![]() |
00.03.31 又「ことほどさように」 ![]()
「ことほどさように」ということばの意味がよく分からない、ということについて以前書きました。ことばの意味を僕なりに定義したりもしましたが、どうも自信がもてませんでした。で、それ以来も、あいかわらず、このことばを使うことができない次第。
〔人前であがってもいいじゃないか、という話の中で、自分はむしろあがるように仕向けていっている、と明かして〕そうすることによって、毎回のできが違ってくる。毎回の演技に流動性がでてくるということです。
〔人は、優れた点よりも欠点が分かったときに仲よしになる、という話で〕あいつすごく頭がきれる、すごく仕事ができるなんてことでは、なかなか仲よしにはなりませんな。それよりも、〔略〕おっちょこちょいとスケベーなところがピタッとくっついて、心を許したつながりというものが出来てくる。そんなもんじゃありませんか。
〔話し方は伝染する、という話で、子供、政治家、スポーツ選手などの例を挙げ〕さらに、人のしゃべり方というのは、もちろん、世代や時代によっても変わってまいります。若い人のしゃべり方、オジンのしゃべり方、大オジンのしゃべり方は当然違うわけであります。
小沢さんの使用法をみると、以前考えたとおり、まず(1)命題を示し、(2)具体的な例・証拠を出し、(3)その後、「ことほどさように」を使って結論を言う、というふうになっていると思います。 いずれにせよ、「針の落ちる音が聞えるくらい静かだ」という言回しは、「表現に役立つ現代語の用例」として勧められても用いるつもりはない。英語からきたとされる「事程左様に」を使えないように、筆者の手持ちの言回しとはならないようだ。(p.166)
柳瀬氏は英文学者ですから、原語とされる「so...that」のニュアンスはよく分かっているはずです。しかし、日本語の「ことほどさように」を英語と同じような調子では使いにくい、と感じているのではないでしょうか。
|
![]() | ||||
| ||||
![]() |