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98.08.29

新旧「オヨヨ島の冒険」

 別のところでも書きましたが、小林信彦氏は比較的多作にもかかわらず、絶版作品の多い作家です。
 『オヨヨ島の冒険』は、小林氏が子ども向けに執筆した小説で、1970.03に朝日ソノラマから出、1974.09に角川文庫に収録されました。その後、紆余曲折を経て絶版になりましたが、今では再び角川文庫から改版されたものが「REVIVAL COLLECTION」の1冊として復刊されています(1996.11)。
 新旧の角川文庫版を比較してみると、CMネタなどは、今の子どもに分からないので全部差し替えられています。他にも表現の改められた個所は随所にあって、30年近く隔たった時代の流れというのが痛感されて、なかなか面白いです。
 いくつか見てみましょう。

(1)
 「大沢さんのお嬢さんですか?」と、声がかかった。
 ひょっとしたら、映画会社のスカウトかもしれないと思って見ると、二つの首が土管からはえている。(旧版 p.26)
 映画会社→芸能プロ(新版 p.23)

 この変更は、よく分かりませんが、俳優が映画会社に属していた時代が1970年代ごろで終わり、今では芸能プロ主体に活動することが多くなったということでしょうか。

(2)
 富士山が珍しくはっきり見える。新幹線には、二、三回乗っているけど、曇っていたり夜だったりで、こんなふうにそばから見たのは、初めてだ。(旧版 p.30)
 二、三回→何度も(新版 p.27)

 東海道新幹線が開通したのは1964年で、博多まで延びたのが1975年ですから、初版のころは「新幹線」というと特別な乗り物だったと思います。今ではいったいいくつ路線があるのか多すぎて数えきれません。「新幹線」ということばの輝きもやや色あせたような。

(3)
 「あたしゃ、三十六階ビルを買いとって、全部を有料トイレにしますね」(旧版 p.55)
 三十六階ビル→超高層ビル

 「三十六階ビル」というのは、1968年に完成した霞が関ビルのこと。これ以後、続々と超高層ビルが建っていて、今では36階といってもピンときません。昔は「霞が関ビル何杯分」などと計量の目安に使われていましたが、今では「東京ドーム」がこれに代わった。

(4)
 あたしたちの内ゲバを、一同は笑いもせずに見ていた。 (旧版 p.142)
 内ゲバ→言い争い(新版 p.122)

 旧版が書かれた1970年代初頭にセクトの内部抗争が本格化し、やがては1972年の連合赤軍の「あさま山荘事件」が起こってしまったと認識していますが、「内ゲバ」も今では死語かもしれません。
 このほか、「押せば命の泉、わく」「バカボンの親父も、ニャロメも、ケムンパスも、山岸くんも」「アジのヒモノはおあずけだよーん」「知らない、知らない……」「ハナマルキー!」などのテレビ番組ネタが削除・差し替えされています。しかし、全編にただよう1970年的雰囲気はそれでも濃厚に残っています。
 「カセット・コーダー」なる不思議なことばも旧版にはあったのですが(p.36)、新版では「カセット・レコーダー」に。「カセット・コーダー」なんてことばが本当にあったのかな。「テープレコーダー」を「テープレ・コーダー」と異分析した結果生まれたことばのような気もします。


関連文章=「カセット・コーダー

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