読書録

シリアル番号 787

書名

砂漠の女王 イラク建国の母ガートルート・ベルの生涯

著者

ジャネット・ウォラック

出版社

ソニー・マガジンズ

ジャンル

伝記

発行日

2006/3/20第1刷

購入日

2006/8/9

評価

原題:Desert Queen by Janet Wallach

鎌倉図書館蔵

1962年のデヴィッド・リーン監督の映画「アラビアのロレンス」の主人公の トマス・エドワード・ロレンスにはシビレたし、ファイサル王子も忘れがたい人物であった。映画を観た後、中野好夫の「アラビアのロレンス」 を読んで 余韻をかみしめたこともある。ところが最近になってロレンスの陰の頭脳だったのはガートルート・ベルだったとか、ベールをかぶらないでファイサルに会える 唯一の女性だったとか、彼女がウィンストン・チャーチルのために砂漠の砂に線を引いてみせたのだという書評を読んで俄然興味を持ち図書館に駆け込んだ次第 である。

彼女はいつも男性に囲まれていた。まわりにいたのは、富豪や権力者、外交官、部族長、恋人、恩師たちであった。第一次大戦後の大英帝国で最も強力な女性で「イラクの無冠の女王」と呼ぶ人もいたという。

北海に臨むヨークシャーの東海岸レッドカーにあった 当時の英国一の製鉄業者の家に生まれたガートルートはオックスフォード大学の卒業試験で最優等を得た最初の女性であり、7冊の著作を物にし、学会の刊行物 からタイムズ紙にいたる幅広い出版物に記事を寄稿し、その白書は英国政府によって傑作と評価された。第一次大戦後中に政務官の地位を得た唯一の女性であ り、戦後は東方書記官という要職についた唯一の女性だった。最後に大英帝国勲位のC・B・Eを授与される 。

彼女の初恋の相手は継母の親戚のビリー・ラセルズであった。若きゲイリー・クーパーのようなハンサムな男でサンドハースト陸軍士官学校出身だったが、ガー トルートが必要としていた知的な刺激や心の高ぶりを与えることができなかったため、彼女の心は燃え上がることはなかった。

テヘランを訪れた23才の時、カドガン伯爵の孫のヘンリー・カドガンという極めて知的で、フランス語、ドイツ語、英語の書物で読む価値のあるもの全 てをよく読んでいた外交官と知り合う。ガートルートは東方の官能性にかきたてられ、十歳以上年上で世俗にも通じていたハンサムな求愛者が寄せる熱い視線に すっかり夢中になってしまった。彼女が彼と一緒に読んだ11世紀ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームのルバイヤート(四行詩集)が紹介されている。二人は一緒になる話し合いをしたが、父親の了解が取れないうちに彼は事故で死んでしまう。

彼女はヘンリーとの幸せな時を忘れられず、他の男に気をそそられることはなかった。失意の彼女は孤独を紛らすために従者をつれて単身シリアの探検旅行を し、その成果を「シリア縦断紀行」として刊行し、名声を得ることになる。また遺跡発掘現場でまだ学生だったT・E・ロレンスと会うところも印象的だ。

砂漠の単独の冒険旅行を何度も敢行し、知的好奇心を満たしたが、未踏の山に登ることにも熱中した。登った山はシャモニー、メール・ド・グラス、エンゲルホルン、ヴェルホルン、ツェルマットなどがあり、ガートルートのピークという彼女の名前が残っているところもあるという。

トルコで彼女が男性に求めるすべてを持った男リチャード・ダウティー・ワイリーに会う 。その後も会うたびに、ガートルートはリチャードに次第に惹かれるようになる。彼はまさに大英帝国を体現する男性で、勲章を授与された軍人兼政治家で、詩 の引用を好む文学に通じた感受性豊かな学者であり、洞察力鋭い評論家であり、ガートルートの心の奥底に眠る性的願望をかきたてる男性だった。

ガートルートはリチャードの妻が不在という情欲に流されやすい時期に、彼をヨークシャーの自宅に招待し、彼はその招待に応じた。彼女は自分の子供時代を過 ごした家を紹介しながら独り身でいることの寂しさを、リチャードは満たされない結婚生活で味わっている寂しさを、彼女は孤独に見出す喜びを、彼はセックス に見出す喜びを語った。しかし二人は燃え上がる禁断の恋を分別と節度で押さえ込んで肉体関係はもたず恋文を交わすだけだった。

