凱里博物館 1 凱里博物館 2 南花村歓迎会 舟渓鎮 芦笙祭

2001年2月中国貴州省の旅


2月12日(日)   -1-  南花村(多分「なんかそん」?)歓迎会

凱里とは、「田を耕す」という意味なのだそうだ。
凱里の人口は、60年前で、1000人あまりだったものが、
現在は、20万人になっているとのこと。そして、現在その
60パーセントが、ミャオ族だという。いよいよ明日は、
もう一つのミャオ族の村、南花村に行くのだ。

11日の夕食は、レストランにて、ミャオ族の特別料理である。
どれもおいしく食べた。
ただ、目を向いたまま、出てくる骨の硬いお魚(草魚?だったかと・・・)
だけは、皆少々敬遠しがちになっていた。


食事後、ホテルに戻り、ホテルのロビーにある
売店辺りで、いつものメンバー(くまさん、おかあさん、私)
プラス数人で、ショーケースや、売店の中を見ようということになる。

その前に私は、添乗員のYさんに、改めて、フィルムの入手について
聞いてみる。Yさんが現地ガイドのKumaさんに聞いてくれた
結果、やはり、ここで日本製のフィルムの入手は、無理とわかる。
私が途方に暮れかけていると、Yさんが、自分の分から「24枚撮り一本を」
と、言って下さる。あり難い。
と、その様子をたまたま横で聞いていたらしいHさんも、
36枚撮りフィルム一本なら、あげれるよ、と。
「ホントに有難うございます。」という気持ちだった。
しかも、どうしてもお金はいいとのことなので、
あり難く、お言葉に甘えることにする。ふうー、いざとなったら、
皆さんそれぞれが撮った写真を分けてもらうしかないかなぁ、
とまで思っていたので、やっと、一息と言う感じだった。
でも、この先、ますます、フイルムを大事に
使わなくては、と思う。

フィルムのことが一段落、私は、ホッとして、
皆がいる売店に入って行った。くまさんは、もう店内に展示されている
刺繍類に相当夢中になっている。おかあさんを
相手にあれこれ、話しながら、物色し、チラリチラリと、
買い気配で・・・店の女性に金額の探りをいれている。

ここに展示されているものに、ひどく古いものはない。
アンティークを求めるというよりは、割合現代の
少数民族の人々の綺麗な作品ばかりを
敢えて集めている、というところのようだ。でも、図案や
手の細かさは、十分見ごたえがある。
「あんた、今、これ買うてしまうんか。ゆっくり見たら
どうや。」おかあさんが、言う。くまさんは、フンフンとは、
一応言うものの欲しくてし方がないらしい。
「これ、なかなかええんと違いますかぁ。ほら、
こんなん、他にそうありまへんでぇ。」
「そんなん言うなら、聞いてみたらどうやぁ。
日本円での交渉もありでっせ。」
へぇー、(日本円での交渉もあり)なんだ。さすが旅なれてる。
私には、その辺りの頭が、すぐには、回らなかった。
どっちがどう高いのか・・・損なのか、得なのか・・・
そんな会話を耳にしつつ、考えつつ、私も散々眺めて歩いた。

他の人達も、入れ代わり立ち代り、入っては、出て行く。
実際このお店のものは、御土産として
持ちかえって装飾として使うことを意識しているようで、
綺麗で、新しいセンスのものも多いのだった。でも、
外に比べれば、断然高いのも確かだった。

結局、
随分そこで時間を費やしたものの、結局、もう一日
あるのだから「明日に」ということになった。

4、5人で部屋への階段を上って行くと、
他の団体さんらしい一団と階段ですれ違う。
その中の一人が、くまさんに声をかける。
「ヨウコウからでっか?」くまさんも気軽に答えて、聞く。
「あんさん達は?」 「貴陽から入って、
これから、ヨウコウ、ショウコウと行きますねん。」
これも関西流なのだろう。まるで、前からの知り合いみたいに
気軽に声を掛け合っている。そのご一行の人が行ってから、
くまさんが言う。「わてらの方が、いい行程ですワなぁ。
きつい所先に済ませて、これから、ドンドン楽になりよる。
あっちは、それが、これからや。大変でっせぇ。」

そうそうと、私は相槌を打つ。確かにもう、Gパンの裾も
ショルダー・バックも砂色になっていた。どこで、どうという
ことでもないのだけれど何だかそこら中泥んこだった。

この日、やっと、私は、ゆっくりと湯舟につかって
お風呂で暖まった。

 いよいよ南花村へ  

モーニング・コ-ルは、7時半
この日の予定は、
南花村---一度凱里に戻って---舟渓鎮の芦笙祭り見学

である。

南花村までは、およそ20km40分の道のりだ。
ミャオ族のガイドのマンさんから、ミャオ族の結婚の
風習のお話などを聞く。
ミャオ族では、昔は、女性は16、7才で、結婚するのが
普通だったそうだ。
そして、結婚が決まっても、女性は、男性の
ところですぐ暮すわけではないとのこと。
子供が出来るまでの
1年とか2年男性が通い婚をすることになるらしい。
最も現代では、全部がそうだというわけではない、
とのことだけれど。

