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98.09.20

「あぶのうございます」

 たしか1986〜7年ごろのことと記憶しますが、中学のときの恩師が、地元香川県の「四国新聞」で、中学生のために国語の問題を執筆していたことがあります。
 その初回だったと思う。英文学者の外山滋比古氏のエッセイが出題されました。その文章に、たいへん興味深いことが書いてありました。僕はぜひその原典が読みたくなり、それから間もなく、恩師の家を訪問した時に、話のついでに尋ねてみました。
「あれは、何という本からとった文章なんですか」
「さあ、何やったかなあ……」
 何やったかなあ、とは心細い。出題者の責任として、そういうことは覚えておくべきじゃないかしら。
 こうなると、自分で探すよりしかたがないのですが、なにしろ外山氏という人はエッセイが多い。僕もとくにそればかり探していたわけではないので、何という本の何という文章なのか気にはなりつつ、そのままになっていました。
 ところが最近、ようやく分かった。『ことばの四季』(1980.06 毎日新聞社)でした。こういう文章です。

 宇高連絡船で高松へ渡った。なれぬ早起きをしてきたので、頭がボーッとしている。晴れた日の海を眺めることも忘れて、うつらうつらしているうちに、着いた。
 港が近づくと、乗っている人は降りる仕度をして「下船口」という札のぶら下がっているところへ集まる。並んで接岸を待つ。だれも口をきくものがない。朝が早いからなのか。それとも、いつもこうなのか、わからない。
 ぼんやり、前方を見ていると、出口の頭の上に注意書きがある。
  あぶのうございます
  ホームや通路で走らないでください
「あぶのうございます」にこういうところでお目にかかるのは珍しい。寝不足の目が洗われる思いをする。〔下略〕(中公文庫版による。p.215)

 恩師が新聞の国語欄を担当したときには、まだこの宇高(うこう)連絡船は現役でした。おそらく、恩師としては「わが高松ではこういう美しいことばが使われているのだ」ということを中学生に知らしめる意図で、この文章を選んだのでしょう。
 瀬戸大橋が1988.04に開通したのに伴い、連絡船は廃止になりました。僕はたしかに「あぶのうございます」の注意書きがあったことを記憶していましたが、10年も経つうちに、どこに書いてあったか、桟橋ではなかったか、文句はどうだったか、と記憶があいまいになってきました。今回、外山氏の文章をあらためて読んで、船の出口の頭上に書いてあったことが確認できました。
 「あぶのうございます」という、いささか古風で柔らかな言い方が、たしかに故郷の連絡船で使われていた事実は、ぜひ銘記しておきたいものです。今の僕なら、帰省の時に写真を撮っておくところです。でも、昔はぼうっとしていて、そういうことを記録することはなかった。外山氏の文章に感謝しています。
 高松市は、瀬戸大橋の開通以後、急激に変貌をとげ、往時のおもかげはなくなりつつあります。開発とともに、どれだけのことばが失われていっているか、それを思うと慄然とします。

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