98.11.11
お飲みになりたいですか
朝、宅配便の声がして、注文していた書籍が届きました。その一つ、蒲谷宏・川口義一・坂本恵著『敬語表現』(大修館書店)が面白いです。
キッチリした敬語を使ってるのに、どことなく無礼な人って、いるものですね。なぜそうなるかというと、「敬語」は使えても「敬語表現」ができてないところに原因があるようです。
この本から一例を引くと、こういうことです。社員が課長に対して
「課長もコーヒーをお飲みになりたいですか」(p.212)
と言ったとする。言われた課長は怒るでしょう。なぜだろう? 「お飲みになる」は、敬語としてちゃんとしているではないか? 実は、問題は「〜たいですか」にあります。日本語では、相手の意志を尋ねる発言自体が、礼を欠いた行為と考えられるのです。
菊地康人氏も、『敬語再入門』(ちくま新書)の中で、学生から「先生もコンパに来たいですか」と言われて腹が立った、というようなことを書いています(p.8)。そりゃそうだ。
こういう場合、「課長、コーヒーはいかがですか」「先生もコンパにいらしていただけませんか」といえば、問題はなくなります。
一方、英語などでは、相手の意志や希望を直接的に尋ねる方が、〈むしろ丁寧〉だそうです。たしかに「Would you like to have more coffee?」などという文を僕も習ったような覚えがあります。
もともと、「たい」という助動詞は、自分のことには使えるが、他人や、モノについては使いにくいんですね。たとえば次のような文はどうでしょう。
門番〔……〕酒ってやつは、それ、例の三つのことを、えらく、唆(そそのか)しやがるので。
マクダフ 三つとは、何だ?
門番 決ってまさあ、鼻の頭が赤くなる、眠くなる、小便が出たくなる。(シェイクスピア・福田恆存『マクベス』新潮文庫 p.40)
「小便」はモノなので、「たい」を使うのは違和感があります。「小便を(が)したくなる」ならいいんでしょうが。
外国人による日本語文章を読むと、ちょっとひっかかるときがあります。日本文学研究家のドナルド・キーン氏が作家・安部公房を追悼する文章で次のように書いていました。
少なくとも二年ほど前から、〔私は〕安部さんが重病にかかっていることを知っていたが、どういうわけか、安部さんは病気のことを絶対に人に知らせたくなかった。(「朝日新聞」1993.01.23)
これは、ふつうならば「絶対に人に知らせたがらなかった」となるはずのところです。ドナルド・キーン氏ほどの人でも、使い分けができにくいようです。
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