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標識に従って道を行くと、やがて港に出ることができた。意外に街は近かった。と安心したものの、街の様子が変。店が全部閉まってる。そして、ホテルも閉まってる。街には人の姿が見えない。完全に休み切っている。どうしよう。
観光客は一人だ!
結局、しばらくウロウロした後で、あるホテルの裏口の戸をたたく。宿泊OK。どうやら、その日(1997年3月)、オトラントに宿泊した観光客は私一人だったようだ。その晩、一件だけ開いていたレストランの客は私と地元の人1名だけ。そのホテルの朝食も私一人分しか用意されていなかった。
モザイクに感動
そんな辺鄙なところ(実際、イタリアの東の果て)までやって来たのは、この大聖堂がどうしても見たいと思ったから。
床のモザイク画がすばらしい(暗くて写真は撮れなかった)。モザイクと言っても、本家ビザンツ帝国流の絢爛豪華なものとは異質のもの。ゲルマン的な素朴さが入り交じっていて、独特の魅力がある。描かれたのは12世紀で、ビザンツ帝国領からノルマン人の支配下に移行した時期。その時代的な背景がよく現れているように思う。作者は地元の工匠パンタレオーネ。
オトラントは、1480年オスマントルコによって占領され、住民800人が殺されるという事件を経験している。犠牲者の頭蓋骨は、大聖堂の奥にある礼拝堂の壁一面に安置されている。
オスマントルコ軍はアラゴン家によって敗退させられ、その後、この城が造られた。
オトラントの旧市街は、すごく狭くて家が寄り添うように建っている。街を歩いてみると、街全体が一つの要塞になっているように思える。中世ヨーロッパの都市は、どこでも城壁を備えた堅固なものだけれど、この街の構造にはさらに強烈な緊張感が感じられる。