訳者解説
本書は
Alt, E. J. , and Chrystal, K. A. , Political Economics , University of California Press, 1983.
の全訳である。政治経済学という名称は人によってさまざまな印象を与えると思われるので,以下ではまず,本書のいう「政治経済学」の概要を説明したいと思う。次に,本書は政府支出について恒常所得仮説なるものを積極的に主張しているので,この仮説をより広い観点から検証した結果を報告することにしたい。
政治経済学という決まった分野があるわけではないので,まず大まかな枠組みを述べておきたい。もともと経済学そのものが政治経済学という議論もある。すでに,財政学や公共経済学という分野で研究されていることと重複する部分も多い。本書も外部性や公共財,景気安定化政策などミクロおよびマクロ経済の標準的理論の解説がかなりの部分を占めている。
本書から特に政治経済学に特有の,ほかの分野ではかならずしも明示的に扱われていない部分をあえてとりあげてみれば,たとえば次のような研究分野になるであろう。
これらは本書の5・6・7章で扱われているテーマで,特に政治的景気循環の理論は70年代に盛んに論じられたものである。しかるに著者達は特にこの政治的景気循環に対して,執拗ともいえる批判を行なっている。つまり,従来政治経済学の基本テーマだとされてきた理論を批判することから本書は始まっているのである。本書の基本テーマは
となっている。
以上のテーマは,おそらく従来の正統的な教科書では付随的にしか扱われてこなかった分野であろう。それ故これらを特に政治経済学という名前で統合的に扱う価値はあると思われる。あるいは経済政策論と呼んでもよいかもしれないが,投票行動等の政治行動をも扱うので,昔からある名前であるが「政治経済学」と呼んでおこう。
一般的には,政治は経済状態から政権,支持率,得票率を得,経済は政治からさまざまのミクロ的産業政策,マクロ的財政金融政策を得る。政治は経済政策を供給し,経済は政治的支持を供給する。両者の相互連関をできるだけ明示的に分析するのが政治経済学ということになろう。
市場と政府,資本主義と社会主義,自由と規制など重なるテーマも多いので,この定義はあくまで暫定的なものでしかない。
本書で参照されている文献で,日本語訳が出版されているものを挙げておこう。
Allison, G. T. The Essence of Decision:Explaining the Cuban Missile Crisis. Boston:Little, Brown,1971.[Chapter 6] アリソン『決定の本質−キューバ・ミサイル危機の分析』宮里政玄訳,中央公論社(1977年)。
Baran, P. A., and P. M. Sweezy. Monopoly Capital:An Essay on the American Economic and Social Order. New York:Monthly Review Press,1966.[Chapter 1] バラン・スウィージー『独占資本』小原敬士訳,岩波書店。
Buchanan,J.M. Public Finance in Democratic Process:Fiscal Institutions and Individual Choice. Chapel Hill:University of North Carolina Press,1967.[Chapter 8] ブキャナン『財政理論−民主主義過程の財政学』山之内光躬・日向寺純雄訳,勁草書房(1971年)。
Buchanan,J.M., and R.Wagner. Democracy in Deficit. New York:Academic Press,1977.[Chapter 8,9] ブキャナン・ワグナー『赤字財政の政治経済学』深沢・菊池訳,文真堂。
Caves,R.E., and R. W. Jones. World Trade and Payments:An Introduction. Boston :Little, Brown,1973.[Chapter 4] ケイブズ・ジョーンズ『国際経済学入門』小田正雄・江川育志・田中茂和訳,多賀出版。
Downs,A. An Economic Theory of Democracy. New York:Harper & Row,1957.[Chapter 7,8] ダウンズ『民主主義の経済理論』古田清司監訳,成文堂(1980年)。
Friedman,M. Theory of the Consumption Function. Princeton:National Bureau of Economic Research,1957.[Chapter 10] フリードマン『消費の経済理論』今井賢一・宮川公男訳,巌松堂(1961年)。
Friedman,M. Capitalism and Freedom. Chicago:University of Chicago Press,1962,[Chapter 1] フリードマン『資本主義と自由』熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌訳,マグロウヒル好学社(1975年)。
Friedman,M., and R. Friedman. Free to Choose. New York:Harcourt Brace Jovanovitch,1980.[Chapter 1] M.フリードマン&R.フリードマン『選択の自由』西山千明訳,日本経済新聞社(1980年)。
Galbraith, J.K. The Affluent Society. 3rd ed. 1958. Reprint. Boston: Houghton Mifflin,1976.[Chapter 2] ガルブレイス『ゆたかな社会』鈴木哲太郎訳,岩波書店。
Hayek,F.A.,ed. Collective Economic Planning. London:Routledge & Kegan Paul, 1935.[Chapter 1] ハイエク『集産主義計画経済の理論』迫間眞次郎訳,実業之日本社(1950年)。
Hayek,F.A. The Road to Serfdom. Chicago:University of Chicago Press,1944.[Chapter 1] ハイエク『隷従への道』一谷藤一郎訳,創元社(1957年)。
Keynes,J.M. The General Theory of Employment,Interest,and Money. 1936.Reprint. London:Macmillan,1973.[Chapter 3] ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』塩野谷祐一訳,東洋経済新報社(1983年)。
Lange, O., and F. M. Taylor. On the Economics of Socialism. 1938. Reprint. New York:McGraw-Hill, 1964.[Chapter 1] ランゲ&テイラー『計画経済論』土屋清訳,中央公論社(1942年)。
McCracken, P., et al. Towards Full Employment and Price Stability. Paris: Organization for Economic Cooperation and Development,1977.[Introduction] OECDマクラッケン・リポート『世界インフレと失業の克服』小宮隆太郎・赤尾信敏訳,日本経済新聞社(1978年)。
