プーリアへ行こう!目次 プーリアの歴史 旅のエピソード リンク集バジリカータ州の街
フォッジァ地方の街 バーリ地方の街 ターラント地方の街 ブリンディジ地方の街 レッチェ地方の街

Barletta

バルレッタ  <1998年> 戻る

ヴェネチア人の落とし物

バルレッタは、プーリアの中では比較的大きな街で、歴史もある。でも、いまひとつ見所が少ない。この巨像が街のシンボル。かなり大きな像だが、あまり感銘を受けるようなものではない。これは、札幌のアレとか、高知のあの橋とかに匹敵する名所と言える。
しかし、この巨像の由来はなかなかおもしろい。もともとはローマ帝国末期の皇帝像だったらしい。ヴェネチア人は、東方からお宝を買ってきたり盗ってきたりして街を飾りたてた。この巨像も、サンマルコ広場とか商人の邸宅に据えつけるために運び出されたものだったのだろう。彼らは、コンスタンチノープルからこの像を運び出した。それが、海難に遭って、このあたりの海岸にポチャン。それをバルレッタの人が拾ってきてここに立てちゃった。
ローマ人がつくったにしては、いまひとつ洗練されていない感じがするが、それは、一度腕や脚が切り取られたためらしい。腕と脚は修復時にくっつけられたもの。

バルレッタでの見所は、城くらいなものだろうか。城は、美術館になっていて、フェデリコ2世の胸像がある。

禁煙のバールなんてあるの?

イタリアは、喫煙に関してはかなり寛容というか、いい加減な国である。公共の場を禁煙とし、高額な罰金を定める法律は一応ある。空港などには罰金を警告する掲示板があったりする。しかし、その掲示板の前でタバコを吸う人の群があり、その中には煙を吐きながら警官に話しかけたりする者がいたりする。
空港には灰皿が用意されていないのだが、ほとんど全てのゴミ箱のふたが裏返しにされ、灰皿になっている。これまた灰皿にぴったりのふたなのだ。はじめた見たときはちゃんとした灰皿だと思っていたくらい。
バールと呼ばれる立ち飲み喫茶店の床は、これまた灰皿と化しているが普通。歩道も公園もまた然り。

バルレッタのバールで、私はエスプレッソを注文しながらたばこに火をつけた。その直後、壁に"VIETATO FUMARE"(禁煙)と小さく書かれているのを発見。あれっ?と一瞬思ったが、立派な灰皿がいくつも置いてあるので実態としてはOKかと思った。ところが、エスプレッソを出してくれたお姉さんから抗議を受ける。本気で禁煙にしているとのこと。灰皿は、禁煙破りの輩に火を消す場所を提供しているだけのものらしい。よく見るとどれもピカピカで、私よりも前に使用した後がない。
いやびっくり。ミラノならわからないでもない。この南イタリアの田舎街で、店を禁煙にするというのはあっぱれである。

バルレッタの決闘って何だ?

有名な”バルレッタの決闘”ゆかりの場所、という名所もある。が、いきなり「有名な」と書いたものの、私自身、ここを訪ねたときはこの事件に関する知識はゼロ。何のことだかわからなかった。
バルレッタの名は、この決闘事件で有名ということになっているため、あなどれない話である。後で調べてみると、イタリア人の民族意識にとって重要な一件であったことがわかった。ときは1503年、フランスとスペインがイタリアの覇権を争っていた頃の話。フランス人の軍人が、一緒にスペイン軍と戦ったイタリア人たちをバカにする態度をとったのが発端だった。これに怒ったイタリア人が、決闘を申し込むという事件に発展した。決闘は、フランス13人、イタリア13人の対等な戦力で行われ、イタリア人が勝利した。当時のイタリアは、物量作戦で来る大国フランスになす術もなく蹂躙され、惨めな思いをさせられていた。しかし、この決闘は、”同じ人数なら勝てる”ことを証明してくれた(ということになっている)。このときのイタリア人部隊は、各地方の代表者の集団という編成になっていた。めずらしく、一致団結の軍事行動だった。
というわけで、イタリア人としての民族意識に目覚め、外国による支配に危機感を募らせていた当時の知識人たちが、このエピソードを書き残している。マキャベッリの「君主論」にも、この事件を意識した記述がみられる。
戻る

<旅行メモ>

バーリから国鉄で行ける。
ICに乗れば30分程度。便数もある(この地方にしては比較的多いという意味)。