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きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
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98.12.17

「ゆった」と「いった」

 文庫本で近代文学を読もうとするとき、ちゃんと原文通り書いてくれているのかどうかは気になるところです。
 新潮文庫版の樋口一葉「たけくらべ」には、「どちを組む」という言い方があります(p.86)。意味は「どじを踏む」ということだけど、「どち」とも言うのかと思って辞典を見ると載っていない。ところが角川文庫版には「左様(さう)どぢばかりは組まないから」(p.55)とあって、ちゃんとテンテンが振ってあります。
 こういうことがあるので、初版本の複製をそろえておこうと思うのだけど、なかなか実現しません。
 次のような例もあります。

お前は知らないか美登利さんの居る処を、己れは今朝から探してゐるけれど何処へ行(ゆつ)たか筆やへも来ないと言ふ、廓内(なか)だらうかなと問へば、むむ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町(あげやまち)の刎橋(はねばし)から這入(はい)つて行(いつ)た(新潮文庫 p.97)

 少年二人の会話なのですが、一方は「行った」を「ゆった」とフリガナをしてあります。ただし角川文庫にはフリガナ無し。一方、「にごりえ」にも「押(おし)かけて行(ゆ)つて」(新潮文庫 p.8)とあるので、誤植ではないのでしょうが、江戸語・東京語としてこういう言い方があったのかどうか、知りたい気がします。

 ところで話は変わりますが、「言う」を「ゆう」、「言い」を「ゆい」という言い方はけっこう古く、16世紀末の「天正本節用集」にも載っているそうです。しかし、さらにさかのぼって、鎌倉時代末期の「とはずがたり」にも出てきます。

この御文をもてさはぐに「いかなるゆふかひなさぞ。御返事は又申さじにや」とてくるをとす。(笠間索引叢刊『とはずがたり総索引本文篇』p.14。濁点および句読点、括弧を付す)

 「いふかひなさ」でなく「ゆふかひ……」なんですね。後世の誤写と考えることもできますが、この「とはずがたり」にはまた

いつもたゞ神にたのみをゆふだすき かくるかひなき身をぞうらむる(同書 p.272)

という歌も出ていて、「言ふ」と「木綿襷(ゆふだすき)」を懸けています。当時「言ふ」を「ゆう」と発音していなければ、こういう懸け詞はできないはずです。

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