Olson,M. The Logic of Collective Action. Cambridge,Mass.:Harvard University Press,1965.[Chapter 2,8] オルソン『集合行動論:公共財と集合理論』依田博・森脇俊雅訳,ミネルヴァ書房(1983年)。
Rawls,J.A. A Theory of Justice. Cambridge,Mass.:Harvard University Press,1971,[Chapter 1] ロールズ『正義論』矢島釣次監訳,紀伊国屋書店(1979年)。
Schumpeter,J.A. Capitalism,Socialism, and Democracy. London:Allen & Unwin,1966.[Chapter 1] シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』中山伊知郎・東畑精一訳,東洋経済新報社(1962年)。
Smith,A. An Inquiry into the Nature and causes of the Wealth of Nations. 1776. Reprint. Oxford:Clarendon Press.1976.[Chapter 1] スミス『諸国民の富』大内兵衛・松川七郎訳,岩波書店。
Triffin,R. Gold and the Dollar Crisis: The Future of Convertibility. New Haven:Yale University Press,1960.[Chapter 4] トリフィン『金とドルの危機』村野孝・小島清監訳,勁草書房。
Williamson, O. Market and Hierarchies. New York: Free Press,1975.[Introduction] ウイリアムソン『市場と企業組織』浅沼萬里・岩崎晃訳,日本評論社(1980年)。
邦語文献としては
三宅一郎編著『合理的選択の政治学』ミネルヴァ書房(1981年)。
鈴村興太郎『経済計画理論』筑摩書房(1982年)。
加藤寛編『入門公共選択−政治の経済学』三嶺書房(1983年)。
柴田弘文・柴田愛子『公共経済学』東洋経済新報社(1985年)。
J.E.スティグリッツ『公共経済学』薮下史郎訳マグロウヒル(1989年)。
ただしこれらは本書を読む際の前提となる知識を扱っているが,本書の政治経済学の主題とは少しずれている。散在する論文以外で,本書と同じテーマを扱っているのは,あえて挙げれば,猪口 孝『現代日本政治経済の構図』東洋経済新報社(1983年)。反応関数に関しては,福地崇生「財政金融政策発動の計量分析」貝塚啓明・兼光秀郎編『現代日本の経済政策』日本経済新聞社(1981年),に文献および分析例がある。訳者自身の「政治と経済の相互作用の計量経済学的分析」『季刊理論経済学』(近刊),が関連するテーマを扱っている。
結論部に本書の要約がなされているので,ここではごく簡単に訳者の感想をまじえながら,本書を要約してみたい。
第T部ではまず著者達の立場を明らかにしている。著者達は人間行動を本質的には最適化行動ととらえている。その意味では経済学の伝統に従うものである。ただしその最適化は,コンテクストに依存したものであるということを強調することで,制度的要因をできるだけとりいれようとするものである。その立場が従来の理論を論理的に超えているかどうかは疑問であるが,政治も経済も制度的制約の変化に対する適応であるという共通性が指摘されている。
1章は市場と政府,政治と経済に関する歴史的叙述である。この問題は古くからの問題であることを強調している。アダム・スミスやマルクス,さらに経済計算論争,フリードマンのマネタリズムなどに及んでいる。簡潔にして要領を得た説明になっている。
第U部は経済政策に関する諸問題をまとめている。
2章はやや雑多な感じが残る。国内の制約要因を列挙しているがやや趣旨がわかりにくいところがある。経済発展段階,産業組織(労働組合,企業,銀行),政治制度など多様な要因を説明しているが,後の議論を前もって要約している部分もあるし,後で触れることのない論点を前もって補足している部分もある。
たとえば,開放経済では競争に対抗するため,規模の利益を求め経済の集中化が進むと論じられている。さらにそのような大規模企業では労働組合も大きくなり,分配の公平に関心が移り成長率は低下しやすい。そのような国では社会主義政権を選びがちで,政府規模も過大になるという議論(9章)も紹介されている。著者達はその反例もあげているが(9章注3),いかにもヨーロッパの特殊な経験を一般化したという印象をもった。貿易あるいは資本自由化が競争を促し,経済が活発になると教えられてきたのではなかったろうか。開放国は,たとえ産業の集中化が進まなくてもさまざまな機会に政府介入の口実を与えることになるので,政府活動の領域を増やす可能性はあるかもしれない。あるいはまだ日本はヨーロッパほど開放化されていないだけなのであろうか。このような経済の開放化と政府規模の関係は興味深い論点だと思われる。
経済政策に対する制約条件になるのは,2章で論じられた制度や組織など形のある現実的なものだけではない。人々の心の中にある観念,あるいは経済理論そのものが政策を規定し制限する。この理由で,3章はマクロ経済理論の説明になっている。古典派経済学からケインズ革命を経て,合理的期待,サプライサイドなどの最近の学説までを要領よくまとめているので,すでに理論を知っている人にも整理になる。ただし,どうしても最低限の経済学の知識を前提にしているようで,完全な初心者にとっては難しい部分もある。古典派を批判して成立したケインズ経済学は一時期隆盛を誇ったが,今日ではそのような単純な積極主義は支持されてはおらず,これからも支持されることはないだろうという趣旨である。
4章はテーマがはっきりしている。国際経済学上の制約要因について,貿易と金融の両面から論じている。国内経済においては「市場の失敗」が政治的要素を経済に持ち込むことになるが,国際経済においても政治的要素を避けることができない。たとえば,大国は関税によって,他国を犠牲にして自国の利益を得ることができるので,放任すれば国際貿易は縮小する。一例として,固定為替相場制から変動相場制への移行したときには,政策手段に対する制約条件が大幅に変化した。著者達はこの制約条件の変化の効果を幾度も論及している。
著者達が述べているように,国際経済の要因を視野にいれることはパラドクシカルな結果をもたらすがゆえに,教訓的である。国内では市場の失敗を是正するはずの政府が,国際経済では貿易の歪みを生じさせる主要な要因になっているからである。
第V部は70年代に流行した政治経済学の議論をかなり立ち入って批判している。選挙と経済変数とを関連づける政治的景気循環モデル,どの目的に政策当局は重点をおいているかを調べる反応関数の理論,経済状態の違いが投票行動にどう影響するかを説明するモデルである。
まず5章では政治的景気循環論の分野では基本文献とされる,Nordhaus,Hibbs,Tufte,Mosley などが網羅的に解説され,さらに理論的あるいは経験的に批判される。特にノードハウスのモデルは,かなりきびしく批判されている。それもきわめて具体的であるため説得力がある。
政治的景気循環とは,その共通の特徴が本文中にまとめられているが,一言でいえば,景気循環が選挙と連動しているという説である。
ノードハウスによれば,のちのちインフレが悪化することがわかっていても,政治家は選挙に勝とうとして一時的に失業率を減らそうとする。国民も近視眼的に投票するのでごまかされることになる。
ヒッブスによれば,政策は国民の選好を反映しており,社会主義あるいは左翼政権は失業を嫌い,保守的あるいは右翼政権はインフレを嫌うことが,国際比較から確かめられるという。このヒッブスの議論は選挙の後で政策を行なうという点でノードハウスの選挙の前に拡張政策を行なうという説とは正反対である。
タフトは,失業率やインフレだけではなく所得成長率や社会保障給付・恩給・貨幣供給量などさまざまな側面から選挙との連動を,経験的観察に基づいて指摘している。
