マレーシア2



(シンガポール2編から)

1.日本人社長の悩み(シンガポール〜クアラ・ルンプール、10月22日)

 マレーシア側入国審査は暇を持て余した役人のお陰で長かった。
 マレーシアは入出国の際に外貨の申請をするのだが、それは合計がUS$で2,500以上の時のみだ。 ところが暇な役人は外貨の提示を求め、数えさせる始末だ。(しかもUS$の合計が間違っていた) 税関の役人はなぜか「どこから来た?」、「どこへ行く?」、「何日いる?」、「何しに来た?」と自分の仕事に関係ない事を聞く始末。

 社長は5年前に脱サラでケーキ作りの修行をして、家族を日本に残し単身シンガポールに渡り日系デパート主に出店して、現在はシンガポールに4店、クアラ・ルンプール(以後KL)に2店、香港に1店と順調に事業を展開されているとの事だ。

 今年にKLに新しい空港ができたが市内から離れているため、所用時間3時間だったのが今では4時間以上かかるとの事。 更にタクシー料金が20数RMだったのが90RMと非常に高くなってしまったので所用時間6時間、20S$で済むバスに切り替えたそうだ。
 バスは横に3列座席が並ぶもので足が十分に伸ばせる。 日本でもあまりない快適なバスだった。

 社長の悩みは現地人スタッフの管理が大きいらしい。 タイとインドネシアのデパートで感じていた事だが、中国系以外のグループは日本人と勤労習慣がかなり違う。
 タイにいたときに昼の2時頃に宿の近くのデパートに行ってみると、暇なこともあるが店員はレジの辺りに5〜6人固まっておしゃべりしたり、何か食べていたり、堂々と昼寝をしている店員までいた。
 インドネシアでは更に、お菓子売り場の店員が何のためらいも無く堂々と商品をつまみ食いしていた。
 社長の話によると、一つつまみ食いするだけでなく、袋に入れて友達にプレゼントすることもあるらしい。 また、昔の江戸っ子の「宵越しの金は持たない」ではないが、給料はすぐに使ってしまい「金を貸してくれ。」と言う事もあるそうだ。
 新しい土地に事業を展開するときの現地マネージャーの確保も頭痛の種らしい。
 東南アジアでは一般的に女性はまじめで働き者が多い。 社長も女性に責任ある分野をまかせているらしい。

 そんな悩み多き社長だが、投げ出さずに事業を続けているのは東南アジアが魅力ある土地だからではないだろうか?

 バスはココナッツのプランテーションの中を進んでいたがKLに近づくに連れて日系企業の工場や団地を見かけるようになり、高速道路の車線が2車線から3車線に増えて交通量も増えた。 高速を降りると世界一高いビル、ペトロナスタワーを始め高層ビルが林立するコンクリートジャングルが見えてきた。 KL中央駅を過ぎるとジャカルタほどではないが雑然とした人が多い町並みになった。 やはり人口200万の都会だ。 シンガポールを出発してから6時間後の14:30にプドラヤバスターミナルに到着した。
 社長は「健康に気を付けてね!」と言って元気に去った。 明るく、楽観的な人なのだろう。

 実はノブ君からスラウェシで一緒だったフレンチ・カナディアンのダニエルがKLにいるとの事で再会を願ってmailを送ったのだが、着いた日にカナダに戻るためにKLを出るとのメッセージが帰ってきた。 残念なことだった。 彼は親切にも彼が宿泊していた宿を教えてくれたのだが、土地の人に聞いても知らないとのことだった。 これまた残念なことだが諦めてガイドブックに載っていた宿に行ってチェックインしてしまった。(Backpackers Travellers Lodge、W22RM)

2.詐欺師との遭遇(KL、10月23日)

 宿はKLのチャイナタウンにあり、食事に便利だった。 KLに着いた翌朝、お粥を食べに屋台を探した。 「花生粥」と書いてあったのでイカが入ったものかなと思い、挑戦する事にした。 結局ハズレでイカは「花枝」、「花生」はピーナッツだった。

 注文してから空いた席を探して座ると後ろのおばさんが日本語で話しかけてきた。 中国系に似ていたので安心して話を聞いたのだが、「妹が日本に留学に行くのだが、日本の治安の事で不安なのでどうなのか教えて欲しい。」らしい事を聞いて「時間があるんだろうから付き合って欲しい。」と言った。
 これはガイドブックの注意事項に出てくる詐欺師の勧誘パターンそのものだった。 付いて行くと賭博をやらされ金を巻き上げられるか、睡眠薬入りの飲み物を飲まされて金を取られるかされるのだろう。 適当に「人と待ち合わせしているから付き合えない。」と言って断った。
 男連れだったがそいつは用心棒だろう。 この手のおばさん詐欺師によくあるパターンらしい。

 近くに土産物を抱えた一目で日本人とわかるカップルがいたので彼らに「うしろの二人組みは詐欺師かもしれません。 気を付けて下さい。」と紙に書いて渡した。 それから何事も無かったかのようにその場を去った。

