ミャンマー



(タイ2編から)

1.灼熱の地(ヤンゴン、3月31日〜4月3日)

 ミャンマー航空、UB226便はほぼ予定通りヤンゴン空港に到着した。 事前に入手した情報では強制両替は100$以下でも行けるとのことだったが、情勢が悪化したのか?向こうは「200$出せ!」と強気だった。 暗にワイロを請求されたが適当にとぼけた。 タクシーをシェアすることになっていた日本人を待たせるのは気が引けるので結局、150$で妥協した。 両替と言っても現地通貨に替えるのではなくForeign Exchange Certificate(FEC)という外貨兌換券に替えられる。 表向きではUS$と等価だが、実際は現地通貨との両替では1US$=340K(Kyats、チャット)、1FEC=330Kと10Kの差が出てしまう代物だ。 もちろん使えるのはミャンマー国内だけである。

 空港の外に出ると噂通りとても暑い。 最高気温は40℃近くまで上がるのだろか? とりあえず、宿の確保のためヤンゴンの中心に向かった。 宿はヤンゴンの中心、スーレー・パゴダの側にあるGarden Guest House(一人シャワー・トイレ共同4$、シャワー・トイレ付き7$、どちらも時間に制限があるものの(電力事情が悪いので数時間停電する。)エアコン付きで朝食も付いている。 オフシーズンのため1$割引き)にした。

 土地の人はラオの人達より控えめだが、外国人に興味があるらしく人口200万を越える首都ヤンゴンでさえ結構土地の人と話しをした。 買い物で値段を聞いている時に野次馬が集まる事がある。 慣れないビルマ語を使うだけでも受けてしまう。

 何もする事が無いと言われるヤンゴンだが、それなりに楽しめる。 でも、他にも廻りたい所があるので3日目にマンダレーに向かおうとしたが夜行バスはどこも満席で、仕方ないので翌日のチケットを入手した。 なんでも2ヶ月の休暇の最中らしい。 代理店の人に「2週間じゃなくて?」と聞き直したら笑われてしまった。(MANN SHEW PYI EXPRESS、1,600K)

2.中国、インドとの近さ

 町を歩くと様々な人がいることがわかる。 仏教徒のパゴダ、イスラム教徒のモスク、キリスト教徒の教会。 ビルマ人、中国人、インド人、パキスタン人と旧英連邦内の移住者が多いらしい。 イスラム教徒はバングラディッシュ国境付近、南部に多いらしい。 中国人は主に雲南省の出身が多いらしい。 そのため、食べ物はビルマ、中華、インド、イスラムと豊富だ。 ビルマ料理自体、脂っこいカレーが多いので隣国インドとの近さを感じる。(脂っこいと悪評のミャンマー料理だが、野菜の酢漬けと生野菜が付いているので思ったより食べやすい。 むしろ、冷えている事が多いのでそれがおいしくない原因だと思う。) あと、インドの飲むヨーグルト、ラッシーもある。 中国のお茶もポピュラーな飲み物だ。 町の映画館にはインド映画が多い。

3.マンダレー(4月4日〜7日)

 夜行バスは沼津の富士急行のお下がりだった。 夜行バスに限らず車はほとんど日本の中古車だ。 ほとんど塗装はそのままなのですぐわかる。 路線バスは都バスなど東京、名古屋、大阪、韓国のバスや送迎バスのお下がり、タクシーは乗用車、営業車、タクシーのお下がりまである。 バスは一応エアコンがあるものの、最初のうちは効きがイマイチだった。

 スーレー・パゴダからバスターミナルまで路線バスで1時間、さらに夜行バスで30分ほどでやっと田園風景になった。 その辺は日本と変りない。 日本の料金所の様な建物を通過したので高速道路に入るのか?と思ったら道の端っこに牛車が走っていたり自転車が走っていたりその辺の道と変りない。 どうやらただ単に国道は有料なだけらしい。 道にはタイ程ではないが思ったよりトラックが多い。 上りは丸太を運ぶトレーラーが多い。 恐らく日本へ輸出するのだろう。 途中、夜中に24時間フル稼動らしいベニヤ合板の工場のそばを通過した。 これも日本辺りへ輸出するのだろう。

 途中、何度かドライブインで休憩した。 夜中でも子供が働いている所があった。 この国は働いている子供が多い。 貧富の差が大きいのでは?

