れません。
 この音楽も同じ九〇年代始めのものなのですから…。
 ホリガーという人の多様性に触れることのできる作品かも知れません。ノー天気な音楽の背後に驚くほどの深淵がパックリ口を開けているような、印象に深く残る音楽です。
 オーボエの為の作品もありますが、今回はこんなところで終えましょうか。このCDはECMというレーベル(発売元はポリドールです)から出ていて番号はPOCC-1028です。現代音楽は嫌いという人は買わない方がいいでしょうねぇ。でも興味がある方はどうぞ。まず「アルプスと妖精の音楽」を聞いてみて下さいね。少し慣れてきたら、一曲ずつ「わき道で」を詩を読み、解説もよく読んで(彼の文学的教養の深さには驚かされます)理解を深めながら、音楽を聞いて味わいましょう。
 それでも「つまらなかった」という方はどうぞ中古CDにでも出して下さい。