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この修道院は、シチリア王国の始祖とも言うべきノルマン人たち、オートヴィル兄弟の墓所となっていた。鉄腕ギョーム(グリエルモ)、ドロゴーネ、オンフロワ、そしてロベール・ギスカール(ロベルト・ギスカルド)が埋葬された。後代の歴史家がロベールの墓碑銘の記録を残している。「ここに世界の恐怖ロベール・ギスカール眠る…」。しかし、その墓碑銘は今はないらしい。もっとも、ホントにあったかは疑わしいのだが。実際に残っているのは、ロベールの最初の妻だったオーブレの墓石のみ。
謎のプロフェッサー?
この修道院は、古代ローマ時代の遺構が残る考古学地区の一角にある。かなり広い範囲の発掘地域が保存されており、ローマ時代のモザイクの床などを見ることができる。困ったのは、広大な敷地がフェンスで囲まれていて、最初、入り口が見つけられなかったこと。
フェンスの前で立ち往生していると、一台の車が止まった。中から、分厚い本と資料を手に抱えた初老の男性、そして、これまた資料を抱えた若い女性が出てきた。
”開いてないのですか?”(イタリア語)
と聞かれた。その様子から、考古学か中世史の調査にやってきた研究者とその助手に違いないと思った。この手の人たちと同行できれば、何かいいものが見られそうである。ちょうど私は、ガイドブックを読み直し、管理事務所に申し込む必要があることがわかったところだった。事務所の場所はよくわからない。ただ、遠くに見える教会のような新しい建物が怪しかった。そこで、”たぶん、教会のそばの事務所に頼む必要があります。行きましょう”と言って、その初老の男性と事務所まで行くことにした。
さて、それまでイタリア語で話をしていたのだが、歩き始めると、この人が地図を広げながらブツブツ独り言を言ってる。
"… drived long distance!"
あれ?イタリア人じゃないの、この人。
炸裂するイタリア語
目をつけていた建物はやはり管理事務所で、そこが考古学地区の入り口にもなっていた。
さて、同行した謎のプロフェッサーは、さっそく事務所の職員にイタリア語をまくしたて、なにやら交渉を始める。いったいこの人は何人なのか。しかし、職員とのやりとりは、イタリア語がよくわからない私にも、変であることだけは分かった。互いにイタリア語を話しているのに、何とも意味が通じ合っていない様子なのである。
なかなか埒が開かないことにいらだった謎のプロフェッサーは、最後の手段に出る。
10000リラのお札。これを職員に差し出す。
確かにこれは、相手に断られたときの最高の武器である。しかし、職員の方は苦笑して”チケットは要りません。ただです。入れます。”とのご返答。何だ、入れるんじゃないですか。しかも無料で。
それでも、プロフェッサーは負けない。またお札を突き出す。完全に会話が成立していない。
結局、私と職員との間で”教会の中に入っていいですか?””もちろん”の二言で決着が着く。職員が私に説明したところによると、教会部分の見学は右端の建築途中の部分だけで、古い時代のところには入れないということだった。
中に入れることが分かると、謎のプロフェッサーの方は、すたすたと出口の方に行ってしまった。そうそう、女性をだいぶ遠くに置いて来てしまったのだ。
私の同類か?
さて、私が先に教会の中で見学していると、謎のプロフェッサーが女性を連れてやってきた。
そして、分厚い本を開いて私に見せる。
”これはどこ?”
彼が開いた本には、教会の扉の写真が載っていた。知らないと答えると、別のページをめくって、”これはあった。すばらしい。でも、これが見たい。”と元のページを私に見せる。その本は、イタリアの教会建築の本らしかった。
ついでに、彼が持っていた、たくさんの”資料”をよく見ると、全部観光案内や写真集のようなもの。謎のプロフェッサーは、本当のプロフェッサーではなかった。話を聞いてみると、イギリス人で、私のような中世史愛好家のような人だった。
とりわけ、建築物に興味がある人だった。確かに、トリニタ修道院は、建築様式としてはユニークなものだし、建築途中で放棄されている点でも他になかなかない。マニアにはたまらない、というスポット。
その日の朝、彼はアマルフィのホテルを出発し、どこにも寄らずにヴェノーサまで来たとのこと。ずいぶん遠い距離を一目散にやってきたわけだから、力の入り方が違うわけだ。
彼から、今日はどこから来たのかと聞かれ、メルフィから来たと答えた。すると、彼の方はしばらく絶句して私の顔をまじまじと見る。メルフィという街を知らないのかと思い、説明しようとすると、彼の方が口を開いた。”メルフィにはすばらしい塔(Torre)がある。是非とも行きたかったが、時間がなくてまっすぐヴェノーサに来てしまった。”とのこと。ちなみに、この辺りから英語とイタリア語がごちゃまぜになってる。
この修道院といい、メルフィといい、マイナーな観光地に力を入れる外国人観光客も珍しい。彼の絶句の表情は、マニアがマニアに向ける羨望と悔しさから出たものだった。このマニア同士の勝負、私の勝ちであった。
記念写真撮って大丈夫?
で、彼の正体は判明したものの、そうなると若い女性の方は、明らかに”助手”ではない。マニアに助手なんかいらない。二人はイタリア語で話をしていたし、娘でも孫でもないはず。ガイドだとしたら、管理事務所との折衝は彼女の方がやったはず。うーむ、消去法で考えて行くと、イタリア的な、然るべきある結論に達してしまいすよね。
謎のプロフェッサーは、例の本に載っている部分を見つけると、”これ、これ!”と大はしゃぎ。女性の方は、あまりこの類の歴史的建造物には興味がなさそうだった。それでも、大はしゃぎする彼を、半分あきれながらも、暖かい眼差しで見守っている。
なかなか良い雰囲気なのだった。やはり…。
そして二人は、記念写真を撮って、私よりも先に行ってしまった。
マニアとしては私の勝ちであったが、旅の楽しさでは彼の勝ちだった。試合に勝って、勝負に負けた感じ。…ちょっと、違うか。