 中古車をさんざん使いまわしているので故障が多い。 途中、あちこちで修理しているのを見た。 乗っていたバスまでパンクしてしまった。 そのためか?予定より1時間遅れて到着した。

 バスターミナルには宿の客引きが待ち構えていた。 中にはガイドブックに載っている宿の看板を持っている者もいる。 その中からET Guest Houseの客引きのサイカー(人力車)に乗った。 とりあえず信用させるため、日本人の客に感想を書かせたノートと写真を見せて個人的な営業を始めた。 まあ使いようだろうが興味が無いので遠慮した。 宿に着いてみると、オフシーズンなのか?ガラガラだった。 その日はそこの3$のファンルームにしたが翌日、似たような設備で朝食抜きで2$のRoyal Guest Houseに宿替えした。 どちらもオフシーズン割引で「内緒」との事だった。

 マンダレーもとても暑く、中心にあるNYLON ICE CREAMに日に2度通って冷たいデザートを食べた。 他の旅行者も同じ事をしているらしい。

4.日本との距離

 日本にいるとほとんど話題にならないミャンマーだが、現地では意外にも日本とのつながりを感じる。 それは中古車や木材など「もの」だけでなく、人とのつながりである。

 東南アジアの他の国同様、出稼ぎが多い事や留学で日本へ行くミャンマー人ももちろんいる。 あと、日本人と身内が結婚しているという人や父親が日本人という人もいた。

 マンダレーには日本語学校があって、その成果か?日本語で話しかけられることもある。 日本語熱は高いらしい。

 夜の現地テレビ局のニュースでは、NHK・BSからの報道が良く流れている。 日本人の知らない所で彼らに何らかの影響を及ぼしていて、期待されている日本である。

5.あってない入場料

 この国では外国人は主な観光地で3〜6$の入場料が課せられる。 しかし、大抵の料金所はチェックが甘く役人に見つからないように料金所を避ければ簡単に入れる。 料金所の役人によってはある程度のワイロを払えば見逃してくれるらしく、こんなことがあった。

 マンダレー近郊のザガインという所までトラックバスで行ってバスの車掌にそこの観光地までの道を聞いたら親切にも案内してくれるらしい。 しかし、すぐにヤクザ者に囲まれて車掌は殴られて追い出されてしまった。 親分らしい男がなれなれしく話し掛けてきた。 一応話を聞くと彼はサイカーの元締めで料金所の役人と親しいらしく、本来なら4$払う観光地に500Kで送迎付きで行けると言う。 しかし、一味が車掌に暴力を振るったのでわざと「300Kにしろ!」と言ってその場を去った。

 強制両替にしろこの国では政府が決めたものが実体が無くなっている。

6.避暑地ピンウーリン(4月8日〜11日)

 気分を変えてマンダレーからピックアップ・トラックで3時間、標高1,000m近いピンウーリンに行く事にした。 事前にミャンマー人200Kと聞いていたが、実際はかなり違っていた。

 マンダレーのバスターミナルに行って値段を聞くと外国人は1,000Kのタクシーしか乗れないと言ってきた。 あまりにひどいので警察官に抗議しようとしたが、近くの交差点で交通整理していた警官は英語が話せなかった。 すると、近くで車の部品を商っているインド系の青年が「どうした?」と話し掛けてきた。 事情を話すと「外国人料金は500Kだが、1,000Kは高すぎる。 多分警察に抗議しても取り合ってくれない。」と言った。 500Kでも高いと言うと「これはミャンマーの習慣だ。」と彼は言った。 まあ多少はしょうがないと思って再度交渉にしてみると、しばらくして諦めたのか?やっとピックアップを紹介した。 結局350Kで双方妥協した。 交渉開始から1時間30分、いいかげんにしてほしい。

