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04.01.02

地元新聞をあげつらう

 正月、郷里へ帰り、元日の分厚い新聞を開く。うちでは全国紙1紙、地方紙1紙をとっているので、えらくかさばります。
 郷里の新聞を読むのは久しぶりです。当然のことながら、第1面トップはわが県に関する特集記事です。題して「香川再編 まちの行方」。よその自治体と同様、当地でも市町村合併は当面する大きな課題の1つです。
 自分の生まれた県の枠組みが大きく変わるかもしれないという問題には無関心ではいられず、つい読んでしまいました。それにつけても「この新聞は文章があかぬけないな」と感じました。生まれ故郷のものを軽んじがちな僕の悪い癖でしょうか。
 今回は、多少意地悪ではありますが、地元紙の記者が苦心して書いた元旦の特集記事の文章をあげつらいます。正月のことですから、なかば遊びということでご容赦を。

 記事は、こう始まります。

 自分たちが住む街のありようを判断する年、二〇〇四年が明けた。

 「自分たち」とはだれだ、イラクやパレスチナや世界各地の人々を含めているのでない以上は、「香川県民が」と主体を明示すべきではないのか、それに、2004年というのは県民にとって単にそれだけの年か、などとまず指摘したくなります。これはレトリックの巧拙に属することなので深入りしません。
 ただし、「二〇〇四年が明けた」という言い方はひっかかります(追記参照。「二〇〇四年が明けた」という言い方は文法的に説明できると、後に考えを変えました)。「2003年が暮れた」とは言う。「年が明けた」も言います。「明けて2004年」も僕は使います。では、「2004年が明けた」はどうか。そうとも言うのかもしれませんが、僕には違和感があります。
 僕にとって、この「明ける」は「改まる」に近いものです。「年が明けた」ならば「年が改まった」、「明けて2004年」ならば「年が改まって2004年」ということだから、不都合はないのです。
 江戸時代に新井白石の書いた『折りたく柴の記』を見ると、

此のちは、なを父母の許にのみ侍りて、その年もあけて、夏の半に、またあねにておはせし人を夢に見まいらせしかば、
(この後は、相変わらず父母の所にずっといて、その年〔延宝5年〕も改まって、〔延宝6年の〕夏のなかばに、また姉のことを夢に見たので、)

と書かれています。ここでは「その年が明ける」は「その年が始まる」ではなく、「その年が終わって次の年が始まる」という意味で用いられています。
 このことを念頭に置けば、「二〇〇四年が明けた」は「2004年が改まって2005年が始まった」ということになりはしないでしょうか。1年早すぎます。

 さらに先を読み進めて行くと、こうあります。

 昨年、県内でも合併協議会設置をめぐる初の住民投票が行われるなど、新しい枠組みを求める動きが活発化した。が、見えてきたのは、行政側と民意とのかい離、そして行政同士の軋轢(あつれき)だった。

 「乖(かい)離」「軋轢(あつれき)」とするか、「かい離」「あつれき」とするか、どちらかに統一してほしい――いや、そのように難しいことばを使わなくても、「隔たり」「きしみ」でよくはないか、と思います。
 この部分は文章としても雑です。「行政側」と「民意」を対置していますが、これはおかしい。並べることばは対等でなくてはなりません。「行政側と住民側」、または「行政側の考えと民意」とすべきでしょう。

 さらに、次の段落。

 新たな秩序を生み出すためには、大きな痛みと困難が伴う。とはいえ、合併の是非を含め、住民参加のもと十分な議論を行うことが重要だろう。

 この「とはいえ」が分かりません。「とはいえ」がくれば、ふつうは、その後に付け足しとして逆方向のことが添えられるはずです。ここは「だからこそ」などの接続詞を使うべきでしょう。
 「……大きな痛みと困難が伴う。だからこそ、(どのような痛み・困難があるかを住民に開示して)十分な議論を行うことが重要だろう」
 というふうになるはずです。
 もしかすると、記者としては次のようなつもりで書いたのかもしれません。
 「合併のために、反対勢力や住民たちと話し合うのは面倒くさい(=大きな痛みと困難?)だろう。とはいえ、それはしなければいけないことだ。そして、その話し合いでは、合併の是非を含め、住民参加のもと……」
 というふうに。それならば、途中の文章が抜け落ちていることになります。いずれにせよ、抽象的で分かりにくい。

 最後に、ここまでのまとめとなる段落を見ましょう。

 香川というキャンバスに、どんな街の姿を描き出していくのか―。将来像を考える絶好の機会を今、迎えている。

 「香川というキャンバス」という言い回しは、持って回った言い方の割にはレトリックとして効果が薄いようです。ことによると、合併協議会などでは好んで使われている言い回しなのかもしれませんが、こういう部分が野暮ったさを感じさせます。もっと素直に
 「香川県民は今、自分たちの街についてはっきりとした将来像を見定めるべき時期を迎えている」
 とでもまとめれば、書き手の意図がすっきりと伝わるでしょう。

 久しぶりに手に取った郷里の新聞に対して、批判的な態度がやや強すぎたかもしれません。僕自身は、小さいころからこの新聞を読んで日本語の勉強をしてきたのですから、あまり地元の新聞をけなすのは、天に向かってつばすることでもあります。


追記 この文章を書いてから10年以上経った2017年1月、私は以下のような文章をツイッターに投稿しました。

 以前は「二〇〇四年が明けた」という言い方に疑問を呈した私でしたが、その後、2017年には「新年が明けた」は文法的に説明できると述べているわけですね。ところが、この時点で、以前に書いた文章のことはすっかり忘れていました。
 すると、2017年1月に、kumiyama-aさんが「はてなブックマーク」で、次のように指摘されました。

飯間先生は「2004年が明けた」(=明けて2004年になった)に対しては「違和感があります」とのご見解。〔略〕その後お考えが変わったのか、あるいは「2004年」と「新年」では何か違いがあるのか…〔リンクはこちら

 まったく恥ずかしいことで、私は以前の見解に訂正を加えることを忘れていた(というか、その文章自体忘れていた)というていたらくでした。kumiyama-aさんの書きこみに気づいたのは、2019年1月になってからでした。
 改めて、「新年が明けた」は、「明けて新年になった」と解釈できるのと同様、「二〇〇四年が明けた」も「明けて二〇〇四年になった」と解して差し支えないと、前言を訂正しておきます。結局、15年経ってからの訂正ということになります。(2019.01.21)


関連文章=「町名廃止に衝撃

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