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 ことばをめぐるひとりごと  その16

生き延びる『人麻呂の暗号』

 本屋に行くと、新潮文庫の棚に、藤村由加著『人麻呂の暗号』『額田王の暗号』という本が並んでいるはずです(追記2参照)。もしお暇ならば、手にとってご覧ください。どうでしょう、読むに堪えるでしょうか。
 この本が初めて単行本で出たのは1989・90年のことです。当時、なぜか〈『万葉集』は古代朝鮮語で解読できる〉というような趣旨の本が相次いで出されました。この本や、李寧煕著『もう一つの万葉集』(文藝春秋)などがそうです。かなりマスコミで取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょう。
 これらの説に対しては、当時、専門の立場から周到な反論が出されました。安本美典氏の『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』(JICC出版局)や、西端幸雄氏の『古代朝鮮語で日本の古典は読めるか』(大和書房)などがそうです。また、「週刊朝日」(1990.2-9, 2-16, 2-23)では大野晋・菅野裕臣・中西進各氏といったトップレベルの研究者が、李寧煕女史に対し一つ一つ丁寧に反論を加えました。
 一連の論争で〈万葉集=古代朝鮮語説〉の誤りが明らかになり、ブームは去ったかに見えました。ところが、いつの間にか李寧煕女史の本は文春文庫に収まり、藤村由加氏の本も新潮文庫に仲間入りして、無事に(?)生き延びることになったのです。
 僕は、藤村氏の本が新潮文庫に入ったことを不覚にも数年間知りませんでした。最近、本屋で発見して仰天したわけです。文春文庫はともかくもあれ、鴎外漱石を始めとして、評価の高い作品がひしめく“あの”新潮文庫に『人麻呂〜』『額田〜』が採用されようとは。一方では『日本古典集成』を出版しているはずの新潮社の見識を疑わざるをえません。
 彼女らの主張は、要するに、「日本語で書かれたはずの詩歌の裏に外国語の別の意味が存在する」といってるのです。それはきっと、「Oh, my son near her gay girl.(お前さんにゃはげがある)」という文みたいなものと理解すればいいのでしょうか。上の文はお遊びに過ぎませんが、柿本人麻呂なり額田王なりが、もしこの手法でお遊び以上の和歌を何首も詠んだとすれば、素晴らしい才能といえます。ところが本の書き手の説明では、それほど面白いものとも思えないんです。
 藤村氏の挙げた例を見てみましょう。「山」に掛かる枕詞「あしひきの」は目下意味が不明とされていますが、彼女にかかれば、これには立派な意味があるそうです。
 朝鮮語で「足」を「タリ()」と言います(正確には脚)。彼女はまた、「引く」ことも古語で「タリ()」だったと言い(これは知りません)、さらには「山」のことも古代朝鮮語では「達(タル=)」とか「タリ()」であったと言います(これは僕はいくら調べても分からなかった)。よって、この枕詞は「タリ()」「タリ()」「タル()」という「『タリ』という音の語呂合わせになっているのだ」と説明します(p.59)
 「足・引き・山」がすべて「タリ」だったかどうかはともかくとして、もしそういう語呂合わせで歌を作ったとすれば、かえって、ちっとも面白くないものができはしませんか。
 たとえば、こういうたとえはどうでしょう。昔の有名なイギリスの詩人が、実は日本人だったとします。そして彼が“an oyster painter Kakinomoto-no-Hitomaro”という意味不明のことばを書いたとします。みんな“oyster painter”の意味が分からなくて困っている。ところが、これを日本語に訳すと、「牡蠣描きの柿本人麻呂」となって、「カキ・カキ・カキ」の語呂合わせになるのだった――。これで笑える人はいますか。「だから何なの」と言われてしまうのではないでしょうか。藤村氏は、古代の歌人もそういうことをしていたというのです。
 かつて彼女らの〈万葉集=古代朝鮮語説〉をいさめるため、研究者たちは緻密な反論を試みました。しかし、結果として「研究者たちは難しい理屈をこねまわすばかりで新しい説が理解できない」という宣伝に使われてしまった観があります。
 幼稚な説にまともに反論しようとしても「のれんに腕押し」のようなものです。ですから、僕はここで、「彼女らの説では、『万葉集』は感動的に面白くは読めないよ」ということだけを、一つ例を挙げて示したつもりです。とにかく、これらの悪書が自然消滅することを願ってやみません。

(1997年初稿、2001.05.02改訂)

関連文章=「不滅の日本語トンデモ本

追記 吉本一氏より、古代朝鮮語についてご教示いただきました。
 朝鮮語の古語辞典に「タリ(ダ)」(引く)という語はあるそうです。また、「タル」が山だという説は「あることはある」そうです。
「しかし、『古代国語の語彙研究』(千素英、高麗大学校民族文化研究所、27ページ)によると、その説は間違いで「高原」を意味する、とされています。」
 とのことです。
 僕は、『人麻呂の暗号』が信用できないので、上記の古語もでっちあげかと思っていましたが、ごくごくわずかな根拠はあったわけです。ただ、僕の主張は、
 「そのような語呂合わせで歌を作ったとすれば、かえって、ちっとも面白くないものができるはずだ」
 ということですから、趣旨はこのまま変える必要がないようです。(2001.03.09)

追記2 この文章を書いてから6年が経ち、「Books.or.jp」なる本の検索サイトで調べてみると、『人麻呂の暗号』『額田王の暗号』は「一致するデータが見つかりませんでした」。つまりは、とうとう絶版になったようです。慶祝! 『新潮日本古典集成』を出している新潮社の良識が、ようやく発揮されたのでしょうか。
 しかし、『もう一つの万葉集』はまだ健在のようです。文藝春秋は、古典のシリーズを出していないので、責任を感じないのかもしれません。(2003.02.18)

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