南花村に着くと、村に向かう坂道に
もう何回か経験してきた女性達のお迎えが
待機しているのが遠くから見える。

読んだ本のどれかに、取材班が訪れた村で、
10ケ所位のお迎えがいて、それを真面目に
全部飲み干して行ったクルーが、酔っ払ってしまった、
というエピソードが載っていた。




ここでは、結局、4ケ所にお酒の「関所」があった。
やはり杯には、手を触れずに「基本的には」勧められるままに全部飲む。


ここでは、水牛の角の容器から。




一人ずつが4ケ所でお酒を頂くので時間がかかる。
それぞれ写真を撮り合いながらゆっくりと進んだ。
(*のマークのある所は、写真をクリックしてみて下さい。 )


*
最後には、立派な門の前でお酒を頂く。


見事な銀冠の角は、水牛の角を模ったものとのこと。
山へ逃れてきた彼らの暮らしをいつも支えてくれた水牛を
大切に思うためとのことだ。そして、正面の模様は、
吉祥の象徴である竜である。


門での杯を飲み終えて、中に足を
踏み入れるとそこには、村人全員か、と思われる
人々が芦笙の音楽入りで出迎えてくれていた。驚くやら、恥かしいやら。
皆、半分うつむきながら、その中を進んだ。でも、スゴイ。








それにしてもすごい。
私達、たった14名のために、この歓迎なの?!という
思いだった。



そして、私達が広場に入ると、間もなく、
芦笙の音楽と共に踊りが始まった。




広場の周りには、椅子ももちろんあり、
又、広場を囲む建物の一つには、正面から上る
階段があり、そのバルコニーから、踊りの輪全体も眺められる
ようにもなっていた。
ここは、「観光村」というのに指定されている村なのだそうだ。
だから、そのための施設も整えられているということ
なのかもしれない。ゆったりと、いろんな角度から
眺めたり、写真を撮ったりすることが出来るようになっている。





私は、写真を撮ろうと、
踊りの輪のすぐ前のベンチで眺めていた。
私の目の前を女性達の踊りにつれて、美しいスカートの飾りが、
銀飾りの軽い音をたてながら揺れて、弾んで回って行った。

華やかで、嬉々として躍る彼女たち、
体で調子を取りながら楽しそうに
芦笙を吹く彼たちを見ているのは、何とも心地良かった。

そのうち、自分でもわからない・・・
なぜとも意識しないまま・・・
私は、込み上げる感情を押さえきれない思いになってきた。
にじんできた涙をあわてて目元だけで押さえようと
目をしばたかせたけれど、ダメだった。
涙が溢れて、ほっぺたを伝ってポロポロと、こぼれた。

あわててその涙を隠そうと立ち上がってはみたけれど、
そこは、ど真ん中。近くに陰というものがない。
何とかごまかそうと、あれこれするうち、
とうとうおかあさんに見られた。おかあさんは、言う。

「お嬢ちゃん、泣いてるのかいな? 
あんたが泣いてるの見ると、こっちまで、泣きとうなるワ。
いや、わかる。わかる。えぇーわぁ。ここ、ホンマにえぇーなぁ。」
そう、ほんとに、泣きたい程、いい雰囲気だったのだ。
みんなもそれぞれに感動していたに違いない。

でも、おかあさんは、更に言う。わざわざ少し、離れた、
添乗員さんのところにまで行って、である。
「あんた。ここ、ホンマえぇーなぁ。見てみぃ、お嬢ちゃんなんか、
泣いてはるワ。」 おかあさんとしては、私達が、こんなに楽しんでいる、
ということを添乗員さんにも伝えたかったに違いない。


でも、私は、参った。
そそくさと、階段を上り、急いでバルコニーの柱の陰に避難した。
そして、しばし、呼吸を整えた。ふうーっ。
その感情をどう説明したらいいのだろう・・・
おかあさんじゃないけれど、
「ええわぁー、ホンマにえぇ。」それももちろんそうだった。
そして、その時「その場にいれた」こと自体が無償に嬉しくもあった。

下で踊りは続いている。
ヘタをすると、涙が、止まらなくなりそうだった。
私は、一生懸命気分を変えようとしていた。


下では、踊りが、変わったらしい。
「求婚の踊り」なのだそうだ。
多分彼女は、村一番の「べっぴんさん」なのだろう。
愛くるしい笑顔の彼女が、踊りながら、求婚する男性達を
一人、一人、振っていく。




*
若者達が、その振ったり、振られたりする恋愛模様を
ひょうきんな仕草で実に楽しそうに、演じていた。


我グループの特に男性カメラマン達は、ヒロインの彼女を
どれだけ接写したことだろうか。女の私でも、フィルムの
心配さえなければ、いいショットを求めて、限りなく、撮りたかったくらいだった。


