日付 ポイント 最大深度 潜水時間 水温 透明度
1 11月20日 BLUE HOLE 39.5m 40分 26℃ 30m
2 FINGER REEF(Apra Harber) 13.3m 43分 26℃ 20m
3 11月21日 TOKAI MARU/SMS CORMORAN(Apra Harber) 24m 46分 26℃ 10m
4 WESTERN SHOALS(Apra Harber) 18.2m 69分 26℃ 8m
5 11月22日 THE CREVICE 36.1m 29分 27℃ 15m
6 FINGER REEF(Apra Harber) 12.8m 50分 27℃ 10m

旅行記の最後に残っているMANIHIへ行く途中、成田空港の待ち時間に急遽決定したのが、このGUAM旅行でした。

旨く休暇を取れば5日間休めることから、名古屋出発で、安く行けるこという事で決定しました。

11月19日20:25分発コンチネンタルミクロネシア航空972便に乗り、0:45サイパン着、1:25分発、2:05にようやく到着です。

早速空港から電話で予約、私は2度目のGUAMになります。

到着した時にはすでにふらふら、しかも翌早朝からダイビングの予約が入っているので、さっさと寝ました。

ホテルは、タモンベイ・キャピタルホテル。高台に立つ小さな綺麗なホテルでした。

おそらくホテルには、3:30頃到着したんだと思います。

自社艇を有してないようで、色んなお店からダイバーがごちゃっと乗り込んでいます。

SHOPでチェックイン後、港まで送ってもらいダイビングのスタートです。

インターネットが普及してなかったので、国際電話で予約したんですが、私の英語でちゃんと通じていたようです。

当時このSHOPに、日本語の通じる人はゼロでした。

来てくれたのは、GTDS(何の略かは考えてね)の、兵隊さんのようなごっつい人、迫力満点ちょっと怖かった・・・

今日の午後から、レンタカーを予約しているので、今日だけお迎えに来て貰う事になっています。

早起きし、ビデオのセッティングを行い、お迎えを待つことに。

 一人ずつ浮上させ、ボートに引き上げられるのを確認し(この間力尽きるダイバーもいました)最後に自分がエキジット。

 鯉のぼりをかき分け、一人浮上してみると、水面も大荒れ。

 ガイドはお客さんを追っかけ(やつも、力尽きて流されたのかも・・)、我々(5〜6人だった)は、取り残されてしまいました。

 力尽きた人から、一人ずつ流されていきます。

 全員アンカーロープに掴まって、強風の中の鯉のぼり状態。

 アンカーロープを掴むのも辛いくらい流れています、さすがのガイドも「これはやばい」と思ったようで、すぐに浮上です。

5.『THE CREVICE』ここは最高でした。朝からウエットスーツを忘れられ、夫婦揃って、水着+T-SHIRTSでのダイビング。

4.記憶はありません。

 初日の2本目『FINGER REEF』で迷ったこのガイドはとっても怪しい、「ナイトダイブどう?」だって、「アホ、怖いわ」

 振り返ったガイドに「こっち」と指をさして、無事エキジットできました。

 が謝っています。「さっき横通り過ぎたやん」と思いながら、未だ先へ進もうとするガイドを無視して、その場に停止。

 アンカーロープ沿いに潜っていくのですが、東海丸+CORMORANの2隻を見たあと、アンカーロープを見失ったとガイド

 第一次世界大戦で沈んだ『CORMORAN』と言うドイツ船籍の船の上に重なって横たわっています。

3.暗ーい海(Apra Harber)に沈む日本の大型貨客船、米国潜水艦の2度による魚雷攻撃により沈没した船だそうです。

2.透明度は良かったのですが、お魚の記憶がありません。

1.私の最大深度達成場所です。 魚は少なかったけど、下から見上げる景色は最高。

探し回って夜の9時くらい、最後まで開いていた店に飛び込んだ我々2名の目の前に、ようやく探し求めていた物が。

ダイビング後、ダイバーウォッチ探し(当時はコンピュータに時計機能がなかったため、ダイバーウォッチは必需品)。

6.全く記憶にありません。

 焦って大損でした。

 それなら、ちゃんとブリーフィングでそう言ってくれ。

 すんなり迎えに行ったところを見ると、『その辺りに流される』のが解ってたようです。

 なんと、隣のブルーホールあたりに、力尽き流されたダイバーと、あのガイドがプカプカ浮いています。

 はて?と思っているとボートは移動し始めました。

 キャプテンは別に焦っているように見えません。

機材と共に重いの苦労して持って行ったのになあ・・・。

この旅行で撮影したビデオは、一回も見た記憶がありません。

その後レンタカーを返し、16:50発のコンチネンタルミクロネシア航空973便で、時計を握りしめながら、名古屋へと帰りました。

おかげで希望の時計を安ーく入手できたうえ、翌日に豪華なお昼ご飯をご馳走にもなりました。

GUAMにいるらしいとは聞いていたのですが、約15年ぶりの再会でした。

店員と話をしていると、挨拶に来たマネージャーの顔を見てびっくり。なんと親戚のお兄ちゃんでした。

GUAM

1993

1993.11.19〜11.23