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99.12.08

大野氏の講演

 国語学者で『日本語練習帳』の著者・大野晋氏の話を聞くため、8日夕、新宿住友ビル地下のホールに行きました。朝日カルチャーセンターの開設25周年記念講演ということです。
 会場はこぢんまりした所で、聴衆は200人はいなかったと思います。ほとんどはみずはぐむご婦人と、白髪の男性たち。大野氏も、聞き手として初めからその年齢層を想定しておられたでしょう。そんなところへのこのこ出て行く僕は、まあ、物好きというべきだろうなあ。
 僕は大野氏の講演をこれまで1度だけ聞いたことがあります。大学2年の春で、場所は早稲田大学・小野梓講堂。その時に氏は、若い学生たちを前にして、「古い日本語を知るためには『万葉集』がちゃんと読めなくてはいけません。『源氏物語』が読みこなせなくてはいけません」と言われた。僕はそれから顔色を変えて万葉・源氏を読みふけりました。ですから、僕にとっては大いに学恩ある先生なのです。
 今回は、12年ぶりぐらいで講演を伺うことになったわけですが、何やらだいぶ様子が違いました。やはりこれは聴衆層によるものなのでしょうね。
 昔、小野講堂で拝聴したときには、大野氏はすこぶるもの静かに、慎重に、厳密に、学問を語っておられた。髪も黒かった(染めておられたと思います)。
 ところが今回は、一転、くだけている。なんだかことばの端々にケーシー高峰入ってる、と言いますか、いかにもご年輩相手の漫談という形で、仰天しました。
 タイトルは「日本語と私」というのですが、むしろ「日本語史における外来文明の影響」と題した方が的確でした。弥生時代におけるタミル語の影響(異論あるべし)、古墳時代における朝鮮語の影響、飛鳥奈良時代における中国語の影響、明治以降における欧米語の影響、と来て、さて将来の日本語はどうなるか……、という筋道。話題そのものは硬いのですが、何しろ先生、聞き手を喜ばせるために床屋政談ふうの時局批判などを多く織り交ぜるので、どうしても話が深いところへ行かない。また聞き手も、本筋よりも時局批判のほうを喜んでいるようです(それで十分なのかもしれないけれど)。
 大野氏の口調も、ですます調から、やがて「○○なんだよな」「○○なんだ」というふうに“タメ口”ふうになってきた。自ら
「ここで大野先生お得意のタミル語の話をまた持ち出します。とか言っちゃって
 てな調子でおっしゃる。
 噺家で川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)という、ちょっと危ないネタを高座にかけたり、客いじりを好んでしたりするハチャメチャな人がいるのですが、なんかああいう感じになってきた。
 講演は1時間半ほどで終わりましたが、さて、聴衆たちは講演のどういう所を記憶しただろうか。人ごとながら心配になります。あまり分かってなかったのではないか。それが証拠に、講演後に出た質問は、いずれも話の内容とは関係のないものでした。
 「政治家が質疑応答の時に原稿を棒読みするのをどう思われますか」「孫が学校で鼻濁音でない『ガ』を教わってきて困るのですが」「先生はお孫さんにどういう言語教育をされようとお思いですか」「私は周りの人にあまり敬語を使わないのですが、敬語はなくなってきているのでしょうか」
 そんな話はしとらーん。
 そうそう、講演中に、聴衆の何人かが、レンズつきフィルムなど持参のカメラで大野氏を撮影していた。ときどき、フラッシュがぴかっと光った。これってすごく失礼じゃないか?(主催者による撮影ではなかった。)
 帰り際に、会場で氏の近著のエッセイ『日本語と私』(朝日新聞社)を買い、電車の中で読みました。学問について語るその語り口は、12年前に小野講堂で聞いたとおりの、ふたたびもの静かな、誠実な大野氏のそれでありました。


関連文章=「日本語練習帳」「大野晋『日本語の教室』を読む

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