*


「おばあさん」?達の「椅子の踊り」


おばあさん、と言っても確かとても若ったと思う。
そして、木製の浴室用椅子のような小さい椅子を持ってそれを
鳴らしながら踊るのだ。
(その意味は、聞いたのだけれど、忘れてしまった。)


(いただいた写真)

男子衣装のアップ

私達も参加して踊る
(いただいた写真)


何回も回って、段々輪を小さく、真中に詰めて行って、
踊りは、終わった。



↓おばあさん達の髪型
*


踊りが終わってしばらくの間、皆、思い思いに
いろいろな人に写真を撮らせてもらった。


晴れ着を着た孫とおじいさん
*


*子供達のかわいい盛装は、ここをクリック



美しい衣装のアップ
*



昼食の準備を待つ間、私達は、村の奥の方にある
教会に行ってみることにした。


その前に女性陣は、トイレタイムだ。ここは、
ちゃんと公衆トイレもあり、他よりずっと綺麗だった。
個室の扉があった気もするのだけれど。
(時が流れるにつれて、記憶が曖昧に・・・危ない)


村の教会に向かう途中に


南花村の人口は、163戸、760人とのこと。
そのうち、キリスト教徒の信者の人は、100人とのことだ。

本によると、ミャオ族に限らず、少数民族とキリスト教は、
結構深い関係があるらしい。
又、ガイドのマンさんの説明でも、文字を持たない
ミャオ族だが、「西の方」では、キリスト教徒のみにわかる文字を
使っていたりしたこともあったということだ。


かわいい教会の中を見学させてもらい、
それぞれ少しばかりの寄付をしてくる。


個人のお宅での昼食。家庭料理をいただく。


このお宅のお母さんと3人の娘さん達が、
早速杯を持って歌を歌いながら、お酒を勧めに回る。
(いただいた写真)
左から、
旅行の写真をたくさんいただいたEさん、
真中の私と左が「くまさん」ことFさん。


盛装しているのは、この家のお母さん。
美人で、歌もとても上手だ。





食べている途中で、ふと、振りかえると、又、後で歌が
始まり、お酒を勧められる。皆赤い顔になりながら、
箸を運んでいた。






お腹が一杯になった頃、再び、小さな歌合戦を
することになる。お母さんが、美声で、きれいなお嬢さん達を
リードする。私達も今回は、ちょっと、馴れており、
歌詞カードなしで、誰ともなく声をかけあって歌を歌った。

もうオヒラキと言う頃、誰かがいう。
「やっぱり、トリは、Eさんの炭坑節やないかぁ。」
すぐ、他の誰かが、相槌を打つ。
「そや。Eさんの炭坑節を見ないと終わらん。」
でも、いつものEさんだったら、すぐ乗ったのだろうけれど、
今回は、多いにうろたえていた。「手が・・・。」と、
痛めた右手をおさえる。

「そやったなぁ、今回は、Eさん、踊っても
月が半分にしかならへんのやった。」
「○○はん、ほなら、あんたがもう半分手伝ったらえぇがな。」
結局、まんざらでもない、、、というより、
場の雰囲気を壊しては、というEさんの
優しさだったのだと思う。Eさんは、たち上がって、
片手だけで半分の月のかわいい炭坑節を踊った。
○○さんも、少しだけその月を補充する。

私達の歌に合わせてほろ酔いの赤い顔で踊る
Eさんの炭坑節で、
座は、多いに盛り上がった。南花村の若い村長さんも
顔を出しており、近くの村の人も何事かという感じで
覗きに来て笑っていた。

こうして、
Eさんのおかげで、このお昼の宴も、
とても和やかな雰囲気のうちに終わった。
お礼を言い、お別れをして家を去るときにも
皆がなんとはなし、微笑んでいるような暖かい余韻が
いつまでも残っていた。


御土産

後で思うと、この村では、衣装以外の刺繍というものを
全く見ることがなかった。綺麗な衣装と、楽しげな踊り
そして、宴に、私もすっかりそのことを忘れていたらしい。

でも、広場に戻って驚いたこと。
そこには、つい今さっきまで、
お昼をご馳走になっていたあの美人のお母さんが、
ちゃんと、もう御土産のお店にいたのでびっくりだった。
と言ってもここの御土産のお店は、たった一つ、
広場の敷物の上に、竹の細工を並べているだけだ。
買って欲しいと、迫ってくるわけでもない。


私は、幾つかの櫛と芦笙のミニチュアを買った。
もう少しとも思うけれど、小さくまとめた、旅行用バックに
詰められる範囲のものしか買えない。

くまさんは、ここで、従業員の人の御土産にと、
たくさん御土産を買い込んだ。そして、しっかり値切りの
交渉にも余念がない。私は、さすがに、それは、出来ず、
くまさんに隠れて、こっそり「言い値」を払ってその場を離れた。