 ピンウーリンまでの道は最初は田園地帯だったが途中から山道になって涼しくなってきた。 町に着くとコジキばあさんの案内の宿に決めた。 部屋には噂通りエアコンはもちろんファンすらなかった。 でもマンダレーより10℃くらい低いので問題なかった。

 マンダレーを発つ前日からかぜ気味だったが気分がイマイチだったので部屋で休んでいると腹が痛くなった。 町の病院に行ってみるとやる気が無さそうな女医さんが診察した。 タイや日本の病院と違って戦争映画に出てきそうなマットの無いベッドがある程度だった。 ここで入院したくないと思った。

 薬が効いたのか?それから腹痛は起こらなかった。 翌日にはかぜ薬も購入して、ピンウーリンは療養だけになってしまった。

7.イラワジ川の船旅(4月12日)

 マンダレーでは親しくなった店がボチボチ出はじめたが、沈没したくなかったので遺跡の町、バガンに行く事にした。 船旅もいいだろうと言う事で船で移動する事にした。

 船着き場に着いてみるとたくさん人がいた。 不安だったが外国人には問題ないようだった。 船賃は16$。 恐らくミャンマーの人の数倍の値段だろう。 優先的に席が割り振られる以外はミャンマーの人と変りない。 客層は平均的なミャンマー人が主だった。 はっきり言って国家がらみのボッタクリだ。 さらにレストランがまた高い。 紅茶・コーヒーが50K、チャーハンが350Kと平常の2倍以上だ。 どこまでがめついのだろうか?

 船から見た景色は依然乗ったメコンの船に比べて単調だった。 すでに川の中流で変化に乏しい。 時折見えるパゴダやメコンの船より丸い船がミャンマーを思わせるくらいだ。 停泊地が少ない事も単調さを増しているのだろう。

 2度目の停泊地からホテルの客引きが多数乗ってきた。 どいつもこいつも判を押したように友達を装って話し掛け、下らない質問をしてから本来の営業に入るのだ。 これはサイカーの運転手にも共通する。 質問内容は・・・

 1.国籍
 2.住所(ただし、日本は東京と大阪しか知らない。 それ以外だと「村か?」と言う)

そんな程度で疲れるのでこちらから「何の用だ?」と聞いて不必要だったら(ほとんど)「あっちに行け!」と言うようにした。
 結局彼らは外国人相手の商売が儲かると聞いて安易に商売を始めただけなのだ。 そのため、需要と供給ということを知らないので不必要なサービス(物)を押し売りする。 観光で生活しているタイ人と一緒で思うように行かないとイヤミを言ったりして下らない人間が多い。 まあ、そんな人間をうまく利用するのも手だが・・・。
 うるさい客引きはマンダレーが特にひどかった。

 客引きの中から以前、日本人から聞いた事があるホテルの名刺を持っていた客引きについて行くことにした。 友達を装うのは同じだが、こちらから本題に入れるとすぐに反応したので少しはマシなやつらしい。(New Park Hotel,4$,AC朝食付き)

 それから1時間ほどするとたくさんパゴダが見えてきた。 バガンに着いたらしい。 3〜4時間遅れる噂があったが1時間遅れのPM5:00着となった。

8.遺跡の町(バガン、4月11日〜21日)

 ミャンマーを訪れる観光客のほとんどがこの町に行く。 それくらい有名な所だ。 そのため、入域料と称して10$を払わされる。 港に料金所があったが宿にチェックインした時にレシートがないと請求される。

