イスタンブール周辺地図 イスタンブール地図 |
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ホテルの朝のトルコ・コーヒー これを飲み干して、お皿に伏せると、その形でコーヒー占いになります。 |
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食後、出発までに少し時間がありました(ツアーでは初めてのゆとり時間)。 どなたも出かけられないようなので、娘と二人で、1時間ほど、ホテルの近くを散歩してみました。 ![]() 多分、宗教的(民族的)な意味のある?花輪のお店 |
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カフェ通りというところでしょうか?![]() カフエの椅子は、お洒落なキリムでした。 お店のメニュー |
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![]() トルコのジュース屋さんは、果物をジューサーではなく、 一つづ圧縮器具を使って、根気よく手力で、搾り出してくれます。 名前を忘れましたが、フルーツそのままの色です。 |
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泊まったホテル |
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再び、ガラタ橋を渡って、「アヤソフイア」に向かいます![]() 昨日、休館日だったため、 アヤソフィアが最後のハイライトになりました。 |
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↓テオドシウスの城壁かと思って娘に撮ってもらったのですが、違うかもしれません。 | |
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アヤソフィアAyasofya (ハギア・ソフィア Hagia Sophia) ビザンティン帝国時代の360年、コンスタンティヌス2世によって
キリスト教 (正確には、ギリシャ正教) の総主教会として建てられました。 その後、火災による崩壊、再建、反乱軍による破壊を経て、537年ユスティアヌス帝により、再々建。 その後も様々な歴史的変動や自然災害にもあいながら、その形を保ち続けてきました。 そして、1253年、キリスト教会として、建てられたこの教会は、 オスマントルコ帝国のメフメット2世によりイスラム教のモスクに改修されることになります。
アヤソフィアは、ビザンティン建築の最高傑作と言われています。偶像崇拝が禁じられるイスラムの教えに従って 内部のモザイクは全て漆喰で塗り固められました。 その漆喰が剥がされてモザイク壁画が、陽の目を見たのは、1930年代 アタチュルクの時代になってからのことでした。500年の時を経ての復活でした。 現在、アヤソフィアは博物館として公開されています。、 ![]() |
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![]() 前日、ブルーモスクから見たアヤソフィアです。
数奇な歴史の変動を生き抜いて来たこのアヤソフィアが 私達の旅の最後になったのは、ラッキーでした。 建て直されてはいますが、 1600年以上経った今も当時の面影をそのまま残しており、 「歴史の生き証人」とも評されるアヤソフィア博物館です。 |
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![]() 門をくぐります |
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皇帝の門![]() 入るなり、見上げる上には、豪華なモザイクが、 そして、その先には・・・ 誰もが期待に胸をワクワクさせていたと思います。 |
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「キリストに額づく皇帝」![]() |
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![]() 中央のドームです。 キリスト教会として作られ、イスラム教の聖堂になり、 今は、その二つの要素が共存しているという歴史深い場所に とうとう立つことになりました。 |
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![]() 巨大な円盤にはアッラーや預言者の名前が書かれているのだそうです(アラビア文字) |
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![]() 2階の回廊に向かいます。 |
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2階の回廊です![]() |
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![]() アカンサス模様の浮き彫りの柱頭 |
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![]() ドーム四つ角の不思議な生物は、「セラフィム」〔熾天使(してんし)〕という天使なのだそうです。 「三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。 ヤハウェ(エホバ)神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。」 「ウィキペディア」より |