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Canosa di Puglia

カノーザ ディ プーリア  <1998年> 戻る

予定変更の一日

カノーザに行く予定はなかった。ホントは、バルレッタから世界遺産にもなっているカステル・デル・モンテ(フリードリッヒ2世が建てた城)に行くつもりだった。ところが、3月だと言うのに、雪は降るわ冷たい強風は吹くわで体力消耗。バルレッタのインフォメーションが閉まっていて、カステル・デル・モンテへの交通手段の情報が得られなかった。無理に行けば、陸の孤島のような場所で凍えるに違いないと思い断念した。
というわけで、余った一日の日程でカノーザに向かう。

実はその前日、ヴェノーサからバルレッタに向かう列車の中で、怪しげな東洋人に興味をもった高校生集団に取り囲まれ、彼らと話をする機会があった。”今日はバルレッタに行く”と私が言うと、高校生の女の子から”カノーザには行かないの?”と聞かれた。
カノーザには、ロベルト・ギスカルドの息子ボエモンド1世の墓がある。興味はあった。そういう質問が来るからには、それなりの観光地なのかもしれないと思った。そこで、もしかすると行くかも知れないと答える。すると彼らは、その答えに、互いに顔を見合わせながら大変喜んでいた。地元の高校生たちにとって、外国人がマイナーな名所に来てくれることがそれなりに嬉しかったのだろう。
そんな義理もできてしまい、ボエモンドの墓を観に行くことにしたのだった。

街はどこだ?

というわけで、あまり準備ができていない状態でカノーザの駅に降り立つ。
やはり、毎度のことながら、”街はどこだ?”と呟く羽目に。
たぶん、街は丘の上にあるだろうという目論見で坂道を登り、街の人に道順を聞いて、お目当ての赤いクーポラのある教会にたどり着いた。

ところで、ヨーロッパを鉄道で旅行していると、車窓から小高い丘に教会や城塞のある小さな街をたくさん見ることができる。いつも、どんな街か観てみたくなり、途中下車したい衝動にかられる。だが、短期間で慌ただしく旅行する私にはその余裕がなく、実際に実行に移したことはない。
カノーザは、そういった衝動が無意味であることを教えてくれた街でもある。カノーザは、ボエモンドの墓を除けば、まさに車窓から見える平凡な小さな田舎街だった。ちょっとした商店街があり、ありふれた住宅があり、そして中心部に、それなりの歴史のある教会がある。こうした街は無数にある。
まあ、こういう街を観るのも確かに悪くはない。ガイドブックには決して掲載されることのないちっぽけな街でも、かなりの歴史があり、市民には郷土への伝統的な誇りがある。が、途中下車してまで観るほどのものではない、ということがよく分かった。一瞬にして観光が終了してしまう。しかし、帰りの列車は何時間も待たないとやって来ない。よほど好奇心旺盛でないと、瞬間的に飽きる。もっとも、こういうことは、一度やってみないことには納得が行かないもの。私はこれで卒業である。

ばかでかいボエモンド

さて、ボエモンドは、父ロベルト・ギスカルドのギリシャ遠征に同行してビザンツ帝国の軍を破り、後には第1回十字軍を成功に導き、ヒーローとなった人物である。
ボエモンドというのは、本名のようで本名でない。生まれたときは別の名前だった。父ロベルトが”ばかでかいボエモンド”という笑い話を聞かされて大ウケ。それ以降、息子をボエモンドと呼ぶようになり、本名が使われなくなった。戸籍なんかない時代、それで良かったのである。

そして、この人の人生もまた、笑い話で彩られることになる。
ボエモンドが参加した十字軍一行は、コンスタンチノープルに立ち寄った。ボエモンドは、そこでビザンツ皇帝から贈り物をもらうのだが、一度は”バカにするな!”とばかりに突っ返してしまう。ところが、翌日にはニコニコして”やっぱりいただきます”と言ったとか。その後、途中でシリアのアンチオキアの支配者として居座り、なかなかエルサレムに行こうとしなかった。聖地そのものにはあまり興味を示さなかったのである。
東方からイタリアに戻ったときには、キリストの荊の冠を”二つ”も持ち帰った。もちろん、二つともホンモノである。私たちは両方ともニセモノだと考えるが、当時の人は両方ホンモノだと思っていた。聖遺物とは、そういうものなのである。ボエモンドは、これをかぶってパレードをやったそうだ。

とまあ、この人に関する逸話は数知れず、どれも苦笑を誘うものばかり。ただし、この人の軍事的才能は父ロベルト・ギスカルドに匹敵するものがあった。第1回十字軍の成功は、このボエモンドの功績によるところ大なのである。 ボエモンドは、良くも悪くも、十字軍の性格を体現したような人物だった。

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<旅行メモ>

バルレッタからSpinazzola行きの国鉄ローカル線で。

このローカル線は、日曜日には全面的に運休となるシロモノ。駅員さんも日曜日となるからである。従って、カノーザ駅も日曜は閉鎖される。そのかわり日曜はバスの便がある。
そういう調子だから、平日の便数でさえわずか。夕方に行こうものなら帰って来れないかも。

なお、この路線は、途中で車窓からカンネーの街の遺跡がちょっとだけ見えるオマケ付き。有名な「カンネーの闘い」のカンネー。