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99.05.28

ポケベルと歌謡曲

 ポケットベルの通信会社「東京テレメッセージ」が、この1999.05.25倒産したというニュースがありました。ポケベルの利用者が激減して、業績の悪化につながったということです。
 ちょっと感慨深いものがありましたね。95年度末に134万4000台を記録した加入件数が、わずか3年後の98年度末には38万6000台と3分の1以下になってしまった。一時は高校生の暮らしを支配していたポケベル。告知雑誌「じゃマール」に「ベル友募集」という欄があって、1996.07に告知数が120〜130件を超えたそうですが(「ラブレター」1997.02)、その後すぐにブームが去ったことになります。
 「1410」という数字を送れば「アイシテル」、「12-10U-」なら「アイニードユー」だとかいう、ポケベル暗号というのも、あれは一体何だったのか。

 通信機器の盛衰というのは、歌謡曲にも表れています。
 ポケベルが若者に流行し始めたころにテレビドラマの主題歌として歌われたのが国武万里「ポケベルが鳴らなくて」(1993年)で、作詞は秋元康。〈流行アイテム〉をあまりにも露骨に取り入れた歌で、僕はじっくり聴く気にはなれなかったけれど、そこそこ、はやったと思います。
 1995年、ポケベル文化がピークに達したころに流行したラップが、EAST END×YURIの「DA.YO.NE.」。この曲には「ベル打っても返事はなしだしー」のように、「ベルを打つ」という言い方が記録されています。ポケットベルが「ベル」と略され、専用の動詞まで用意されるようになれば、もうブームは定着したかにみえました。
 ちなみに、このラップの後ろのほうで「携帯持ってすかしてんじゃねえや」と、携帯電話のことが出てきます。まだ携帯電話が若者にとってはちょっと高嶺の花だったことが分かります。1995年当時、携帯電話は、ようやく40歳代のビジネスマンから30〜20歳台の若手に普及しはじめたばかりでした(『現代用語の基礎知識』による)。
 ポケベルは、しかし、その後人気を失います。ポップスの歌詞に表れたものとして僕が最後に耳にしたのは、SPEEDの「Go! Go! Heaven」(1997年)でした。「ベルを鳴らし合うみたいに」とあって、さりげなくポケベルが詠み込まれています。しかし、このときにはもうやや流行遅れの感もあったでしょう。
 代わって勢力を伸張してきた「携帯電話」は、「Go! Go! Heaven」の発表とほぼ同じ1997年、Puffyの「渚にまつわるエトセトラ」にも歌われています。「私と彼氏の 携帯電話が」とあり、携帯電話が若者の道具となっています。また、1998年、「モーニング娘。」の歌う「抱いてHOLD ON ME!」では、「ハンドフォンメモリー 意味なくスクロール」とあります。携帯電話を使ったことのない僕には、どういう操作を指すのかよく分かりませんが、ごく自然に歌詞にとけ込んでいるようです。
 1999年に出た宇多田ヒカル「Movin'on without you」では「枕元のPHS 鳴るの待ってる」とあり、PHSもポップスの舞台に登場したのでした。
 こうした「携帯」とか「PHS」とかいうことばは、これからもポップスの世界で使われ続けるでしょうか。「ポケベル」のように、やがて古びたことばになってしまうのでしょうか。興味深いところです。
 「携帯は定着したから大丈夫」と思うのは早い。フィンガー5がかつて歌った「恋のダイヤル6700」(1974年)には「ダイヤルまわしたよ」という歌詞がありますが、当時作詞者(阿久悠)はダイヤル式電話がなくなるなんて考えなかっただろう。


追記 「ダイヤル」といえば、小林明子の歌った「恋におちて」(湯川れい子作詞)に「ダイヤル回して 手を止めた」というフレーズがあります。この歌がはやった1985年の時点でも、まだダイヤル式電話が普通だったようです。
 鈴木あみが2000年に歌った「THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY」(Tetsuya Komuro, Takahiro Maeda, Ami Suzuki作詞)では「携帯は着信もないまんまのミッドナイト」とあり、この年の「NHK紅白歌合戦」でも歌われました。そのときの曲紹介では、携帯電話を2人に1人が持つようになったことに因んだやりとりがありました。(2001.01.02)

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