タイ4



(マレーシア2編から)

1.バンコクも雨(10月26,7日)

 タイ側でも問題なく入国手続きは終了した。 1時間後にはハジャイの町に到着した。 時差が1時間あるので昼前だった。 事前に運転手にバスターミナルに降ろすようにお願いしたので、楽だった。

 チケットの窓口で今日発のバンコクへ行くバスのことを聞くとPM5:00まで空きがないらしい。 5時間待つのは面倒だが、仕方ない。 荷物を預け、食事をしに近くの食堂で適当にお惣菜をご飯にかけてもらった。 これは辛さが大当たりだった。 涙無しには食べられなかった。 一応、入っていた唐辛子は全部取ったのに・・・。 東南アジアではタイ料理が一番辛いのだろうか?

 読書などをして暇をつぶしてバスに乗り込んだ。 バスはほぼ満員でハジャイのバスターミナルを出発した。 少し移動してから予約済みの乗客を乗せたので満席になった。

 タイでも雨だった。 何度か寝たり起きたりを繰り返しているうちに高速道路をはずれていることに気が付いた。 次に起きたら道が川になっていた。 パトカーが先導していた時もあった。 どうやらタイでも洪水になっているらしい。 場所はバンコク近郊の低地らしい。 そんなことがあったが、バスは1時間遅れの朝6:30ごろにバンコク南バスターミナルに着いた。

 南バスターミナルから宿があるカオサン・ロードへは普段はバスで10〜20分だが、悪名高いバンコクの渋滞に巻き込まれて1時間近くかかってしまった。 後でカンボジア大使館にビザを取りに行った帰りに行きが40分で帰りが2時間半かかってしまった事があった。 以前はこんな事がなかったのに・・・。 景気が回復したのだろうか?
 宿は前回と同じ「出会いの広場」(D40B)にした。

2.地方からの出稼ぎ(バンコク、10月27日〜11月4日)

 訪れるたびに変わるバンコクのように宿も変わっていた。 宿代を踏み倒す人間がいたのだろうか?宿代は以前、チェックアウト時にまとめて払っていたが今回は毎日払う事になっていた。 
 人も変わっていた。 併設の代理店で受け付けをしていた人が変わっていた。 あと、部屋の雑用にタイ人のおばさん、サミーと併設の韓国料理のレストランにタイ人の若い女性ペーンが手伝いで働いていた。

 おばさんはタイ東北部の出身で私と同じ部屋で寝泊まりしていた。 ペーンはタイ北部の果物の村出身で宿の近くから通っている。 恐らく、同郷の子何人かで部屋を借りているのだろう。
 幸いタイ語の会話集を持っていたので宿でくつろいでいる時は彼女たちが寄ってきていろいろお話できた。 東南アジアの女性は開放的だ。 少しでも意志の疎通ができると感じるとおしゃべりしたがる。

 いろいろ用があったのと、3日後にカオサン入りしたノブ君やサミー、ペーンと遊んでいたのであっという間に8日が過ぎてしまった。 時間があればもう少し遊んでいたかったが、先があるのでカンボジアへ向かうべくバンコクを去る事にした。

3.国境の町(アランヤ・プラテートAranyaprathet、11月4,5日)

 11月4日の朝にノブ君に見送られて市バスでカオサンを出発した。 翌々日の土曜日に帰国する彼とはここで本当にお別れだ。 カオサンともお別れだ。

 バンコクの北バスターミナルに着くと噂通り、すぐにタイ・カンボジア国境の町アランヤ・プラテート行きのバスに乗れた。 バスはしばらくバンコクの幹線道路を走ったが、2時間ほどで以前ラオスへ向かう時に通ったタイ東北部と同じいかにも「インドシナ」といった感じの景色になった。 まだ稲の収穫が終わってなく、緑の平原がどこまでも続いた。

 バンコクの北バスターミナルを出てから4時間後にアランヤ・プラテートのバスターミナルに到着した。 持参したガイドブック「旅行人ノート3・メコンの国」初版にも持参してないが「地球の歩き方・タイ編」にもこの町の事は触れられてない。 またガイドブック無しの自力の宿探しだ。

 この町はタイにしてはあまり外国人が訪れてないらしく、看板はほとんどタイ文字だった。 仕方なく、露店の人に聞いて中国系が経営している旅社に行ってみた。 旅社らしく値段の割にあまりきれいではないが1泊だけなのでチェックインする事にした。(Hai Suk Hotel、シャワー・トイレ付きW150B) 夜になると近くのカラオケから歌声が聞こえた。 また、国境の町らしく近くにはマッサージを装った売春宿もあった。 環境はあまり良くないようだ。
 また、この町には中国系が多かったのでなんとなくシンガポールに近いインドネシアのタンジュン・バライを思い出した。

4.カンボジアへ(アランヤ・プラテートAranyaprathet、11月5日)

 いよいよタイを去る日が来た。 朝に宿の近くの食堂で朝食を取って食堂の人に手伝ってもらいバイクタクシーで国境に向かった。

 実はアランの町はさらに国境に向かって伸びていて宿や店、市場まであった。 もう少し歩けば良かった。 いつもながら根性の無さを感じた。 また、市場から乗合トラックがあったことを後で知った。

 バイクタクシーに乗って10分くらいで国境近くのマーケットに着いた。 かなり広いスペースにたくさんの店があった。 そこでバイタクの運転手は「歩け!」らしい事を言ったが行ける所まで行かせた。 この手の人間は油断も隙も無い。

 歩きはじめると反対側から明らかにタイ人とは違う人達が大勢歩いていた。 カンボジア人だろう。 服装や女性のメークがラオの人達みたいだ。 生活水準が近いのだろうか?

 鉄道の廃線を渡って突き当たりを左に曲がるとイミグレーションがあった。 所定の手続きをして国境の川に架かる橋を渡ってカンボジアへ向かった。

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