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98.09.13

「我が輩」は単数か複数か

 「我が輩」は単数か複数か。結論から言えば、どちらもあります。「I」と「we」との両方ですね。
 「輩」の和訓は「ともがら・やから」。どちらも「仲間」ということですから、もともとは「我が輩」は複数形だったのが、明治時代ぐらいから、単数としても用いられるようになったようです。
 さて、そうすると、問題になるのは、近現代の文章を読んでいると出てくるそれぞれの「我が輩」が、単数なのか、それとも複数なのかということです。
 たとえば「吾輩は猫である」の冒頭の

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。

は、「I」ととって支障がないと思われます。ただし、漱石は米人ヤングへの献辞で

Herein, a cat speaks in the first person plural, we.
〔本作品においては、一匹の猫が第一人称複数(we)で語ります。=山内久明訳〕(『漱石全集』26 p.284「ヤングに贈りたる『吾輩ハ猫デアル』献辞」)

と書き送っているから、漱石の意識としては複数だったふしもある。とはいえ、上の「吾輩」と、次のような「吾輩」とは明確に違うでしょう。

然し人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得る位に天の恵に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにして置いた。(『吾輩は猫である』新潮文庫 p.21)

 「猫属」とあるのだから、この「吾輩」は「we」と取るほうがよいですね。こういうふうに、文脈によって読み分けてゆく必要があります。
 二葉亭四迷「浮雲」の冒頭のせりふも、「我輩」から始まります。

 「しかしネー、もし果たして課長が我輩を信用しているなら、けだしやむを得ざるに出でたんだ。〔後略〕」(文字改める)

 これは複数形です。このせりふは主人公の同僚のものですが、主人公は課長からクビを言い渡された。それを慰めるというか、からかうという感じで、同僚が上のようにいうのです。「課長がもし我々部下を信用しているならば、君を免職にしたのもやむを得ない事情があったんだよ」という意味。ところが、作家の清水義範氏は、これを次のように現代語訳しました。

「しかしまあ、課長はぼくを信用してくれていて、やむをえずこうしたんだと思うなあ。〔後略〕」(清水義範『普及版日本文学全集 第二集』集英社文庫 p.199)

 「我輩」を「ぼく」と単数に解釈したんですね。これでは意味が通じません。「ぼく」、つまり同僚を信用しているかどうかは、主人公をクビにする理由とは関係ないじゃないか。清水氏の才能には敬意を表しつつも、こういう基本的なところで間違われてしまうと、ちょっと困惑します。

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