2011年9月7日〜14日 8日間トルコ

J9/12 イスタンブール (5) ボスフォラスBosporus海峡クルーズ&ベリータ゜ンスショー
イスタンブール周辺地図
イスタンブール地図
クルーズ出発です。

自分の足では、渡れなかったのが残念(・・;)「ガラタ橋」・・・・

クルーズ証明写真
ドルマバフチェ宮殿(Dolmabahce Sarayi)

1856年の創建。トプカプ宮殿から宮廷をここに移し、
トルコ共和国になっても初代大統領ケマル・アタチュルクが執務で使用しました。
全長600mという細長い建物に285の部屋と43のホールがあり、内装には14tの金と40tの銀が使われているそうです。


私達は行きませんでしたが、その豪華さが想像できるようです。
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」
という映画を見ました。温かくて、しみじみとした映画でした。
フランスで雑貨店を営んでいたイブラヒムおじさんが、訳あって、養子とすることになった少年を伴って故郷トルコに帰ります。

その中で、出てきたのが、クルーズの場面(多分、ボスフォラス海峡)でした。
来れるとは、思わずに見ていた映画でしたが、ボスフォラス
海峡は、この日も
映画の中と同じように、青い空、青い海が、広がって明るい光に満ちていました。
見えてきました。第2ボスポラス橋
ルメリ・ヒサール Rumeli Hisari (左)

海峡中最も狭い部分の西岸にある要塞跡です。
1452年にかのオスマン・トルコのメフメット2世が、
コンスタンチノープル攻略の拠点としてわずか4ヶ月で築いた巨大な要塞です。


せめて、海からだけでも、確かめて、というところです。

ルメリ・ヒサール

いくつもの豪華客船、大型貨物船とすれ違いました。

帰途です

お金持ちの別荘のそばには、ヨットが。


最高のお天気にも恵まれて、ゆったりと心地いい時間でした。
夕食

ホテルのレストラン改修中のため、改めて、ディナーに出かけました。
焼きとうきび売りの屋台です
ベリーダンスショーへ


前座さん
ベテランさん
有名どころさん」、と言った感じでしょうか? 
さすがに有名どころさんの踊りはシャープでした。
男性だけや少女達だけの民族舞踊もありました。


**我がカメラは、地下宮殿、ここ、共に感度に関して、全くダメ(・・;)でしたので、
娘の連写撮影からの画像です。


イスタンブール(トルコ)滞在最後の夜は、こうして暮れました。
そして、ホテルに帰ると、突然ガイドさんが、変わるという残念なお知らせが。
心遣いがとても行き届いていて、ファッションも私好みで(とは、失礼な言い方ですが)素敵なガイドさんだったのですが。
彼女も最後の一日を残して、心残りだったのでは。でも、当然ご家族が大事。

仕方がありません。





最後に、日本好きという彼女に教えてもらったこと。
(それとも、ツアーの人は皆さん教えてもらえるのでしょうか?)

私達の世代には、懐かしい江利チエミさんの「ウシュクダラ」が
トルコの地域の名前だったとは知りませんでした。
イスタンブールのアジアサイド、地図で緑線を書いたあたりとのことです。
バスで、単調な道を走っているとき、何度かかけてくれました。

元々リズミカルな歌です。日本で歌われたトルコの歌をその由来を聞きながら、
本場で聴く。何とも明るくて、不思議なノスタルジー感体験もできたのでした。


帰って確かめてみると、トルコ語の発音は
(このサイトでも、添えた英文字スペリング
との比較でもわかるように)
日本語にするのが
難しそうですが)、私達には江利チエミさんの「ウシュクダラ」という
言い方で、おなじみです。


UTA-NET を参照ください。

ウーシュクダーラ ギーデールッケン アルデイラ ギリヤンムゥー〜〜♪」
よくわからず、カタカナで歌っていた歌詞です(笑)

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そして、翌日、ツアーは、如何に「ガイドさん次第か」ということを、実感したのでした。
正直なところ、せめて、最後の一日でよかった・・・と。

 

旅の日程









































Flick