モズレーは政府は「危機」の時にのみ政策的対応をなすのであって,政治介入は連続的なものではなく断続的なものであると論じる。ただしいつが危機なのかの定義は,恣意的にならざるをえない。このモズレーの立場からは経済が選挙に連動することはないということになる。著者達はモズレーの議論に共感を示しているようである。
なお, Frey-Schneider の政治経済連関モデルについては10章で別に論評されている。フライは政策関数を次のように推定している。財政支出の規模を決めるのは,支持率赤字である。支持率赤字というのは,あらかじめ与えられた値と現実の支持率との差で,その閾値となる値より現実の支持率が低ければ赤字で財政支出を増やすことで国民の支持を増やそうとするが,現実の支持率が大きいときには自らのイデオロギーに忠実な政策をとるのだというのがフライの説である。ただし著者達も指摘しているように,肝心の支持率赤字を決める基準=閾値が恣意的である点がしばしば批判されている。これにたいして本書の批判は,かれらの方程式では支持率が赤字の時には所得が含まれないことが,一見かれらの説をもっともらしく見せているだけだと批判している。モデルの内容に立ち入って細やかな議論をしているこのあたりは,著者たちの得意満面な様子を彷彿とさせるところである。
このように本書の特徴は,従来政治経済学という名で論じられてきたほとんどすべてに批判的なことである。かれらの一人はあるところでこれらの70年代の政治経済学を,「誤った出発点であった」(Chrystal, K. Alec and Peel,David A. (1986)"What Can Economics Learn from Political Science, and Vice Versa? " American Economic Review,Vol.76,May,pp62-65.)とさえ断じている。この政治経済学という本はその意味ではやや皮肉な題名である。つまり,政治経済学といいながら,一般に広く信じられているようないわば俗流の議論を,理論的そして実証的にほとんど完膚なきまでに否定しているのである。70年代の政治経済学の立場からは,本書は政治経済学に値しないという評価も聞かれそうなほどである。
もっともこれはある意味で当然のことかもしれない。もともと経済学というのは家計ではなくポリティカルな,つまり国家の経済学として出発したものである。それ故政治経済学が経済学プロパーになるというのは最も自然なことであろう。つまり政治経済学と名づけて無理矢理政治を強調することの方が不自然なことかもしれないのである。
かれらは政治経済学を定義して,最適化行動の中でも特殊なもの,コンテクストに依存する最適化行動と述べている(序論)が,それは6章における反応関数の重視に現われている。反応関数とは政策手段にたいしてどのような政策目標が影響しているかを表わす関数である。単純な回帰式で分析し得る点が便利なのだが,その解釈には十分注意しなければならない。つまり政策当局の目標あるいは選好と,経済メカニズムに関する制約条件の双方が区別されないままに含まれているからである。著者はこの反応関数による分析に好意的な評価を与えているのであるが,かれらが詳しく論じていることは,反応関数を現実に当てはめるときの注意点や限界などであり,そこから反応関数のさまざまな問題点が浮かび上がってくるという仕組みである。
7章の投票行動の理論の説明では政策モデルと回顧的モデルというふたつの立場を対立させている。政策モデルとは政策の公約から将来の期待効用を導き出すもので,回顧的モデルというのは公約ではなく過去の経験から将来の期待を導き出すというものである。平和で安定した社会では,政党の公約は曖昧になり,政治家は立場を前もって明らかにしなくなるので,回顧的モデルが合理性を持つようになるであろうというのが,著者達の主張のようである。つまり判断の助けになる情報がないので,政党の過去の業績に基づいて判断せざるをえなくなるということである。ただし一般的にいって回顧的モデルは政治的景気循環と同様に近視眼的行動を前提にしているという点で不自然なものである。人々の期待がすべて過去の状態から決まってくるわけがないからである。
一般的に投票行動に及ぼす経済状態の影響力はかならずしも大きくはなく,また従来の研究もバラバラな成果を蓄積してきた。著者達も従来の研究の比較検討を断念しているほどである。そのため議論はやや羅列的になっているが,政策モデルも,回顧的モデルも,人々の情報処理(内容と基準)の問題に関わっており,この部分は将来の研究が待たれるところである。著者達もこの情報の問題に多くの議論を費やしており,その過程で,投票行動において経済的要因がかならずしも大きなウエイトを占めていないのはなぜなのかという説明もなされている。
かれらの積極的に提示している議論(第W部)は,政府支出がGDPに比例するという説=恒常所得仮説である。
この恒常所得仮説はかれらも示唆しているように長期的な議論であり,短期的には通常政治的とされる要因が政府支出に影響を与えることは確かである。それはかれらも認めている。
さらに著者達が提示している経験的証拠が,いかなる意味で実証的に恒常所得仮説の確証になっているかについては疑問がのこる。この場合のようなラッグ付き回帰式では,t値やダービン・ワトソン比などは本来過大にでたり有効ではないはずである。また決定係数が高いというだけでは,他の投資や消費などで回帰式を求めても同じく高くでるのであり,恒常所得仮説が何か特別な仮説といえるか否か疑問である。
しかしW部は政府規模がいかにして決定されるかに関するもっとも包括的な議論であり,今後の議論の出発点として有益である。
8章ではまず政府介入が必要となる経済学的な理由を説明している。公共財,市場の不完全性(独占と外部性),所得再分配である。
次に政府の大きさをどう測定するかという問題がある。移転支出を含めるか否か(含めるべきではない)。政府生産物は結局投入物の金額で測るしかないという問題。デフレータを何にするか(GDPデフレータの方が望ましい)。一般に政府支出デフレータの方がGDPデフレータより上昇率が高いので,GDPデフレータを使うと政府規模は過大に表われる。
最後に,なぜ政府規模が増大するのかを説明する理論を概観している。よくもこれだけ集めたと思われるほどさまざまな説が紹介されているが,それぞれに対する著者達もコメントも相当辛らつで,いわば辛口の評価がなされている。たとえば,所得は不平等でも投票権は平等にあるので多数決では平等化に傾くはずなのに,現実には不平等化を政策にする政府が選ばれているではないかと指摘する。議員は選挙区民にとっての一種のケースワーカーとして,官僚の非効率性を「解決する」のであるから,機械的なルールに基づく支出は好まれないという指摘もある。なかなか機微をつかんだ解釈がなされている。
政府規模の増大を説明する理論のなかでは,最後の普遍主義と相互主義による説明がもっとも妥当性があるものとして論じられているようである。その意味は,お互いさまなので相手の提案を批判しないという,いわば「馴れ合い」が政府規模増大の原因だと理解してよいようである。しかし,この説は実証にかけることが難しいので,トートロジーに近いかもしれない。
9章では著者達が主張する命題を国際比較から論証している。その主張とは次の命題である。政府支出は国民所得とほぼ比例して成長する。国際間の相違があったとしてもそれは予算制度の違いから説明できる。
C(消費)G(政府消費)I(政府投資+民間投資)の三角形をつかって,Gがかならずしも増大していないことを図で示している。50年代に比べると最近は構成比率が散らばってきた。英国,特に合衆国の構成比率はほとんど一定である。低成長は政府支出増大が原因ではなく低投資が原因である。英国とアメリカは高投資のために高消費を企てたのだが,結局それが失敗したのである。