 宿にチェックインしたときにスタッフが「これを見てね。」と壁に張ってあった詐欺に遭った日本人の体験記を指差した。 大概、有名なショッピングセンターに出没するとの事だが彼らの「出勤前」の腹ごしらえに遭遇したのだろうか?それとも計算済みだったのか? マレーシアはある程度発展しているのでそんな事をしなくても仕事はあるだろうから過去の話と思っていた。 宿のマレー人スタッフは「彼らはフィリピン人だよ。」と言っていた。
 なにはともあれ、油断はできない。

 KL市民の名誉にかかわる話だが、普通のKL市民は道を聞くと親切に教えてくれる。 わからなくても、近くにいる人に聞いたりしてできる限りのことをしてくれる。 どこでもそうだが、悪い事をするのは一部の人間なのだ。

3.大雨のペナン(ペナン、10月24日) 

 24日の朝にペナンへ向かうバスに乗ってKLから出発した。 KLの町はシンガポールほどではないが、緑が多く閑散とした感じだった。 人口200万らしいが、30分くらいで町が終わり例のココナッツのプランテーションになった。 高速道路はさらに岩山が多い山の中を進んで行った。 天気はイマイチで時々雨が降ったりした。

 4時間くらい経つと標高が低くなったのか?田園風景になった。 雨は激しくなり、視界が悪くなった。 さすがに飛ばしていたバスもスピードを落とした時もあった。 さらに進むと工場がいくつか見えてきた。 ペナンが近づいてきたのだ。 期待していたペナンと本土を結ぶ橋からの風景は雨のために視界不良だった。

 橋を渡ってペナン・ジョージタウンの市街地に入ると道が川みたいに冠水している所があった。 尋常でない雨だったらしい。 マレーシアも雨期入りしたのだろうか? 午後2時にジョージタウンの中心、コムタのバスターミナルに降ろされた。

 そこのインフォメーションでノブ君から教えてもらった彼が滞在している宿の場所を教えてもらい、歩いて宿に向かった。 その宿、Oasia Hotelは以前、ペナンにいた時に近くをよく歩いたので大体の場所は知っていた。 玄関に入ると中国系の人のよさそうなおじさんが受け付けをしていた。 彼に「日本人2人いますか?」と聞いてドミトリー(8RM)を案内してもらった。 ノブ君とは6日ぶりである。 近くにノブ君がオーストラリアで会ったバイクで旅行中のカズ君がいた。 3人ともインドネシア経験者なので話はインドネシアの話題になった。

4.国籍、言語が違う中国系(ペナン、10月25日)

 宿の同じ部屋に二人の東洋系の人達が宿泊していた。 一人はシンガポールの人、もう一人は台湾人のおじさん。 部屋は東洋系で占められたと言った感じだった。 シングルの方にはオーストラリアの中国系の人もいて、中国系3人組はよく一緒に話しをしたりしていた。 会話は英語が主である。 台湾のおじさんは中国語、台湾語、英語、シンガポーリアンは英語、広東語(多分、中国語も)、オージーは英語、広東語が話せるらしい。 もちろん、広東語と台湾語は別物なので会話は英語になる。

 ペナン2日目の晩に彼らと日本人3人組みが一緒に食事をする事になった。 みんな食文化が近いく、もちろん彼らはこちらの中国系の食事を知っているので便利だ。 私は以前から気になっていたおでんの屋台にオージーが注文していたので後ろで様子をうかがっていた。
 日本のおでんと違って調理前の具を指定して、中華風スープで茹でてもらうという形式だった。 具は魚や鶏、ブタのだんごなど練り物に野菜だった。 食べてみるとしゃぶしゃぶみたいな感じもした。 初体験の味に満足。 中華は奥が深い!
 食卓での話題は男ならではの女の子の口説き方・・・、などだった。 そんな話題には国境はない。

 食後に皆で中国の演劇をお寺で上演しているので見に行った。 演劇は日本の昔の大衆演芸のような感じがする総勢10人もいないらしい小さな劇団だった。 東南アジアの中国系に多い福建語の劇らしく、台湾のおじさんは理解して時々笑っていたがオージーとシンガポーリアンは意味がわからず早々に帰ってしまった。 垂れ幕をよく見ると「「門+虫」(ミン)劇」と書いてあった。
 「門+虫」(ミン)とは「門+虫」(ミン)南語のことで、台湾と福建で主に使われている中国語方言のことだ。 「門+虫」(ミン)南語の劇ということだろう。 日本人には中国の演劇は「京劇」となるが、各方言ごとに演劇があるということらしい。

「門+虫」(ミン)・・・対応する漢字がPCに登録されてないのでこの表記を使いました。 あしからず。

5.再び雨の移動(ペナン→タイ国境、10月26日)

 26日の朝にバンコクへ向かうために代理店で予約したタイ・ハジャイ行きミニバスでペナンを出発した。 ノブ君、カズ君とはバンコクでの再会を約束して別れた。
 再び橋を渡り、高速道路を北上した。 連日の雨で、浸水した家屋がいくつかあった。 1個所だが、高速道路が冠水していた。 そこに近い反対車線のサービスエリアは浸水して立ち入り禁止状態だった。 雨期にしては異常だ。

 3時間ほどでタイ国境に着いた。 ここまで来ると、雨はなく蒸し暑かった。 タイは雨期明けしたのだろうか? 前回、ペナンへ向かった時と同じく簡単に高速道路の料金所みたいな建物で出国手続きを済ませて再びミニバスに乗ってタイへ向かった。

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