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シチリア王国の歴史 <History目次へ>

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フェーデリコ2世
Federico U


シチリア王(1198-1250)   神聖ローマ皇帝(1212-1250)

”世界の驚異”と呼ばれた天才皇帝。



グリエルモ2世が死ぬと、シチリア王国の王位を継ぐ嫡子がなく、混乱の末、その王冠はドイツのホーエンシュタウフェン家のものとなった。
ルッジェーロ2世の娘であるコンスタンツェが、ホーエンシュタウフェン家に嫁ぎ、この王冠を同家にもたらしたのである。皇帝ハインリッヒ6世とコンスタンツェとの間に生まれたフェーデリコは、やがて皇帝位とシチリア王位を継ぐことになる。

フェーデリコは、ドイツの家系に生まれたのだが、幼い頃からシチリアで養育された。ドイツに滞在していた期間は、生涯の中でも限られており、生粋のシチリア人と言ってもよい。歴代シチリア王と同じく、様々な宗教と文化が混在するシチリアの環境で育ったのである。そのため、歴代王の伝統を承継し、アラビア語をはじめとするいくつもの言語に堪能で、北の国の君主とは全く違った知性の人となった。
王国の遺産である官僚制度を受け継ぎ、中世ヨーロッパで最初の国法典「シチリア王国法典」を発布し、近代的な統治システムを確立しようとした。多くの学者や文化人たちが宮廷に集まり、フェーデリコ自身もシチリア口語による詩を詠んだ。ノルマン宮殿の壁にはイタリア文学発祥を記念するレリーフがあるが、その図像の中心にいるのはフェーデリコその人なのである。

例によって、王国では大勢のアラブ人官僚が働いている。また、フェーデリコはイスラム教徒の親衛隊をもっていた。イスラムびいきのシチリア王の伝統を保ち続けていたのである。そんな調子の君主だったから、教皇からはいたく嫌われた。
言われたとおりに十字軍に行かなかったとして、教皇から破門されたりした。結局、重い腰を上げてエルサレムに赴くのだが、武力を行使せずに交渉によってエルサレムを取り戻す。おまけに、交渉を通じてイスラム君主と仲良くなったりして、これまた教皇からは不評であった。やはり、異教徒を血祭りにあげないと十字軍の意味はないのである。

この皇帝と教皇の対立は、ギッベリーニ対グエルフィという党派対立をイタリアにもたらした。とくに北イタリアでは、都市内部の抗争と結びつき、内ゲバの悲劇を生んだ。
フェーデリコは、イタリア全土を力で押さえつけようとしたがダメだった。”世界の驚異”と言われた天才皇帝だったけれど、混乱を収拾できないままに死を迎える。

彼の死後、フランスのアンジュー家のシャルルが、教皇の要請を受けて南イタリアに侵入してくる。残されたフェーデリコの王子たちはこれに立ち向かうのだが、いずれも戦いに敗れてホーエンシュタウフェン家は滅ぶ。
以後シチリアは、フランスやスペインといった大国の領土の一部となった。イスラム教徒の姿は消え、異文化共存の伝統も失われる。フェーデリーコの死によって、シチリア王国の栄華も終焉してしまった。


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