フロントの親切なおねーさん

とっても美味しかった焼きそば(パンシットカントン)

行き帰り利用したラピート。変な顔!!

何はなくとも、WATERです。生水厳禁

色んな所にに綺麗な飾り付けが

2時間くらい延々と続いた、ENTERTAINMENTのほんの一部

中庭にあるPOOL、とっても綺麗でした

ボートから見たCOSTABELLA、泊まったのは、木の後ろに見える赤い屋根のゲストハウス

こんなボート(バンカーボート)で移動します

安全第一のガイドさん達
12/31日には、ダンス・歌謡ショー・バンブーダンスありのENTERTAINMENTが繰り広げられ、爆竹の大音響と共に1994年は終了しました。
怖い店の片隅で、2時間ほど時間をつぶした後、フィリピンを後に。
関空から、南海電車、近畿鉄道を利用し、水が自由に飲める国日本にたどり着きました。

マニラ発が遅れるらしく、近くの店で食事のサービスを受けることになりました。。
クーポンを貰い、「後ろを付いてこい」と航空会社職員に案内されたのは、空港の裏道を通り過ぎたところにある、ほの暗いレストランでした。
もの凄い怖かったことを記憶しています。

フライングスポーツマンクラブ未入会のため、OVER EXCESSをUS$68もふんだくられました。

帰りのCEBU発便は順調に出発しました。
マニラ空港で林さんと再会し、搭乗・出国手続きの注意を受けお別れしました。

小銃を抱えたガードマンがいるにも関わらず、境界の金網越しに「おみやげ、おみやげ」と日本語で迫ってくる、猛烈な商魂です。

リゾート以外は、治安が良くないと聞いていたので、COSTABELLAの敷地を一歩も出ることなく5日間を過ごしました。

年末年始の休みを利用してダイビングに行くことに突然決定し、候補地を探し始めたのは、12月半ばのことでした。

正月料金でも比較的安くいける、フィリピンに決定。
その年に開港した、関西国際空港を利用してみたいと言うこともあり、関空発で探しました。

12/29〜1/4、フィリピンのリゾート『バタンガス7日間』(何処なのかワカリマセン)に空きを見つけ、早速予約しました。

「○ィリピン航空は、OVER EXCESSに厳しい」と言う情報を聞いたので、『フライングスポーツマンカード』なる物を申請することにしました。
重量制限枠が拡大される物で、2人分の申請料金を振り込み申し込みました。(領収書もちゃんと貰っています)
もちろん「29日出発なので、間に合うようによろしく」と電話するとOKの返事。

出発前日の28日に、旅行会社から「行き先をCEBUに変更しても良いか?」の連絡が。
同料金で知名度もあるCEBUへの変更なので、すぐにOKを出しました。
日程表は、当時FAXが家になかったので、会社へ送付して貰うことに。
他の人に見られたくないので、送付直前に電話を貰い、FAXの前で待ちかまえ日程表を受け取りました。

ちょうどそのころ、自宅に○ィリピン航空から、「フライングスポーツマンの手続きが間に合わないので、返金の手続きをします」と。

OKの回答を電話で確認した上で送金してあるので、苦情の連絡を入れたことは当然です。
電話に出た女性が「間に合いませんので」と非常に横柄な態度の回答をしてくる。

「事前にOKの回答を貰った上での申請だ!!」に対しても「間に合いませんので、手続き中です」と、
申し訳ないの一言もないつっけんどんな態度。

さらに、食い下がろうとすると、話の途中に電話切りやがった。

「話の途中で、何で切るんじゃ、おまえじゃ話にならん、責任者出せ」と再度電話し大騒ぎしたのは当然のことです」

外出中というその上司と話し合ったあげく、「帰りのフィリピン発を除いて何とかさせて頂く」でようやく決着。

「外出中の上司が戻ったら、ポケットベル(当時は携帯電話なんぞなかった)を鳴らせ」と番号教えたせいか、年明けにいたずらベルがしばらく鳴り続けてました。

で、こっからようやく、旅行記。

当時中部地区に住んでいたので、近鉄特急に乗って、難波へ移動。
ラピートは、快適な電車でしたが、近鉄難波から、南海電鉄までは、相当な距離でした。
着替えにダイビング機材、ビデオのハウジングケースまでの移動となるとたいへんでした。

