タイ3



(ミャンマー編から)

1.三度バンコク(4月25日〜)

 3週間ぶりにタイに戻った。 今回も空港からNo.59のバスに乗ってカオサンに向かった。 今回のバスの運転手は特に運転が荒かった。 急ハンドルは当たり前で、反対車線にはみ出して逆行することもある。 夜8:00ごろに空港を出発したが、日曜日だったことと神風バスだったので9:00ごろにはカオサンに着いてしまった。

 前回宿泊した「出会いの広場」に行くと予想通り簡単に寝床を確保できた。(D40B) 宿泊メンバーが変わってないのは驚きだった。 同じメンバーや別のメンバーと一緒に食事に行ったり遊びに行ったりした。 カオサン・ロードは前回に比べて様子が変わっていた風には感じなかった。

2.快楽の町(バンコク、4月26日)

 日本人から見て「タイ」というと風俗産業のイメージか大きいのではないだろうか? 実際はそんなに依存している事はないのだが、そういうものがあるのは事実だ。

 偶然、宿の宿泊メンバーと一緒に「ゴーゴーバー」に行く事になった。 これは日本でも有名と思うが、要は売春の窓口みたいなものだ。 でも、「買わ」なくても飲み物だけ頼んでショーを見ているだけでもかまわない。 これだけではよそのタイの町でもあるが、バンコクには「ゴーゴーバー」の男版、「ゴーゴーボーイ」がある。

 前回、バンコクにいた時から「ゴーゴーボーイ」を勧めていた「ゴーゴーボーイの布教者」佐藤君をナビゲーターに、「風俗の町」パッポンに向かった。 最初は半分冗談でトゥクトゥクに8人乗りしようとしたが、少し進んで運転手がギブアップしたのでバスで向かった。

 「ゴーゴーボーイ」はパッポンのとある路地に6軒ぐらい固まっている。 その中の1軒に入ってみると、真ん中のステージに白いパンツをはいた20代の男達が無表情で立っていた。 指名しやすいようにパンツに数字が書いてあるバッチをつけている。 さも、商品のように交代しながらステージに上がる。 座ったテーブルの前にゲイらしい西洋人が店の男をはべらせていた。
 深夜0:00ごろにショーが始まった。 内容はSM、男同士の「本番」、などで仮装パーティーに使う小さな仮面を付けていた。 それが終わるとまた、ステージに男達が上がった。 個人的にはとりあえず1度は面白半分で見ても2度目は行かなくてもいいと思う。

 それから、「口直し」に「ゴーゴーバー」に行った。 時間が遅かったせいか、ガラガラだったしホステスの平均年齢が高かった。 しかし、ショーは結構芸の種類が多かった。 まあ、やることは「性器」を使って吹き矢を吹いて風船を割ったり、楽器を演奏するくらいだが・・・。

 これで大体300Bくらいである。 ちなみにメンバー8人中2人は女性だった。 ショーを見るくらいなら女性同伴でも大丈夫である。

3.歯が折れた!(バンコク、5月1日〜13日)

 バンコクでダラダラと遊んでいたある日、中華の固いクッキーを食べていたら左上の前歯と奥歯の中間の銀歯が折れてしまった。 とりあえず、宿の人に歯医者を教えてもらい行ってみるとドアに各種クレジットカードのマークが貼ってあっていかにも高そうな雰囲気だった。 中に入ると日本の診療所のように清潔な感じがした。 Drは多分中国系だろう。 「歯を作り直さなくてはならない。 所要一週間、3回通院で8,000Bかかる。」と見積もりをしてもらった。 8,000B=\27,000と、とても高額でしかも保険が利かないが当分日本に戻らないし値段や技術の面ではバンコクがいいと一般に言われているので治療してもらうことにした。

 初日は元の歯の残骸を削って薬剤を歯の根に入れてセメントでふたをした。 2回目に新しい根を入れて仮の歯を入れた。 最終日に新しい白いプラスチックの歯を入れて完了した。

 率直な感想を言わせてもらえば、新しい歯は日本で歯科技工士に作ってもらったものよりも粗い作りだった。 その辺はやはり日本製が優れているのだろう。

 最終日の直前に右上奥歯のセメントが取れてしまった。 前からしみるので、怪しいと思ったがちょうどよかった。 結局、これはセメントの付け直しだけで済んだ。 700B追加となり、最初のレントゲン代とあわせて合計8,900Bとなった。 痛い出費である。

4.今度は目が!(コ・タオ、5月14日〜17日)

 13日に歯の様子を見て、大丈夫だったので念願の南下を開始することにした。

 とりあえず、タイの島の一つでも行ってみたかったので一番きれいらしいコ・タオに行く事にした。 宿がやっている代理店でバス、ボートのジョイント・チケット(490B)を購入して同宿の「ハシリュウ君」と一緒に14日の夕方にバンコクを発った。 バスはタイの観光バスのお下がりらしいものでまあまあだった。 ただ、食事休憩が深夜までなく、しかも高くてまずい店で休憩したのでイマイチだった。

