Gallipoli
ガッリポリ <1997年>
プーリアの江ノ島
ガッリポリという地名は、ギリシャ語の”美しい島=カレ・ポリス”がなまったものだと言われている。イオニア海に浮かぶ小さな島。半島からあまり離れていないため、短い橋がかけられていて、あまり島という実感はない。
この島には、バロック様式の装飾性の高い建物が多いし、たぶん、上から眺めたらかなり美しい島ではないかと思う。しかし、半島側には小高いところもないから、島を一望できる場所がない。島に渡ってしまうと島が見えない(これを観光における”モン・サン・ミッシェル問題”と言う)。
もっとも、私が行ったときには、半島側の橋の付け根あたりに高層ビル(マンションかホテル?)が建築中だった。このビルが完成すれば、なかなかの景色が見られるのではないか。
子どもたち 1
島の中の旧市街は狭い。道も狭い。そんな中でサッカーをしている子どもたちがたくさんいた。旧市街に立ち並ぶレッチェ=バロック様式建築の真骨頂は、この教会のファサードに見られるようなゴテゴテした装飾である。細かな彫刻が施してあるが、古くて今にもこぼれそう。そんな壊れやすい歴史的建築物にボールが当たったらどうするのだろう、なんてことは考えてないらしい。
この教会の壁にも思いっきりボールを当てて遊んでいた。教会の壁の前に立っているのがゴールキーパーの子だった。
子どもたち 2
ガッリポリからSud-Est線でレッチェに向かう途中、幼稚園の遠足と思しき一団と乗り合わせることになった。40人くらいの子どもたちと、3人くらいの保母さんの集団。
車両は席がいっぱいになってしまって、保母さんたちは立ったまま。ただし、座席は3人分空いていた。私の隣りに1人分、正面に2人分。すごく混んでいるのに私の周りだけ誰も寄りつかない。ただし、子どもたちは怪し気な東洋人の方が気になって仕方がないようだった。警戒しながらも、ちらちらと私を見ている。
ついに、1人の女の子が手を挙げて保母さんに質問。
”あの人は誰ですか?”
あの人というのは私のことである。困った保母さんは、おそるおそる私に話しかけて来た。
”子どもたちに頼まれてしまいました。あの…、中国人ですか?”
”いえ、日本人です。日本から来ました。”
それを聞くと、保母さんは質問した女の子のところに戻り、さっそく報告である。
”みなさん、あの人は日本人です。”
子どもたちはどういうわけか大喜びで、日本人だ、日本人だと騒いでいる。それだけ受けたんだから、1人くらい寄ってきてもよさそうなものだけれど、みんな遠くから私を見てるだけ。
この一団は、私より先に小さな駅で下車。質問した女の子だけが、最後に私に小さく手を振ってくれた。
<旅行メモ>
レッチェからSud-Est線で。レッチェから直通で行ける列車がある。けれど、途中、Soleto,Nardでの乗り換えに注意が必要。
Gallipoli駅を降りたら、駅前の道をひたすら右へ(西の方角)。駅前から島までのバスが出ているが、バスでいきなり島に着いてしまうと、モン・サン・ミッシェル問題に直面することになる。歩いて橋を渡る方がよいと思う。
島の中のホテルは一軒しかなかった。橋を渡ったら、島の縁に沿った道を右に行ってすぐのところ。半島側の海岸線にはリゾートホテルが多い。ただし、島からは遠いから都市観光には不向き。