98.08.15
子を「いさめる」
書店で、15日初版発行の石山茂利夫著『今様こくご辞書』(読売新聞社)を買ってきました。
これは「読売新聞」日曜版の連載をまとめたもの。今日よく問題にされる色々なことばを追究しています。この欄で前に書いた「シュミレーション」「ヘアヌード」も入っている。
全般的に、誤用といわれることばも、よく調べれば必ずしも誤用とばかりはいえないということが明らかにされ、なかなか小気味のいい内容です。
連載当時にもちょっと読んだことがありましたが、単行本では貴重な用例の増補を含めて大幅に加筆修正されていて、著者のいうように「国語学者の方が読んでも参考になるレベルの材料を少なからず盛り込」(まえがき)んでいると思います。
さて、この本の第1節が「いさめる」。
「いさめる」という語は、目下が目上に対して忠告するときに使われる語である。今ではだいたいの辞書にそう書かれている。しかし、上下関係がよじれた現代では、単に「強く忠告する」の意味になっているのではないか。また、「戒(いまし)める」との混用もみられる、ということを、用例を元に論じています。
僕も、「いさめる」は、石山氏ほどではないけれど、注目していました。
でも生体実験のような恐ろしいことが行われたことは若い世代にきちんと教えて、後世のいさめにすべきじゃないですか。(私見/直言 沖縄大学教授・郭承敏=毎日新聞 1995.05.30 p.4)
は「いましめ」との混用でしょうし、
〔私はスランプになると〕紙、ペン、ふで、物さし、ハケ、参考書をズタズタにして、火をつけます。
このケムリがあがるや、インディアンがのろしをみとめたごとく家中おどってよろこびます。
だれ一人として、いさめる者はいないのです。私が八の字をよせて案を考えているうしろ姿が、いやだ、と皆で叫ぶのです。(長谷川町子『サザエさんうちあけ話』1979.03.08印刷 p.109)
は、家族が町子さんを「いさめ」ないということで、上下関係は考えずに使われています。
しかし、昔は「目上の人に対して忠告する意」で使われていたかというと、そうとばかりもいえないと思います。たとえば明治時代の唱歌「数えうた」ではこうなっています。
四つとや、善き事たがいにすすめあい
悪しきをいさめよ友と友 人と人。(『尋常小学唱歌(三)』1912.3=講談社文庫『日本の唱歌(上)』 p.65)
友だちの間に上下関係があるわけはありませんから、これも、「目上の人に対して」言っているのではありません。
『今様こくご辞書』の松村明氏の談話では、「いさめる」は平安のころから目上の人に対して忠告する意味で使われるようになった、漢字の「諌」(目上に忠告する)の意味の影響もあったと説明されています。
ところが、もっと後の鎌倉時代の「平家物語」でも、平清盛が、生意気な息子の重盛に対して
あはれ、れいの内府(重盛)が世をへうする(バカにする)様にふるまふ、大いに諌めばや(いさめてやろう)。(巻二 教訓状)
と思ったとありますし、「徒然草」(鎌倉末期)にも、
親の諌め、世の譏(そし)りを包むに、心の暇なく、(第三段)
のように、放蕩息子が親からの「いさめ」を気にするという記述があります。これはどう考えたらいいんだろう。
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