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99.07.15

やせませんー?

 「週刊朝日」1999.07.16を見ていたら、投書コーナー(「読者と岡林みかんの腹立ちまみれ」 p.123)の漫画で、おもしろい表現がありました。
 最近スマートになってきた男性に対して同僚の女性が、「なんかやせませんー?」と呼びかけているのです。ちょっと新奇な言い方だと思いました。
 僕の感じ方では、「やせる」という動詞は、ふつうは「なんかやせたんじゃありません?」のように「た」をつけなければ、その様子を表すことはできません。「やせません?」では、「一緒にこれからやせません?」というように、将来のことについて言っているような感じを受けます。
 同じく状態を言うにも、「その服、小さすぎません?」ならば、「た」は不要です。「小さすぎたんじゃありません?」というと、過去のことになってしまいます。また、「その洗剤、汚れがよく落ちません?」もOK。こういう「小さすぎる」とか「(汚れがよく)落ちる」などの動詞を、金田一春彦氏は「状態動詞」と命名しました。
 「やせる」という動詞は、主に「継続動詞」として使われます。この動詞は、「本を読み始める〜今読んでいる〜ある程度読んだ」のように、ある時間内続いて行われる動作や作用を表すものです。「やせる」も、「やせ始める〜今、順調にやせている〜ある程度やせた」という段階を経ると思います。で、その最後の段階で質問するときには、「ちょっとやせたんじゃありませんー?」と聞くはずです。
 このことを大学生に聞くと、「その通りだ」というのですが、中には「自分は『やせません?』を使う」という人もいました。「なぜ、違和感があるのか理解できない」というのです。
 うーん、新しい世代では、時間の観念を動詞に込めるやり方が変わってきているのでしょうか。「『この服、小さすぎてる』と言う」と証言する人もいて、だんだん不安になってきます。「この蕎麦はいける」という使い方から「この曲はいけてる」が生まれるのも自然のなりゆきでしょうか。
 振り返ってみると、僕自身も、古い世代の「た」「ている」の使い方に違和感を覚えることはあります。たとえば昔、松下大三郎や橋本進吉は別の文法的問題を論じる中で、東京市電の「切符の切らない方はありませんか」という言い方を取り上げましたが(昭和初期の言い方)、僕ならば「切符の切っていない方はありませんか」と「ている」を入れるところです。
 もっとも、同じころ谷崎潤一郎は「文章読本」(1934)で「誰か切符の切つてない方はありませんか」と「ている」を入れた言い方を記録しています(全集第21巻 p.131)。「た」「ている」を付けるか付けないかは、世代差・個人差があります。


追記 「切符の……」については浅野信『巷間の言語省察』(1933)でも触れられています。
 昔は「切符を切ります」「乗換を切ります」と言っていたのが、今(すなわち昭和7、8年ごろ)は「切符をお切らせ願ひます」「切符を切らせていたゞきます」とていねいになったようです。
 さらには、「乗換をお切りいたします」「乗換を切らない方はお切らせ願ひます」などとも言うとのことです。はなはだしい省略ですが、「乗り換えの確認のための入鋏をしていない人はお切らせ願います」ということでしょう。僕ならば省略形でもやはり「乗り換えを切っていない方は」となりそうです。(2001.08.04)

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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