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99.07.30

昔の東大の入試問題

 国文学の権威・小西甚一氏は、過去にいくつか受験参考書を著わしています。その一つが『国文法ちかみち』(洛陽社)。初版は1959年といいますから60年安保より前に出版された「参考書の古典」ですが、その後も部分的に改訂されて今日に至っています。
 日本古典・日本語文法に関する深い造詣に支えられた書物で、大学の日本文学科で演習に使ってもよい内容だと思います。
 執筆姿勢は参考書としては革新的です。文法は学説が動くものだ、「ぐらぐらするからGrammarなのだと御承知ねがいたい」(「まえがき」)とあるように、ある説を丸暗記させようとはしないところに特色があります。「文法を勉強するほんとうの目的は、ものごとの「すじみち」を通す考え方の訓練だ」(p.77)ともあります。
 現在の学校での文法教育は、マルバツで採点をしなければなりませんから、こういう参考書はおそらく評判が悪いと思います。かくして文法は暗記科目となり、文法嫌いが年々量産されるという仕組み。
 それはともかく、本書にも変だなと思う点はいろいろあるので、たとえば、当時の東大の入試問題を例題に出しているところ。ちょっと面倒ですが、ざっと眼を通してください。

    次の文について、それを組み立てている根幹をなす成分の排列は、それぞれ、左の表のどれに最も近いか。符号(イ〜リ)を用いて答えよ。

      連体修飾語―主語―連用修飾語―述語
      連用修飾語―述語―独立語
      連用修飾語―連体修飾語―主語―述語
      連用修飾語―主語―述語
      独立語―述語
      連用修飾語―述語
      連体修飾語―独立語
      連用修飾語―連体修飾語―述語
      連体修飾語―主語―主語―述語

    1 暁になりやしぬらむと思ふほどに山の方より人あまた来る音す。
    2 秋風にたなびく雲のたえまよりもれ出づる月のかげのさやけさ。
    3 送りに来つる人びとこれより皆帰りぬ。
    4 おもしろく咲きたる桜を長く折りて大きなる瓶にさしたるこそをかしけれ。
    5 池の尾に住みける禅珍内供は鼻長かりけり。
    6 わたの原やそ島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまのつり舟。
    (p.169、レイアウト修正)

 いかがでしょうか。全部解けますか。実を言うと、僕は何だか分からないのです。
 たとえば1は、僕は
 「暁になりやしぬらむと思ふほどに(連用修飾部)・山の方より(連用修飾部)・人あまた来る音(主部)・す(述語)」
だと思う。「根幹をなす成分」という意味がよく理解できないけれど、成分をもっとも大きい単位で考えるとすると、これ以外にないと思います。すると正解がない(追記参照)。
 「人あまた来る(連体修飾部)・音(主語)」
と分解するならば「」に近くなりますが(小西氏もハを正解とする)、それをやるなら「山の方より」も
 「山の(連体修飾語)・方より(連用修飾語)」
と分解しなければ平等ではないでしょう。「暁に……」はさらに複雑になります。
 次の2について、小西氏は「」を正解としているけれど、これは、学校文法の父・橋本進吉にいわせれば「」になると思います。つまり
 「秋風にたなびく雲のたえまよりもれ出づる月のかげの(連体修飾部)・さやけさ(独立語)」
となる。
 小西氏は「ト」の可能性を認めたうえで、「連体修飾語を伴った独立語なんか、そもそも「独立」とよぶこと自身がおかしい」と言います。たしかに、理論的には小西氏のほうが正しい。しかし、橋本進吉は『改制新文典別記 口語篇』に「修飾語の附いた独立語」という節をちゃんと設けてある。「日本一の桃太郎さん、御団子一つ下さい」のようなものです。理論的に問題があろうが、学校文法でそうなっているのだから、受験生は従うほかはない。
 かえって、小西氏のように「チ」とすれば、「さやけさ」というのが述語になってしまい、山田孝雄のいう喚体句に述語があることになるから、これも問題だ。というわけで、「ト」を選んでも「チ」を選んでも不満足なことになります。
 あと、ずっとすっ飛ばしますが、5の正解は「」ということになっています。これもへんだ。
 「禅珍内供は(主語)・鼻(主語)・長かりけり(述語)」
という解釈になるのでしょうが、橋本文法式にいうと
 「禅珍内供は(主語)・鼻長かりけり(述部)」
となるはず(『新文典別記 上級用』「述語節」参照)。述部はさらに「鼻(主語)・長かりけり(述語)」に分解できますが、レベルが違うので、上の「禅珍内供は」と同列に扱ってはいけない。そこで正解はない。
 要するに、この東大の問題は悪問です。今の目から見ても悪問だし、当時としてもそうだったろうと思う。
 東大ともあろうものが、いかに1950年代とはいえ、どうしてこんな問題を出したのでしょうか。そしてまた、小西氏が、どうしてそれをそのまま肯定して著書に転載したのでしょうか。

追記
 1については、小西氏の言うとおり、ハでもよさそうです。「暁になりやしぬらむと思ふほどに(連用修飾部)・山の方より人あまた来る(連体修飾部)・音(主語)・す(述語)」と考えることもできます。
 初めにこの文章を書いたとき、「山の方より」を「す(述語)」にかかるものと考えました。つまり「山のほうから音がする」ということです。しかし、「山から人がやってくる、その音がする」と解釈すれば、「山の方より人あまた来る」を一体として考えることができます。
 「山のほうから音がする」という解釈のほうが自然だと思いますが、選択肢にハしかない以上、試験ではハを選ぶべきだということになります。(2006.07.20)

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