移転支出は確かに国民所得よりも成長率が高くなっているが,その他の支出は国民所得成長率とほぼ同じ成長率を示している。
政府消費が国民所得より2パーセント以上高いのはスカンジナビア諸国である。これらの国は,社会主義政権と貿易上の開放国という性格をもっている。しかし,逆はいえない。社会主義政権だからといって,あるいは開放国だからといって政府消費の成長が高くなるわけではない。
フランス・スイス・日本は政府支出を一定比率以内におさめているという意味で,政府規模の小さな国である。これらの国々では相互主義的馴れ合いを阻止する仕組みが存在しており,そのような制度が,政府消費の成長を抑えているという説明がなされている。しかしこの部分,日本の制度に関する叙述は後知恵というかやや手薄な感が否めない。大蔵省の統制が強く,馴れ合いが通じないという説明のようである。
10章は政府支出の恒常所得仮説の実証的な検証であるが,英国と合衆国でしか行なわれていない。政府支出は長期的には所得に比例するというのが恒常所得仮説である。その検証には支出を前期の支出と今期の国民所得とから説明する回帰式を推計して行なわれる。
Et=αYt+βEt-1+const
本文中でも解説されているように,上の式は次のように変形される。
∞ i Et= α買タ Yt-i i=0
これは前期の支出の中に過去のすべての影響が織り込まれており,現時点でのカレントな影響は今期の国民所得を通じて作用するという意味である。そしてそのことは結局現在の支出が,過去の所得の積み重ねから決まっていることと同値になる。ただしその過去の所得の影響は,昔にさかのぼるほど小さくなる。
著者達はこの仮説が現実に妥当する理由として,計画作成者にとって,GNPはもっとも参照しやすいからであるという点を強調している。つまり,恒常所得仮説は統一的計画性があるかないかのテストになるのだという。たとえば州政府のように統一的な計画性を持たない場合には所得項の係数が無意味になり,恒常所得仮説が当てはまらないことを示している。
最後に著者達は,選挙による循環に対しては否定的であるが,政府支出が景気安定化政策的要素をもつことは,反応関数を使ってある程度実証している。
本書の仮説を,さらにデータを広くとって検証してみることにしたい。まず国民所得の構成比の時系列的うごきを世界114カ国のデータで比較し,さらに121カ国について恒常所得仮説の回帰式を計算したので以下に紹介する。
実験的試みではあるが,Review of Income and Wealth 誌(以下,RIWと略)では1988年5月号から以後三年間,収録論文に関する経済データをフロッピーディスクに収録して配布し始めた。ただしそのデータは,付属している独自のデータ表示プログラムIWTAB.EXEを通してしか読み込み表示することができない。しかも,このIWTAB.EXEはIBM−PCあるいはその互換機でしか走らないのである。最近は日本でもIBM−PC互換機は普及しつつあるが,日本でうごいているパーソナルコンピューターの大部分の機種ではそのままではうごかないというネックがあった。そのため一度IBM−PC互換機でIWTAB.EXEを走らせ,データをPC−DOS(MS−DOS)のテキストファイルの形(あるいはLotus 1−2−3やSPSS,SASのデータ形式)に変換してから,ふたたび自分のパソコン上にそのデータを持ってこなくてはならないという面倒があった。
このように面倒ではあるが,データを共有できることの意義はきわめて大きいといわざるをえない。今ではSIMというIBM−PC(のBIOS)エミュレーションプログラム上でIWTABをうごかすパッチデータも広まるようになり,IWTAB.EXEというプログラム自身が日本のパソコンで動くようになっている。
最初に発表されたのは国際比較を可能にする130国の経済データだった(Summers, R., and Heston, A. "A New Set of International Comparisons of Real Product and Price Levels Estimates for 130 Countries, 1950-1985 ", Review of Income and Wealth,Vol.33,No.1,pp.1-25,March 1988.)。データは1950年から1985年までの主にGDP及びその構成項目を中心とした17変数の年次データである(ただしうち9ヶ国は中央計画経済で実質GDPと人口の2変数のみ)。後に触れるようにこのデータは一部問題がなくはないが,各国間で比較可能なデータが手軽に手にはいるようになったことは画期的といってもよいだろう。
17変数36年分のデータが121カ国で,データ数は総計約7万ほどになる。ただし36年分のデータが揃っていない国もある。欠損値が多いのは,たとえばインドネシアが50−61年の11年分,アフガニスタンの82年以降などである。
そのためたとえば,1961年から1985年のデータを比較する場合には,
5 Burkina Faso 44 Afghanistan 45 Bahrain 59 Oman 68 U. Arab Emirates 69 Yemen 119 Indonesia
の7ヶ国を除く114ヶ国を取り上げ,平均及びその差を計算することを行なった。
データの補間方法は論文中に銘記されているが,もちろんすべてのデータがすべての国で揃っているはずはない。唯一,人口データは世界銀行(World Bank)の1987年5月のテープからそのまま持ってきたものである。ただし,グラフを書いてみるとわかるが,このもとのデータそのものが伸び率を単純に直線で補間して作成しているようである。もっとも基本的なデータと思われる人口データでさえこの程度であるから,その他の経済データともなれば推して知るべしであろう。
たとえばもっとも信頼のおけるデータとランクされている日本の場合でも,かれらの作成したデータを経済企画庁が公表しているものと比較すると,かなりの違いがある。例えば実質GDPに占める民間消費,政府消費,投資(固定資本形成,公的つまり一般政府も在庫投資も含む)の割合を比べてみると以下のようなグラフになる。点線が企画庁(EPA)データから計算したグラフである。図に見られるように海外余剰は一致しているが,民間消費と政府消費はRIWの方が経企庁のそれよりシェアが急減している。逆に固定資本形成はRIWの方が上回っている。経企庁の方は70年代から低下しているのである。
本書の9章にならって,まず,政府消費のGDPに占める比率がどのように推移してきたかを,1961年から1985年の25年間のデータが揃っている114ヶ国についてみてみる。各国のすべての変数について平均シェアを計算してみた。この間の各GDP構成項目のシェアの平均は消費65.70パーセント,投資18.30パーセント,政府消費17.82パーセントであった。
この平均を計算した114カ国のサンプルを使って,各変数の間の相関を調べた。
表1 消費投資政府支出の相関係数 ------------------------------------- 各項目間の相関係数 C I G 3:C 1.000000 -0.419069 0.035359 4:I -0.419069 1.000000 -0.041939 5:G 0.035359 -0.041939 1.000000 t値 C I G 3:C 0.00000 -4.88462 0.37444 4:I -4.88462 0.00000 -0.44423 5:G 0.37444 -0.44423 0.00000 -------------------------------------
有意なのは投資と消費の負の相関だけである。
次に政府シェアの割合が高まるとその非効率性の故に成長率が低下するという説を検証した。