関空でコートを預けて、フィリピンに向け出発。
何時間掛かったのか、食事は出たのか、その辺りの記憶はありません。
到着が2時間程度遅れたのは記憶しています。

マニラ空港に着いた途端、むっとする暑さと出口にたむろするフィリピン人に圧倒され、たいへん怖かった事を記憶しています。

現地の旅行会社の林さんと言う方に、お迎えに来て貰い(2時時間程度の遅れは普通のことのようです)、初日はマニラに一泊です。
もの凄い交通量のマニラの街を30分ほど走り、今夜の宿『THE HERITAGE HOTEL』へ到着しました。

ホテルはカジノまで完備した、想像以上に立派なホテルでした。
部屋も綺麗でしたよ。

部屋にあった、フルーツバスケットのマンゴを食べた嫁は、突然の嘔吐・下痢。
先が思いやられる、初日でした。

翌朝、CEBUに向けて出発。
もちろん、野生動物並みの嫁は、昨日の嘔吐・下痢なんぞすっかり回復し、朝食をもりもり食べてました。

CEBU到着後、リゾート外は治安の悪いこと、水を絶体飲まない(100%下痢をすると)ことの注意を受け、COSTABELLAへ到着。

到着後すぐリゾート内にある、『CRISPINA AQUATICS』というダイビングショップへ、明日から4日間のダイビングの予約を行いました。
予約する暇もない、あわただしい出発だったので・・・

全員現地人で、日本語が全く通じないという、お店でした。
やっぱり外国行ったら、現地サービスの方が雰囲気は満点です。

4日間で、8本のダイビングを堪能しました。

フィリピンで有名な、お殿様ダイビングです。
機材運びからセッティング迄全部お任せです。
海に飛び込むと、機材を装着してくれ、上がるときは機材を脱いでから身軽にボートへ上がります。

日付 DIVE DIVE POINT 透明度 最大深度 潜水時間 水温
12月30日 1 コンティキ 15 21.6 38 28 流れに向かってstart、その後は流されるまま
ウミヘビ・カサゴいっぱい・ヨウジウオ・ヒトデ多
2 タンブリポイント 5 24.4 42 28 餌付けShow(!?)
ヘコアユ・アオリイカ・ヒメオニオコゼ
12月31日 3 Agus Point 18 19.5 33 27 Drop off
半径1mくらいのソフトコーラル・ワニゴチ・メガネゴンベ
4 Sta.Rosa Point 15 23.2 38 27 対岸近くの砂地Point
バラフエダイ(大)・サラサハタyg.・モヨウフグ・ウシノシタ
1月1日 5 HINLUTUNGAN Point 20 23.2 35 27 流れに逆らって。アオノメハタ・フタスジタマガシラ・コウイカ・ツバメウオ群
ツナ・ガーデンイール・ヘラヤガラ・うみへび・バラクーダ等々多数
6 HINLUTUNGAN Point 20 24.8 38 20 ドリフト。コクテンフグ・アカヒメジ・ホホスジタルミyg.・
アカオビハナダイ・ベニハナダイ・オオテンハナゴイ・ツムブリ群・アサドスズメダイ
1月2日 7 Agus Point 20 29.1 33 28 流れに逆らって。ゴマモンガラ・カザリハゼ・サンゴトラギス・ヘラヤガラ
ニシキヤッコ・ロクセンヤッコ・ダイダイヤッコ・タテジマヤッコ・カザリキュウゼン
8 タンブリポイント 23 24.3 60 28 ドリフト。モンスズメダイを手掴み(凄い!!)・ハ、マクマノミ・ヘコアユ
ミスジリュウキュウスズメダイ・フタスジリュウキュウスズメダイ

LOG BOOKから抜粋

この他にでっかいリュックを背負っています

帰国後届いたカード、役に立ちません

CEBU

1994

1994.12.29〜1.4