45才になっていた傷心のガートルートはリチャードと文通はしながらリヤドにいるアナゼ族のイブン・サウードに会うために、ラクダの隊商を編制して中央ア ラビア、ネジュドに分け入るのだった。隊商を編制する資金はこの調査行をまとめて出版する本の印税を抵当に裕福な父から借金して調達した。ジュベル・ド ルーズ族の跋扈する地帯を経由し、ホウィタット族と友人になる。この友情が後にロレンスと共にトルコ政府に対する反乱を組織化するさい重要になるのだ。そ して地図を作成しながら、砂漠の民に保護を求めながら、ネフード砂漠を通過し、シャルマン族のイブン・ラシードの本拠地ハーイルに向かうのだ。しかしラ シード家は熾烈なお家騒動で崩壊寸前であり、彼女はそこで無駄な時間を費やし、再度ネフード砂漠を横断してカルバラ、バクダット経由ダマスカスに帰るしか なかった。こうして未来はイブン・サウードにあると直感したのだ。

やがて第一次大戦が勃発する。赤十字本社で働いていたガートルートと濃密な文を交わしていたリチャードは戦地におもむきダーダネルス海峡で戦死してしまう。ガートルートはこれまで秘密にしてきたこのラブアフェアをはじめて親族に打ち明けで嘆き悲しんだ。

この哀しみを紛らわすために 彼女は手始めにカイロのアラブ局でT・E・ロレンスと一緒にアラブ部族に関する情報収集をした。ガートルートは名家の出身、ロレンスは下層中流階級出身者 だが、とてもよく似ていた。二人とも変わり者で主流からはずれ、 一人でいることを好み、人のいるところより、閑散とした砂漠にいるほうに安らぎを感じた。後にロレンスは彼女の情報に依存しながらファイサルを助けてアカ バの勝利とヒジャーズ鉄道破壊し、アレンビー将軍とともにダマスカス入場を果たすことになる。これがアメリカ人作家ロウェル・トマスのおかげで有名にな る。しかしガートルートはマスコミを徹底してさけた。

ガートルートはついでバスラにあったサー・パーシー・コックスのインド緊急展開部隊Dの政務担当少佐となり、23,000名の英国軍兵士が死んだクートの敗北後の建て直しのためにアラブの詳細な情報提供と部族への説得工作をして支えた。

バクダッド攻略後はトルコ帝国崩壊後サイクス・ピコ・協定のためシリアを追われたフセインの次男ファイサルをマクマホンーフセイン書簡の イラク王国建国の約束を守るためにとガートルートとロレンスはイラクの王にすることを立案。チャーチル殖民相に強く勧め採択される。兄アブドゥッラはトラ ンスヨルダンで良しとした。そしてガートルートは高等弁務官となったサー・パーシー・コックスの庇護の下で7年間コックスを支え、国境線を策定し、政治組 織を整え、イラク建国の礎を築き、イラクの母といわれるようになる。

サー・パーシー・コックスの下でファイサルの顧問をしていたケン・コーンウォリスと協力して国王を支えるうちにコーンウォリスへの彼女の尊敬の念は、それ 以上のなにものかに育っていった。長身で細身の体格、倫理的な強さ、穏やかな物腰が彼女の感性に訴えかけたのだ。ガートルートは彼とともに過ごし、彼に愛 されることを渇望しはじめた。コーンウォリスは彼女より17才年下であったが、ヘンリー・カドガン亡きあと、彼は彼女のうちに眠っていた燃えさしに火をつ けてしまったのである。コーンウォリスは妻に離婚を請求されていたのだ。彼女は離婚が成立したら彼と結婚したいと望んだ。

彼女は自ら設立したイラク博物館長になってコーンウォリスとともにイラクに残りたいと切望したが。コーンウォリスは応じることはなかった。彼女は次第に欝 になる。若き頃、ヘンリー・カドガンと共にルバイヤートを読みながら過ごした気だるい時間を思い出しながら、57才の7月、彼女は睡眠薬を多量に飲んで二 度とその深い眠りから目覚めることはなかった。

さらば賢者らには 語るにまかせよ。

たしかなことはただひとつ 生命(いのち)去ることのことわり、

おしなべて偽りとなすべき このほかのことども。

ーひとたび咲けば とわに消え去る花のならわし。(ルバイヤート

本要約は彼女の恋愛を中心に紹介したが、それはほんの数%でノブレスオブリージの重荷を背負って智恵の限りをつくしてイラク建国を達成する彼女の献身と悦 びの記録は大英帝国の成功の秘密を垣間見るようで貴重だ。硬直した考えを持つ直属の上司とは摩擦が絶えなく、袂を分かつとき「フィリッピで再会しよう」という発言まであったという。

ブッシュがガートルート・ベルの苦労を知っていたらイラクには侵攻しなかったのではないかと思う。 ブッシュのおかげで独裁者の重しがとれたイラクはガートルート・ベルが国家としてまとめようとした時の状態にもどったような感がある。少しも好転しない治 安にシビレを切らした米国民は撤兵にかたむき、ブッシュの任期切れとともにイラクは大英帝国の時代、オットマン・トルコの束縛から解放された混乱状態に戻 る気配である。

Rev. April 2, 2008


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