政府シェアとGDP成長率の散布図を描いてみると,例外値(はずれ値)を除いて相関はほとんど見られないようである。相関係数は−0.201247(t値−2.17428)である。一応有意な数値で,マイナスの相関を示している。政府シェアが増大すると成長率は低下するという関係にある。投資との相関係数は0.571016(t値7.36115)であるから,かなり強い相関があることになる。投資が増えると成長率がたかまる。
なお,この経済成長率と政府シェアの相関でもっとも相関係数が高いと思われたのは1976年から85年間の10年間の平均データであった。相関係数は−0.331957(t値−3.72429)であった。投資との相関係数は0.492996(t値5.99676)であり,もっとも高かった。政府規模の増大と経済成長率との相関は期間の採り方にもよるが,かならずしも高いものではない。ただ40年代と比べると50年代(1976年から85年間)に入って多少その傾向が強まったようである。
表2 政府シェアと経済成長率の相関 ------------------------------ 期 間 相関係数 t値 61年-85年 -0.201247(-2.17428) 66年-75年 -0.176278(-1.89523) 76年-85年 -0.331957(-3.72429) 76年-80年 -0.293015(-3.24333) 81年-85年 -0.248943(-2.72021) ------------------------------
時系列的に政府シェアが高まっているかどうか、政府規模増大の法則を検証する。
66年から75年まで「オイルショック以前」の10年間について,各変数の平均を求めた。政府消費のGDPに占める割合について各国の平均を平均すると17.4パーセントであった。次に76年から85年まで「オイルショック以後」についても同様の計算を行なった。政府消費の割合の平均は19.30パーセントであり,世界全体の(単純)平均で2パーセント上昇している。
次に両10年間の平均の差を表にした。政府消費の割合は114ヶ国中35ヶ国でマイナスの値を示した。つまり平均シェアが減少している国が30.7パーセントあった。残りの国79ヶ国は政府規模が増大している。政府消費のシェアの場合,両期間の差の平均はプラス2.16パーセントの増大であった。民間消費の平均の差の平均は−0.93,投資のそれは+0.43パーセントである。オイルショック以前に比べると確かに政府シェアが増大している国が多い。投資は微弱ながら増大しているが,消費のシェアがかなり減少しているのがこの時期(あるいはオイルショック前後)の特徴といえる。
GDPに占める消費,投資,政府消費のシェア(%)の推移をまとめると次のような表になる。昭和40年代と比較して昭和50年代のシェアが上昇した国(+),低下した国(−)の数である。
表3 66-75年と76-85年の比較 ------------------------- 消費 投資 政府消費 国数 + + + 15 + + - 5 + - + 17 + - - 11 - + + 21 - + - 12 - - + 26 - - - 7 -------------------------
いずれのパタンでも政府規模が増大している国が多い(69.3パーセント)が,消費は114ヶ国中48ヶ国が増大(42.1パーセント),投資は114ヶ国中53ヶ国(46.5パーセント)が増大した。
主要国のパタン(各10年の差)は次のようになる。
表4 66-75年と76-85年の差 ------------------------------ 国名 消費 投資 政府消費 日本 -3.16 -1.12 -1.77 フランス 3.73 -3.43 0.05 西独 2.26 -4.29 0.88 イタリア 1.15 -3.87 0.17 英国 -0.68 -3.90 1.72 カナダ 1.59 -1.45 -1.11 米国 3.33 0.01 -2.61 ------------------------------
日本は75年をはさんだ10年間を比べると国内需要は全体として低下している中で,特に消費割合が急激に低下している。政府規模も低下している。
次に76年から80年まで5年間の平均,および81年から85年までの平均を求めてみた。70年代後半において,114ヶ国の政府シェアの平均は18.93パーセント,80年代前半の平均は19.66パーセントであった。
各5年間の平均の差をとると,114ヶ国中46ヶ国で政府消費は減少している。やや政府シェアが減少している国が増えて入るがやはり大勢としては増大している国の方が多い。差の平均は0.73パーセントで依然として増大していることがわかる。もっとも,差は1パーセントに満たないのであるから増大のペースはかなり衰えている。因みに消費シェアの平均は−0.06パーセント,投資が−1.82パーセントである。この5年間ずつの比較では政府消費は微弱ながら増大傾向を保ったが投資のシェアが急減したことになる。
80年までと85年までの各5年間を比較してみると消費,投資,政府消費の推移のパタンは先ほどと同じく8とおりある。
表5 75-80年と81-85年の比較 ------------------------- 消費 投資 政府消費 国数 + + + 10 + + - 6 + - + 17 + - - 16 - + + 9 - + - 11 - - + 31 - - - 14 -------------------------
政府消費が増大している国は114ヶ国中67(58.8パーセント),消費は114ヶ国中49ヶ国が増大(43.0パーセント),投資は114ヶ国中36ヶ国(31.6パーセント)しか増大しなかった。
消費(−)投資(+)政府消費(+)のパタンの国が急減している。消費(−)投資(−)政府消費(−)のパタンの国は倍増している。日本は後者のパタンである。
中南米を中心に消費及び投資が低下し,政府消費が増大している国がもっとも多い(31カ国)。単純に時系列のグラフを見ても,80年から85年にかけて実質消費の水準は絶対水準として低下している国が多い。
主要国のパタン(各5年の差)は次のようになる。
表6 75-80年と81-85年の差 ------------------------------ 国名 消費 投資 政府消費 日本 -3.76 -1.25 -0.59 フランス 2.29 -1.98 0.54 西独 -2.18 -1.88 0.25 イタリア 1.23 -2.22 1.04 英国 2.56 -1.93 0.89 カナダ -2.27 -1.55 -0.65 米国 2.43 0.18 -0.10 ------------------------------
以上の観察を要約すると,政府消費はシェア増大の傾向が依然続いているもののやや頭打ちになっていること,オイルショック以前に比べると消費シェアの低下が顕著であること,80年代に入って投資シェアが急減したことが結論できるであろう。
政府支出の恒常所得仮説とは政府支出が長期的には所得(の伸び)に依存することを主張するものでフリードマンらの民間消費の恒常所得仮説を政府支出(消費,移転支払い,投資)に当てはめたものである。アルト・クリスタルも短期的には政府支出がさまざまの政治的要因,たとえば選挙に影響されることをみとめているが,長期的には実質国民所得と密接に関連しており,その安定性を強調している。すなわち政府支出は国民所得と比例する。しかもこの仮説には各国の制度的な裏付けもある。というのは政府支出を計画実行するときには大方の国で国民所得の伸び率を目標・基準にする場合が多いからである。とくにこれは政府消費支出に当てはまる。公共投資はもう少し変化が大きいし,移転支出は所得以上に伸びてきており,国民所得の伸びに比例するとは言い切れない面を残している。
かれらは特に英国,合衆国,西独といったいわゆる先進諸国における具体的な制度的事例で例証しているが,むしろ逆にこの政府支出の恒常所得仮説が妥当することはその国の中央政府が統一的な計画性をもっていることの証左になると,積極的に主張している。例えば米国連邦政府と州政府とを比べると独立した計画機関のない州政府では政府支出に対して短期的な所得変動が影響を与えないことが示されている。