 AM3:00に車掌に起こされてチュンポン近くで降ろされた。 側に船会社の送迎トラックがいたが、起こしても「AM4:00に出る。」と言ってまた寝てしまった。 別のバスが止まるわけでもなく、AM4:00になって結局二人だけで船会社の事務所まで移動した。

 AM6:30ごろにチュンポンをでて2時間後にコ・タオに着いた。 桟橋のあたりはにぎやかだったが少し歩くと静かになった。 桟橋から10分くらいのTOMMY'S BUNGALOW(W200をシェア)に宿泊する事にした。 スタッフは感じのいい人達だった。

 出発の前から左目がかゆかったりして違和感がしたのだが、あまり気にしてなかった。 でも、島に着いてから涙が出やすくなったり鼻水のようなネバネバしたものが出たりして怪しくなってきた。 翌日には目が充血したのでやむを得ず、島を離れることにした。

 結局島には散歩しただけでなんとも言えないが、かなり観光客がやってきているらしくて思ったよりもきれいではなかった。 のんびりするにはいいかもしれないが、沖縄の八重山諸島のほうが海はきれいだ。 コ・サムイやコ・ピーピはもっと汚染されているのだろう。

 タイのビザがそろそろ切れるし、南下するし保険会社の病院リストにマレーシア・ペナンの病院があったのでペナンまで行く事にした。 多少高くてもいいからと島の代理店でペナン行きのチケット(750B)を購入した。 送迎サービス有りとの事だが、やる気がないのか?「桟橋から近いから歩いて行け。」と代理店の人間は言ったがゴネてPM8:00に宿に迎えに来るようにした。

 PM8:30発の予定だがそこはタイ、結局PM9:20にスラターニへ出港した。 途中、雷が落ちまくる海域を通過したが、無事スラターニに到着した。 スラターニは一見普通のタイの町だが、牛と鶏のカレーを売っている店があったのでイスラム教徒が多い地域になっている事を意識させられる。

 島の代理店ではAM6:30にペナン直行の大型バスが出ると言っていたが、代理店を3軒たらい回しされて結局AM7:30にマレーシア国境に近いハジャイ行きのワゴン車でスラターニを発った。
 景色は単調だったが、北部の国道1号線同様拡幅工事をしていたので完成すると便利になるのだろう。 ハジャイに近づくと工場が目に付く。 恐らく、マレーシアの華僑資本が経費がかからずマレーシアに近いハジャイ近郊に下請け工場を作ったのだろう。
 ハジャイでペナン行きのワゴンに乗り換えた。 これでは割高になるだろう。 ハジャイの町を抜けると今度はゴム園が見えてきた。 世界地理の授業そのものである。 1時間ほどでサダオのイミグレーションに到着。 直前にはソープランドと思われる「古方按摩」の看板の怪しい店がならんでいた。

 イミグレーションは高速道路の料金所のように車に対応していくつか並んでいた。 問題なく出国手続きをしてタイを後にしてマレーシアに向かった。

(マレーシア編へ)

.ここはタイか?マレーシアか?(ハジャイ、5月25日〜28日、マレーシア編2.から

 タイ側のパダン・ブサール駅は無人でマレーシア側とくらべると見劣りした。 とりあえず銀行でお金を下ろそうとしたが、英語が通じない。 「マレー語話せるか?」らしきことまで聞かれた。 ここはタイでもマレーシアでもない曖昧な土地なのだろう。
 持っていたタイ語会話の本で銀行の場所を聞いて行ってみたが今度はCITIBANKのカードが使えなかった。 こんな所があるのか?と思ってしまったがしょうがないのでそのままバスでハジャイに向かった。

 バスから見た光景はまさに「タイ」だった。 笑顔の人が多い。 とにかく多い。 ほっとしてしまった。 暗くなったので隣の青年に時間を聞いたが笑って首を振った。 やはりタイだ。 時間は気にしないのだろう。

 時間はわからないがバスはハジャイに着いた。 宿を決めて近くのモスレム食堂で店の女の子に話し掛けるとタイ語が通じなくて、マレー語が通じた。 ここは本当にタイなのか?と思ってしまった。 このほかにも似たような事があった。 パダン・ブサール同様タイ南部でもこの辺は非常に曖昧なところなのだろう。 でも物価はマレーシアに近かった。 バンコクより割高だ。 この町は特に見所はないが、そんな曖昧な所を見ていると面白い。

 4日目の朝に再びマレーシアに行く事にした。
前日に探し当てた国境の町、スンガイコロク行きの乗合ワゴンの事務所に行って1時間近く待った9:30にハジャイを出た。 途中の光景はハジャイ−パダン・ブサールと違って工場は無く、農場ばかりの田舎だった。 しかし人はモスレムがほとんどらしい。 ゴム農園が目に付くと国境の町、スンガイコロクに着いた。 予定通りのPM2:00過ぎにタイ側イミグレーションに着いた。

(マレーシア編へ)

東南アジア旅行記へ戻る

アジアを行くへ戻る



トップページに戻る