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Santa Maria di Leuca

サンタ・マリア・ディ・レウカ<2004年>戻る

到達することに意義がある

プーリアを初めて訪ねたのは1997年のこと。そのとき以来、行ってみたいと思いつつ、果たせなかったのがレウカ岬への到達だった。
確か、最初のプーリア旅行から数ヶ月後のことだったと思う。NHKのTV番組で、小椋圭がレウカ岬を歩いている映像が流れた。外国の作家の足跡を小椋圭が訪ねるという趣向の番組だったのだが、その旅の最後の到達地点がレウカ岬だった。
やはり、サンタ・マリア・ディ・レウカこそが、南イタリアの旅の最終地点なのだ。あの岬に立たずして、私のプーリア旅行は終わらない。そのTV番組を観て、そんな想いが募った。


けれど、あれから何度もプーリアを旅しながら、レウカ岬まで足を伸ばすことは一度もなかった。
到達の夢を果たせなかったのは、プーリアに出かけるのが冬場ばかりだったからだ。シーズンオフとなる冬場は、バスの便が極端に少なく、レッチェからの日帰りは難しそうだった。
しかし2004年夏、ようやくチャンス到来となった。その年の3月に予定していた旅程を先延ばししているうちに、出発が7月にまでずれ込むことになったのである。夏ならバスの便がある! レッチェから楽々と日帰りができる!
というわけで、この2004年夏の旅行計画は、まずレウカ岬への訪問を決定するところから始まった。


到達すること以外の意義

しかし、いったい私は、レウカ岬に何をしに行くのか?
冷静になって考えてみると、サレント半島の南端というだけで、それ以上の意味はない。レッチェでレウカ行きのバスに乗り込み、いよいよ長年の夢が果たされようというときになって、今さらながら、そこまで出かけることの意味に疑問を感じ始める。

案の定、実際に行ってみてよくわかったことだが、レウカ岬はやはり、どうせ行くなら海水浴の支度をして、ちゃんと長期滞在すべきだ場所であった。
私が乗ったバスも、終点レウカが近づく頃には、乗客は私一人になってしまった。みんな、途中のキャンプ地や別荘に行くのが目的だからだ。レッチェで泊まったペンションのオーナーの話では、サレント半島を囲む海は、イタリアの中でもその美しさが際だっているとのこと。夏は、海水浴目的で長期滞在する人たちがヨーロッパ中からやって来る。
レウカもまた、そんな真夏の海のリゾート地の一つなのだ。だから、私のように、たった一人でカメラをぶら下げてやってくるような観光客は珍しい(というか、かなり異様)。

やはり到達することだけに意義があった

ともあれ、海以外の見所としては、岬の丘の上にある聖所記念堂と灯台しかない。バスを降りると、海水浴客たちで賑わう港を素通りし、坂道を登って岬の丘を目指した。
バスを降りてから15分ほどで、丘の上の聖所記念堂に到達。全身汗だくとなる。
かくして、全てが終わった。

到達することにしか意味がないため、着いてしまうと何もすることがない。
とりあえず、海や港を見下ろしてみたり、灯台の写真なんかを撮ったりする。しかし、それも長くは続けられない。灼熱の太陽の下、何もしないで立っているだけだと、気が遠くなったりする。辺りを適当に一周したところで、バールが用意したビーチパラソルの下に避難した。
そこで珍しい味のぬるいコーラを飲みながら、時間を潰す。ただひたすら時間を潰す。

それにしても、何というムダであろうか。いや、凄まじいほどの贅沢と言うべきか。この場所に立つだけのために、かなりの時間とお金を浪費している。同じ時間とお金をかけるなら、ヴェネチアあたりに行った方がよほど楽しかったに違いない。
まあ要するに、そのどうでもいい場所になぜか惹かれてしまうのが、私にとってのかけがえのないプーリアなのだと思う。
そのばかばかしさに呆れながらも、帰りのバスの中では、今度はどんな目標地点を定めようかと考え始める私であった。

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<旅行メモ>

レッチェから夏場だけサレント・イン・バスの便がある。
Gallipolli経由の直通便は時間がかかる(ただし、海岸線を走るため風景がきれい)。時間を優先するならMaglieで乗り換えるルートをとった方がよい。

ちなみに、かつての某ガイドブックには、Sud-Est線のGalliano駅から「歩く」という荒業が紹介されていたことがあった。不可能ではないと思うが、歩く距離は半端ではない。