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98.11.16

べくだけそれだけ

 近代になってから、いわゆる欧文直訳体の新しい言い回しがたくさん作られました。以前に触れた「ことほどさように」ということばも、『日本国語大辞典』によれば、「 so...that の訳語という」と説明してあります。
 「訳語という」というのはちょっと自信のない書き方です。書物を当たってみると、どうやらこれを指摘した早い文献のうちの一つが昭和初期の『岩波講座世界文学』(1932.12)の7巻に収録された塩田良平「日本文体に及ぼしたる西洋文体の影響」ではないかと思います。その中で、「so+(adj)+that ことほどさやうに」と出ています(p.12)。ただし、用例がないのがもどかしいところで、昔はどう使われていたのか分かりません。今の用法と違うような気もします。
 夏目漱石「吾輩は猫である」にも、ちょっと今では使わないような、面白い言い回しがありました。

吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢である。然し聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日中学程度以上の学校に行わるる運動のうちで尤(もっと)も流行するものだそうだ。米国は突飛な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えても然るべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。(新潮文庫 p.277)

 「べくだけそれだけ親切」は、想像するに「so kind as to...」の訳語ではないでしょうか。つまり「米国は……遊戯を日本人に教えるほど親切」という意味です。この「べくだけそれだけ」の類例を探してみましたが、ちょっと見つかりませんでした。しかし、古来あった語法でないのは間違いないでしょう。
 楳垣実『日本外来語の研究』をみると、「べくだけそれだけ」はなかった代わりに、「べく」を使った別の欧文直訳体が紹介されています。たとえば「……すべく、余りに……」という例が芥川龍之介にあるそうです。これは「too……to――」の訳語らしいです。ただ、何という作品か、本文には書いてないのが不親切です。
 「……すべく余り」は、僕も尾崎紅葉「金色夜叉」でお目に掛かったことがあります。

「その後誰も間(はざま)の事を聞かんかね」
「間貫一かい」と皺嗄声は問反せり。
「おお、誰やらぢやつたね、高利貸の才取とか、手代とかしてをると言うたのは」
蒲「さうさう、そんな話を聞いたつけね。然し、間には高利貸の才取は出来ない。あれは高利を貸すべく余り多くの涙を有つてゐるのだ」(新潮文庫 p.86)

 現代語ならば、「高利貸しをするには、あまりに涙もろすぎる」と訳せるところですが、この訳自体、昔はなかった表現で、やっぱり「too……to――」という構文の影響を受けているようです。
 ちなみに、欧文直訳体は近代以前から行われてはいました。たとえば、文化13(1816)年、長崎通詞たちの協力でドゥーフが編纂したオランダ語辞書『ドゥーフ・ハルマ』には、「彼女の眼より出る光線が諸人を心酔さする」という非生物主語、使役表現の文があったりします(『杉本つとむ著作選集2 近代日本語の成立と発展』八坂書房 p.461)

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