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00.12.06

あんなことを言ってる

 「この」「その」「あの」とか「こんな」「そんな」「あんな」とかいうことばをまとめて「指示詞」と言ったりすることがあります。
 「こ」「そ」「あ」について、その基本的な違いを簡単にまとめれば、「こ」は自分に属する物事についていう場合、「そ」は相手に属する物事についていう場合、「あ」は自分にも相手にも属さない物事についていう場合に使うということになるでしょう。明確に区別があります。
 もっとも、こう言い切ってしまうと、いろいろと説明できない例も出てくるようです。たとえば、阪田雪子氏は、

 今,工事現場へ,備栄建設の若社長がみえたんです。其処にみえてますが,総務さんにお目にかかりたいそうです。(『塔』飯沢匡)

といった例を挙げています(「指示語「コ・ソ・ア」の機能について」)。若社長は、自分からも相手からも遠いところにいるので、「あそこ」、漢字で書けば「彼処」になりそうなものですが、「其処(そこ)」も使えるのですね。
 では、次のような例はどうでしょうか。酔って道ばたで気分の悪くなった三郎のために、朋子という女性が、近所の家からコップの水をもらってきます。

「知ってる家なの?」
 コップを受けとりながら三郎が尋ねた。もうよほど落ちついていた。
「いいえ。でも水がなきゃあ貴方の口が汚ないと思って……」
「恐れ入った。その家は君、県の警察部長のお邸なんだぜ。大した心臓だなあ」
あんなことを言ってる。貴方のためじゃありませんか」(石坂洋次郎『暁の合唱』新潮文庫 p.143)

 この「あんな」が指すのは相手のせりふ(相手に属する)ですから、「そんなことを言ってる」とか「そんなことを言って」とかなりそうなものですが、実際には「あんな」です。指す対象が単なる場所ではなく、せりふ(文脈)なのでややこしいのですが、なぜこうなるのでしょうか。
 一つの説明として、この部分は朋子の独り言だから「あんな」が使われているのだ、ということも可能でしょう。相手の存在を無視して、つまり、相手に近いかどうか関係なく、自分に近いものを「こんな」、自分から遠いものを「あんな」と表現すると考えるわけです。
 もっとも、これでは次のような例がうまく解釈できません。「大森」という男と少女の会話。

「これは奇妙不思議だ、中西へ手紙をやろうとすると、お蝶さんがやって来る、争そえんものだ」
 と大森が十七八の少女に手紙を渡す
「アラ又あんな事をおッしゃる、中西さんなんか何でもないワ、真実{ほんと}に私くやしいわ、皆なして揶揄{からか}うんだもの」と手紙を奪取{ふんだく}るように取って「可いわ、そんな事をおッしゃるならこのお手紙を何処{どっか}へ打捨{うっちゃ}ってしまうから」(国木田独歩「疲労」新潮文庫『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』 p.231)

 「アラ又あんな事をおッしゃる」は、現代の感覚では「あら、またそんなことをおっしゃる」のように「そんな」を使ったほうがしっくりするところです。敬語の「おっしゃる」が使われており、目上の人の前で独白をするというのは自然でないように思います。ここは、面と向かって相手と会話しているものと解釈されます。すぐ後に「そんな事」とあるのも注目されます。
 これらは古い言い方で、現代語と同列に論じては危険であるかもしれません。
 「東海道中膝栗毛」では、興津の宿に至った弥次郎兵衛が、そこで見かけた駕籠屋の子どもに団子を勧める場面で「あの子」と呼びかけます。

弥二「ハアそふか。コウあの子、団子{だんご}がふたつあまつた。ソレくいな かごやのこ「うらアやアだ(二編下・岩波文庫 p.168)

 相手に向かって呼びかけるわけですからね。現代ならさしずめ「おい、そこの坊や」と、「そ」を使いそうなものです。
 「そ」と「あ」の境目は、歴史的にもずいぶんと揺れ動いてきたようです。


追記 OG3氏より、大阪落語の台詞に「まだ、あんなこと言うてる」という言い方が時々出てくるということをご教示いただきました。
 たとえば、角川文庫『古典落語 十 上方ばなし』に出てくる例。

「ほな、なんでっか、黒焼き屋が飼うときまんのか」
「まだ、あんなこと言うてるでえ、黒焼きにすんのやないか」
 ――天神山(三代目小文枝、現文枝)――

「……、若旦那ですか、ちょっと一杯いこか」
「まだあんなこと言うてんで。……」
 ――市助酒(六代目松鶴)――

「よきで割んのやろ」
「まだあんなこと言うてる。……」
 ――船弁慶(三代目小文枝、現文枝)――

 また、次のような例もあるとのこと。

「これ、なんぼやるね、一ぱい一銭やで」
「あ、これお金がいりますのんか」
ああいうあほやがな」
 ――天王寺参り(六代目松鶴)――

 OG3氏によれば、これらは「自分の想定から大きく外れた言葉に対して,相手に言うともなく返す言葉ではないでしょうか.つまり,Yeemarさんの仰る『独り言だから』に近い状況であると同時に,『自分の考えからは遠い』と言うことが『あ』に込められている気がします」とのことです。
 「あ」によって、相手の考えや発言に対する心理的距離をも表しているのでしょうね。(2000.12.13)

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