戦後ケインズ政策の浸透により政府支出は増大し続け,さらにはその大きな政府に対する反省から「安価な政府」への反動が生じたと説明されてきている。つまりそのような通常の叙述からは政府支出の変動は極めて大きいものであることが暗黙の前提になっている。政府支出は,伝統的なイデオロギーや短期的な景気変動さらには選挙などの政治的な事情などにより不安定なうごきを示すとされるのである。
アルト・クリスタルの議論はそのような通説に対する反論となっている。アルト・クリスタルは特に政府消費についてこれを主張しているものであり,公共投資の政策的変動を否定してはいない。むしろ積極的に肯定している。公共投資そのものが取り止められることは実はほとんどないのであるが,公共投資の計画は少なくとも経常的な政府支出よりはキャンセルしやすく,政治的抵抗も小さいので変動しやすいのである。とくに移転支出は政府支出と区別して,これを別に扱わなければならない。そのような注意深い整理を行なったかれらの議論によれば,たとえば従来の政府規模が増大する傾向にあるという議論は,データのとり方が特に1974年頃,石油危機の直後で終わっているというような,意図的あるいは偶然の区切り方からくるものだということになる。
個人消費に関する最近(88−89年)の盛り上がりに関して,再び所得要因が強調されているのも軌を一にしているといえるかもしれない。消費が停滞していたときには,「箪笥の中は衣類で一杯だ」というような消費飽和論が説得力をもっていた。しかし消費が増大し続ける事態になればやはりその大きな要因は実質所得の増大だということに結局はおちついてしまったようである。(注1)
この様に政府支出の恒常所得仮説が当てはまることが統一的計画主体が存在することの証拠になるというかれらの仮説は簡潔なゆえに魅力がある。一体このことが広く全世界的にデータ上で確かめられるであろうか。RIWのデータを使って以下に検討してみた。
かりに恒常所得仮説が政府支出に妥当するとしても,問題はこの定式化が他の投資などでも妥当するのであれば,この仮説は特別なものではなくかならずしも価値ある発見というわけではないかもしれない。そこでこの恒常所得仮説を,政府消費だけではなく民間消費,投資に関しても当てはめてみて,適用可能な範囲を確かめた。
ところでアルト・クリスタルは恒常所得の検証には上に述べた式を確かめればいいとしている(恒常所得と変動所得,恒常的消費と変動的消費を明示的に分けて検証しているのではない)が,一体何を見ればこの仮説が確かめられるのかは簡単ではないと思われる。
第一に,決定係数はどれもかなり高く意味のある差は見いだされない。その意味では恒常所得仮説はどれにも当てはまるといってよい。この点は政府所得の恒常所得仮説にとって有利だとはいえないであろう。つまり消費であれ,政府支出であれ,さらには投資であれ大方の変数がこの定式化に当てはまるのだとすれば何も政府所得の特徴としてこの仮説を掲げる意味がなくなるであろう。
では一体なぜこの定式化が大方の変数について妥当するのであろうか。一つの理由はおそらく統計数字をつくる手法そのものにあるのではなかろうかと思われる。つまりおそらく統計数字作成者は今までの過去の数字から大きく乖離したデータが集まるとその原因は何かを考えなんらかの調整を行なうであろう。その結果,データの系列は丁度恒常所得仮説に合致するようになるのではないかと思われる。
また著者達は他のところでは係数のt値は無意味であるということを述べながらこの10章ではt値も掲げ,ダービン・ワトソン比ものせているが,この様な自己回帰的変数を含む回帰式ではダービン・ワトソン比は有効ではなく,数値だけは2に近くなるが無意味であることが知られている。この様な定式化ではh−統計量を使うべきだとされている。またこの様な定式化ではt値が過大にでているはずであり,信頼のおける数字ではない。かれらは10章で,合衆国の連邦政府とは異なり,州政府では所得変数の影響がほとんどなくなることが指摘し,これは州政府では一国のGDPに基づく長期的計画性が欠けていることを意味すると述べている。そこでは決定係数の高さより係数の値が恒常所得仮説を確証するものと見なしている。というのは,決定係数は連邦政府の場合0.97,州政府の場合0.99であり州政府の方がむしろ高い。州政府では恒常所得仮説が当てはまらないということは,どうもt値が0.0であることから結論しているようである。t値によって妥当性を判断しているのである。
確かに所得の係数がゼロであればこの仮説自身が消滅するのであるから州政府では恒常所得仮説がなりたたなくなる。ただし州政府は州の所得に基づいて州政府支出を計画するのではなかろうか。もしそうであれば,一国全体のGDPが有意でなくても驚くに当らない。州は州の所得に応じて政府支出を計画しているのであるから,全体としての国民所得が基準にならないのは当然であろう。おそらく州政府支出の回帰式においてGDPの偏回帰係数の値が小さいのは,一国のGDPの規模と,一州の政府支出の規模の差,つまり単なる数値上の差を反映しているだけではないかと推察する。その係数は絶対値的に小さなものにならざるをえない。
「公共支出の成長理論は少なくともそれらの支出が長期的には国民所得の一定割合を占めるであろうという仮定から出発すべきであろう。」ということからいえば,長期の所得弾力性が1に近いことが恒常所得仮説を確証するといえるかもしれない。
いま支出一般をEと書き,所得をYとすれば,弾力性は次のように計算される。
logE=αlogY+βlogE-1+γ
α :短期弾力性 α/(1−β):長期弾力性
しかし,弾力性の値自身を比べることは,回帰式に所得や前期消費以外にどのような変数(例えば資産・金利・失業率・インフレ率等)を含めているかに依存するのでかならずしも意味のあるものではない。しかも,クリスタル・アルトは対数変換をしていないようなので厳密には弾力性とはいえないと思われる。
このように回帰式を推定することは簡単だが,その式をどの様に解釈するか,あるいは仮説の検証を何を見てたしかめればいいのかについては,非常にむずかしい問題が残ると思われる。決定係数を見るのか,ダービン・ワトソン比を見るのか,t値を見るのか,偏回帰係数を見るのか,それらを総合的に判断しなければ,恒常所得仮説が確証されたのか否かを確言することは不可能であろう。
以上述べたようにこの形式の回帰式では,決定係数も,ダービン・ワトソン比も,t値もかならずしも信頼がおけない。回帰係数の値から判断した方が無難であろう。長期の問題だということであるから,あえて長期弾力性を計算することにした。
