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そもそも、イタリア半島内に、巨大なイスラムコロニーがあったこと自体に驚くけれど、そこに皇帝が同居していたということにはもっと驚く。
右上の写真がその宮殿の跡で、基部しか残っていない。フェデリコの死後、けしからぬ宮殿ということで、シャルル・ダンジューによって破壊されてしまっている。もったいないことだが、怪しい雰囲気を醸し出す宮殿がよほど我慢ならなかったのだろう。
偉大なハイキングコース
当初、この城跡には、ガイドブックに出ていた開城時間に行ってみたのだけれど、入口に鍵がかかっていて中に入れなかった。
旅行の日程からして、再びルチェーラに来ることは無理。せっかく来たのだからと、とにかく城壁の外を歩いて一周することにした。
イスラム教徒居住区の跡地は、後にアラゴン家の城となり、巨大な城壁が巡らされている。中はからっぽで、城壁に沿ったところに、所々に建造物の跡がみられる。外周を廻れば、それなりに見学ができると踏んだのである。
しかし、とにかく広くて参った。サッカーと野球と槍投げと400m走(直線方式で)が同時にできそうである。
これだけ広いと、あっちの城壁が破られたと聞いて駆けつける頃には、敵が中央部までたどり着いてしまうのでは? 巨大過ぎて守りにくい城だったのではなかろうか。
私の場合、のんびりと歩いての話ではあるが、一周するのに一時間近くかかった。ちょっとしたハイキングである。
で、ちょうど一周して戻ってきたところで、係のおじさんが城門を開けに来てくれた。ガイドブックの記載は、1時間ずれていたのだった。なんてことだ!
まあそれならと、中に入ったわけだが、またもハイキングを続けることになる。
広い原っぱの中央部には何もないわけで、いろんな建造物跡を見るにはやっぱり周回するしかない。結局、巨大な城跡を2周もすることになった。
もうへとへと。
最後に、係のおじさんがルチェーラの観光パンフレットと地図をくれて、街の観光スポットを教えてくれた。
城を出た後も、役所のバッジを付けた青年に道を教えてもらった。マイナーな観光地ながら、観光には力を入れているようだった。
フェデリコファン必見の博物館
ルチェーラは、フェデリコが住んだ街だけあって、彼の遺物を見学するには最高の場所である。
市立博物館では、宮殿跡から発掘されたフェデリコゆかりの遺物が見られる。もっとも、ほとんどの展示物の説明書きに”?”が付いている。”瓦の破片?””食器の破片?””フェデリコ時代の?”要するに、何であるかが確定できていないものがやたらあるのだ。見ている方は、”そうなんですか?”と返事するしかない。けれど、破片とはいえ、大変美しい色ガラスなんかがあって、華やかだったであろうかつての宮殿の様子を窺い知ることができる。
もちろん、”?”なしのちゃんとしたモノもあった。うれしかったのは、フェデリコの肖像が彫られた金貨があったことだ。これは、歴史の本でも度々登場する有名なもの。実物を見るのは初めてだった。
ところで、余計なことだけれど、何故かこの街、美男、美女が多かった気がする。顔つきがくどくなくて、雰囲気があっさりしているような…。あまりイタリア人臭くないのである。
かつてのイスラム教徒の子孫だから? まさかね。