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00.03.29

やっ、どーも

 たまたま何も読む本(文庫本など)を持たずに大学に出かけました。こういうときほど手持ちぶさたなことはありません。電車の中でも暇でしょうがない。かといって週刊誌を買うのも無駄遣いのような気がする。
 ちょうど、校舎の入口に「早稲田大学学園誌 新鐘」なる雑誌が積まれていました。これを一部取り、移動の際などにぱらぱら読みました。「学園誌」なんてふだんは見ないのですが、読んでみると意外におもしろいものです。
 政治経済学部のポール・スノードン教授が、「おしゃべりの社交効果」という題で一文を寄せていました。その中で、どうしてスーパーマーケットの客はレジで何もしゃべらないのか、と疑問を投げかけています。

レジ係の同じ日本人が一生懸命「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またお越しくださいませ」と大きい声で迷惑になる程度まで発言するのに、お客さんたちはほとんど黙っている。会話のgive and take(交互さ)はどうなっているんだろう。読者の皆さん、自分についてもこの調査をしてほしい。〔略〕腹芸、以心伝心(英語で言うとテレパシー!?)に任しすぎていないだろうか。(早稲田大学学生部「新鐘」61 1999.12.01 p.17)

 「交互さ」というのはあまり聞かない日本語ですけどね。
 そういえば、僕もこないだスーパーマーケットのレジに並んでいるとき、ふと同じことを思いました。若者も、おばさんも、買い物客はだいたい黙っておりますな。どうも、人間的な感じがしません。
 スノードン教授は、〈店員の「いらっしゃいませ」という言葉自体が反コミュニケーション的効果があるという風に考えられないこともない〉、なぜなら、それに対して「はい、参りました」とは言えないから、とも指摘しています。なるほど。「いらっしゃいませ」に対するあいさつは日本語にはないかもしれません。
 また、仮にあっても、事務的なあいさつをされると、答える気にならないということもありますね。ときどき、何かの勧誘の電話がうちに掛かってくることがありますが、中には、あきらかに電話口の向うで原稿を読んでいる人がいる。ひどいのになると、テープ音声で「これからする質問に答えてください」云々というのもある。あれで、答えてもらえると思っているのかしらん。
 それはともかく、やはり、店頭では客もそれなりの受け答えをしたほうがいい。といって、どういうあいさつをしたらいいのか、それこそあいさつに困るのも本当だ。
 そこで、推奨したいのが「どうも」という便利なあいさつです。「どうも」は、どういう時でも使えます。それだけに、ルーズなことばであって嫌いだという人もいるようですが、なあに、ハワイ語の「アロハ」というあいさつも、どこででも使えるそうじゃないですか。それと同じです。
 「いらっしゃいませ」「あっ、どうも
 「オレンジジュースが1点、牛乳が1点、ミネラルウォーターが1点で、304円になります」「はいはい、さんびゃく、よ・え・ん、と。エート、では400円で」
 「はい、では400円からお預かりします。96円のお釣りです」「はいはい」
 「どうもありがとうございました」「はい、どうも
 どうでしょうか。ちゃんと会話になっているではありませんか。
 じつは、僕は昔は「どうも」というのが軽薄っぽくて嫌いでした。1980年代の中ごろ、NHK「ニュースセンター9時」の木村太郎キャスターが、記者との電話の最後に「どうも」と言ってから受話器を置くのが気になった。でも、それを何度も聞いていると、アレルギーが薄れたといいますか、「こういうときには『どうも』と言うしかないよなあ」と思い始めました。
 今では、「どうも」の愛用者で、店先のような場では多用しています。日本語のあいさつ語の不足を補うため、「『どうも』使用推進委員会」でも作ろうかと思っています。美しいことば、「どうも」を広めよう。
 ちなみに、タイトルの「やっ、どーも」は、植木等さんがかつて映画などで多用したせりふ。あまり美しくないか……。


追記 ハワイ語の「アロハ」と「どうも」を比べた論は、すでに金田一春彦『日本人の言語表現』(講談社現代新書、1975、p.40)にあります。金田一氏も「この「どうも」の下には、どのような意味の語句が省かれたとも解釈できるので、はなはだ便利である。」と記しています。
 なお、「どうもでした」という言い方がよく聞かれ、定着しつつあるのかもしれないと思います。僕はこの言い方は筒井康隆『言語姦覚』(中央公論社、1983、p.13)で見たのが初めてでしたが、「そんな言い方はないだろう」と思ったものでした。(2000.11.12)

追記2 漁業実習船えひめ丸に米原潜が衝突した事故を報じる新聞記事の中で、

 また、ハワイ・オアフ島に住むノラン夫妻は十八日付の地元紙を通じ、「生存者と行方不明者の家族に、深い同情と心からの『アロハ』の気持ちを伝えたい」との声明を出した。(朝日新聞 2001.02.20 p.3)

という文章がありました。「アロハ」は深い哀悼の意を表すこともできるようです。(2002.01.11)

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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