表7 121ヶ国,政府支出の恒常所得仮説の検証 -------------------------------------------------------------------- 実質政府支出 実質GDP 長期弾力性 国名 政府支出(-1) 定数 決定係数 1 Algeria 0.7174 0.5172 -2.592 0.9330 1.4859 2 Angola -0.0078 0.8163 1.021 0.8550 -0.0425 3 Benin 0.4871 0.8678 -2.489 0.9249 3.6846 4 Botswana 0.1533 0.8422 -0.123 0.9695 0.9715 5 Burkina Faso 0.5539 0.7498 -2.115 0.8518 2.2138 6 Burundi -0.0995 0.8932 1.032 0.9031 -0.9316 7 Cameroon 0.1871 0.5350 1.060 0.7095 0.4024 8 Central Afr. Rep. 0.8811 0.3925 -2.469 0.5649 1.4504 9 Chad 0.3167 0.8172 -1.034 0.9439 1.7325 10 Congo, Peop. Rep. 0.1484 0.7676 0.236 0.8061 0.6386 11 Egypt 0.0914 0.9370 -0.243 0.9823 1.4508 12 Ethiopia 0.1838 0.9426 -0.810 0.9451 3.2021 13 Gabon 0.9169 0.2428 -2.836 0.9486 1.2109 14 Gambia, The 0.6248 0.5823 -1.839 0.5879 1.4958 15 Ghana 0.1992 0.9506 -1.002 0.9362 4.0324 16 Guinea 0.5302 0.8072 -2.355 0.8435 2.7500 17 Ivory Coast 0.9188 0.6370 -4.368 0.9838 2.5311 18 Kenya 0.4597 0.7890 -1.876 0.9689 2.1787 19 Lesotho 0.7133 0.5582 -2.301 0.9634 1.6145 20 Liberia 0.1506 0.6394 0.863 0.6958 0.4176 21 Madagascar 1.0205 0.4449 -3.934 0.8987 1.8384 22 Malawi 0.3564 0.5833 -0.197 0.9200 0.8553 23 Mali 0.3980 0.6690 -0.802 0.5003 1.2024 24 Mauritania 0.4859 0.8378 -2.236 0.8392 2.9957 25 Mauritius 0.3360 0.8152 -1.426 0.9477 1.8182 26 Morocco 0.1122 0.9304 -0.361 0.9759 1.6121 27 Mozambique 0.6092 0.4371 -1.209 0.9388 1.0823 28 Niger 0.1254 0.2392 2.455 0.0762 0.1648 29 Nigeria 0.4544 0.8476 -2.279 0.9414 2.9816 30 Rwanda 0.7579 0.5880 -2.733 0.9479 1.8396 31 Senegal 0.1317 0.8886 -0.280 0.7922 1.1822 32 Sierra Leone 0.1669 0.7307 0.150 0.6724 0.6198 33 Somalia 0.1163 0.8764 -0.118 0.7359 0.9409 34 S. Africa 0.3615 0.7764 -1.549 0.9873 1.6167 35 Sudan 0.5374 0.8891 -2.940 0.9481 4.8458 36 Swaziland 0.2169 0.9210 -0.999 0.9350 2.7456 37 Tanzania 0.0960 0.8199 0.293 0.8672 0.5330 38 Togo 0.4723 0.7769 -1.987 0.8312 2.1170 39 Tunisia 0.3239 0.7108 -0.737 0.9892 1.1200 40 Uganda 0.3693 0.6595 -0.735 0.5137 1.0846 41 Zaire 0.3329 0.7388 -0.920 0.6854 1.2745 42 Zambia 0.5044 0.8530 -2.526 0.9429 3.4313 43 Zimbabwe 0.1205 0.9648 -0.611 0.8931 3.4233 44 Afghanistan 0.5580 0.8944 -3.181 0.8474 5.2841 45 Bahrain -1.3300 0.6912 14.355 0.8674 -4.3070 46 Bangladesh 0.9629 0.6219 -4.535 0.8141 2.5467 47 Burma 0.3606 0.6753 -0.730 0.9513 1.1106 48 Hong Kong 0.3683 0.6458 -1.158 0.8950 1.0398 49 India 1.2404 0.3855 -4.920 0.7576 2.0186 50 Iran 0.4292 0.8231 -2.332 0.9866 2.4262 51 Iraq 0.2206 0.8286 -0.662 0.9619 1.2870 52 Israel 0.5123 0.5992 -1.353 0.9603 1.2782 53 Japan 0.2792 0.4276 1.160 0.9895 0.4878 54 Jordan 0.3458 0.5756 0.062 0.9131 0.8148 55 Korea, Rep. of 0.2491 0.6120 0.313 0.9907 0.6420 56 Kuwait -0.0184 0.7111 2.309 0.5030 -0.0637 57 Malaysia 0.5965 0.4756 -1.505 0.9936 1.1375 58 Nepal 2.2544 0.8905 -13.590 0.8705 20.5881 59 Oman 0.9068 0.7442 -6.018 0.9405 3.5450 60 Pakistan 0.4100 0.3905 0.229 0.7833 0.6727 61 Philippines 0.3386 0.7159 -0.878 0.9836 1.1918 62 Saudi Arabia 0.2904 0.8799 -1.728 0.9516 2.4180 63 Singapore 0.1926 0.7921 -0.299 0.9900 0.9264 64 Sri Lanka 0.0031 0.8460 0.834 0.7533 0.0201 65 Syrian Arab Rep. 0.4055 0.7683 -1.752 0.9772 1.7501 66 Taiwan 0.3177 0.5040 0.629 0.9906 0.6405 67 Thailand 0.4245 0.6713 -1.343 0.9890 1.2915 68 U. Arab Emirates 0.0587 0.7380 1.349 0.4489 0.2240 69 Yemen 0.3664 0.7940 -1.324 0.9706 1.7786 70 Austria 0.0711 0.9116 0.016 0.9958 0.8043 71 Belgium 0.1419 0.8493 -0.201 0.9930 0.9416 72 Cyprus 0.1978 0.7713 -0.125 0.8196 0.8649 73 Denmark 0.1892 0.8621 -0.648 0.9973 1.3720 74 Finland 0.2226 0.8276 -0.740 0.9982 1.2912 75 France 0.1957 0.6934 0.383 0.9747 0.6383 76 Germany, Fed Rep 0.0867 0.8925 0.016 0.9951 0.8065 77 Greece 0.1760 0.8258 -0.319 0.9968 1.0103 78 Iceland 0.4646 0.6345 -1.781 0.9954 1.2711 79 Ireland 0.2425 0.8157 -0.771 0.9968 1.3158 80 Italy 0.0235 0.9654 0.062 0.9942 0.6792 81 Luxembourg 0.2680 0.7988 -1.045 0.9836 1.3320 82 Malta 0.4853 0.4229 -0.175 0.9881 0.8409 83 Netherlands 0.0953 0.8283 0.350 0.9816 0.5550 84 Norway 0.3471 0.7155 -1.022 0.9974 1.2200 85 Portugal 0.3623 0.7536 -1.321 0.9969 1.4704 86 Spain 0.1386 0.8670 -0.318 0.9939 1.0421 87 Sweden 0.2245 0.8077 -0.522 0.9979 1.1674 88 Switzerland 0.2194 0.7980 -0.664 0.9822 1.0861 89 Turkey 0.2927 0.7582 -0.805 0.9875 1.2105 90 United Kingdom 0.0978 0.8996 -0.107 0.9835 0.9741 91 Barbados 0.4289 0.6298 -1.174 0.9353 1.1586 92 Canada 0.4785 0.4396 -0.367 0.9684 0.8539 93 Costa Rica 0.4459 0.6171 -1.069 0.9893 1.1645 94 Dominican Rep. -0.0036 0.7826 1.113 0.6399 -0.0166 95 El Salvador 0.1905 0.8498 -0.522 0.9465 1.2683 96 Guatemala 0.3592 0.6564 -0.989 0.9228 1.0454 97 Haiti 0.4023 0.7517 -1.445 0.6475 1.6202 98 Honduras 0.5514 0.7352 -2.446 0.9323 2.0823 99 Jamaica 0.2339 0.9072 -1.191 0.9940 2.5205 100 Mexico 0.5265 0.6825 -2.464 0.9939 1.6583 101 Nicaragua 0.0178 1.1394 -0.853 0.9766 -0.1277 102 Panama 0.4624 0.5942 -0.973 0.9669 1.1395 103 Trinidad & Tobago 0.0432 1.0037 -0.312 0.9615 -11.6757 104 United States 0.2397 0.3345 2.713 0.7611 0.3602 105 Argentina 0.2174 0.3500 1.988 0.0851 0.3345 106 Bolivia 0.4379 0.7982 -2.037 0.8301 2.1700 107 Brazil 0.0118 0.8577 0.722 0.8960 0.0829 108 Chile 0.2175 0.7719 -0.285 0.8855 0.9535 109 Colombia 0.4831 0.4513 -0.704 0.9492 0.8804 110 Ecuador 0.5702 0.5208 -1.559 0.9642 1.1899 111 Guyana 1.2124 0.7541 -7.389 0.8810 4.9305 112 Paraguay 0.3878 0.6194 -0.833 0.8810 1.0189 113 Peru 0.4124 0.6612 -1.192 0.9695 1.2172 114 Surinam 0.1026 0.6155 1.718 0.4677 0.2668 115 Uruguay 0.1483 0.8536 -0.280 0.8655 1.0130 116 Venezuela 0.1092 0.9403 -0.545 0.9444 1.8291 117 Australia 0.0877 0.9281 -0.258 0.9826 1.2197 118 Fiji 0.7051 0.5685 -2.887 0.9180 1.6341 119 Indonesia 1.0458 0.1546 -3.143 0.9578 1.2370 120 New Zealand 0.2007 0.7350 0.170 0.9656 0.7574 121 Papua New Guinea -0.5006 1.1055 2.993 0.9169 4.7450 平均 0.3475 0.8828 1.4462 --------------------------------------------------------------------
表7は,GDP,前期政府消費,定数の回帰係数と決定係数,および長期弾力性を示している。変数はすべて対数変換してある。各国それぞれ,データの存在する期間をすべて使って回帰式を推定した。表7と同様のものを名目ベースの回帰式についても推定したが,平均のみを比較してみると次のようになる。
このように単純平均ではあるが,長期弾力性は確かに1に近くなっている。デフレータの撹乱がないので,決定係数は名目値の方が高くなっている。
次に,同じ回帰式を消費及び投資について求めたが(表は省略),ここではその平均のみを報告しておく。
投資の場合,決定係数がやや劣るのは当然であろう。長期弾力性だけについていえば,投資がもっとも高く,消費は1を切っている。政府消費はその中間になり,ある意味ではもっとも恒常所得仮説に合致しているといえよう。(注2)
最後に二三付言しておわりたい。
政府支出の長期の理論としては(それが理論というほどのものかは議論の余地はあるだろうが)恒常所得仮説はほぼ妥当なものであろう。しかし短期的には,アルト・クリスタルも政治的要因が政府支出に影響を及ぼすことを認めている。実際,政治経済学が問題にしているのはそのような期間の問題であろう。無理に政治的影響を引っ張り出しているわけではないのである。安易な妥協かもしれないが,期間のとり方の違いと考えるだけで,恒常所得仮説と従来の政治経済学とは十分共存できるであろう。
今後ますます経済と政治は相互交流を深め,両者の関係も流動性をおびたものになるのではなかろうか。そんなときに,本書のような地味ではあるが,リベラリズムの真髄を感じさせる奥行きの深い知性が役にたつのだと思われる。
最後になってしまったが,本書の出版には多賀出版編集部の高橋耕氏に大変お世話になった。細心の注意をもって訳文を検討していただいた。編集のプロフェッショナルとしてのコメントに,幾度となく舌を巻いたものだった。原著は政治学者(アルト)と経済学者(クリスタル)の共著であり,扱われている範囲も理論から特定国内の政治経済的制度・事件にわたっており,思わぬ過ちがあるかもしれない。気がつかれた方には,是非御教示をお願いしたいと思う。
(注1) 85年度 実質可処分所得2.8%増(実質個人消費2.8%増) 86年度 実質可処分所得3.7%増(実質個人消費3.4%増) 87年度 実質可処分所得3.1%増(実質個人消費4.6%増) 87年度はキャピタルゲインというGNPにはいらない所得によって増えた。 (注2)参考のために「世界経済モデルによる政策シミュレーションの研究」 (A Study of Policy Simulations with the World Economic Model)『経済分析』 第98号 昭和60年3月から消費関数の短期・長期弾力性の値を示しておく。 モデルは四半期モデルで,国によって違うが65年頃から81−2年までの,米国, 日本,ドイツ,イギリス,フランス,イタリア,カナダ,オーストラリア,韓国の 9か国データである。 短期 長期 米国 26.7% 52.0% 日本 28.9% 83.8% ドイツ 26.1% 100 % イタリア 16.0% 64.1% オーストラリア 7.5% 73.8% イギリス *自己回帰(Box−Jenkins法) フランス *非log型 カナダ *非log型 韓国 *消費支出の自己相関が高いため前期消費は説明変数からおとした。