 何がポイントかというとやはり数え切れないくらいのパゴダである。 そのほとんどが僧侶が常駐してない実際には使われてない建物だ。 入域料から費用が出ているのだろうか?あちこちで修復をしていた。 所によってはパゴダの中に入ると壁や天井にびっしりとフレスコ画が描かれている。 さすが、世界遺産指定、アンコール・ワットと並ぶ仏教遺跡と呼ばれることはある。

 そんな有名観光地にもかかわらず、マンダレーと比べるとうるさい客引きははるかに少ないので居心地がいい。 小さな村を訪ねても一応営業はしてくるものの、その気がないとすぐに諦めてどこかに行ってしまう。 もちろん外国人が珍しいのでいろいろ話し掛けてくる。

9.水かけ祭り(バガン、4月13日〜16日)

 タイでは毎年4月中頃に正月があって、同時期に「ソンクラン」という水かけ祭りがある。 同じ物がミャンマーにもある。 本来は1年の垢を落とす清めをするらしいが、現在では誰にでも水をかけてもいいいたずらに変わってしまっている。 そのため、土地の人も結構嫌がっていて楽しんでいるのは子供と大人げない男たちばかりだ。 あちこちで何人かで待ち構えていて、バケツやポンプを使って放水するという過激なものになっている。 特に外国人は標的にされやすい。 おかげで、祭りの期間中は昼間は何もできないので宿にいる時が多かった。
 でも、夜になると仮設の舞台で主に10〜20歳位の女の子が10人くらいのグループで踊って(多分、地区毎に)いた素人演芸大会があって面白かった。

10.暑さ負け(バガン)

 水掛祭りが終わってようやく観光ができたのに今度は風邪を引いてしまった。 原因は夜にエアコンをかけたまま寝ていたから体を冷やしてしまったらしい。 今度は肺に違和感があったので再度病院に行った。

 今度も女医さんだったが朝早く行ったのかもしれないが、テキパキと仕事をこなす人だった。 日本人の利用が多いのか?単語を少し知っていた。 肺に違和感があったのでマラリアを疑われたが、問診中に症状が違うとの事で違うらしい。 薬を処方してもらって清算してもらうとサービス料と称して30$請求された。 外人料金とのことで、ちょっと納得がいかないがすべてFECで支払った。
 もともとのどが弱いのでエアコンでやられたのだろう。

11.再びヤンゴンへ(4月22,23日)

 体調にやや不安があったものの、ミャンマーのもう一つの有名観光ポイント、インレー湖に行くのは体力的に難しいと思ったので予定を切り上げてヤンゴンに行く事にした。

 宿でバスの手配をお願いしたが、当日の夜行便はすでに満席とのことだったで翌日の夜行便にした。(15:00ごろ宿まで迎えに来てもらえる。翌7:00ごろヤンゴンのハイウェイ・バスターミナル着。1,500K)

 今度のバスも日本の観光バスのお下がりで、愛知県の豊橋鉄道のバスだったらしい。 運転席には「年末は総点検で安全輸送」という安全標語の紙が貼られたままだった。

 バスはほぼイラワジ川沿いの国道2号をヤンゴンに向かって南下した。 日没前はラオスでも見かけたお祭りの御布施を払う私設料金所や水道がない村か?水汲み帰りの人達を大勢見た。 大きなやぐらの井戸をたくさん見つけたので、隣席の英語が話せるおじさんに聞いてみると油田とのこと。 この辺一帯は行きに通った国道1号沿線より田舎らしく、いくつか町があるがそこを抜けると木がまばらに生えている乾燥した大地が続いた。 1個所、橋がない河の跡を越えていったが雨季になると通過するのに大変だろう。

 深夜にピイ(PYAY)という町で休憩となった。 ドライブインに入って紅茶を飲んでいると、見慣れた景色の写真が見えた。 日本の大手ゼネコン、五洋建設のカレンダーで月ごとの京都の風景を背景に高島礼子や中村あずさなど日本の女優の着物姿のポスターだ。 近くにイラワジ川の大きな橋があったので、その作業に従事した日本人が彼らにプレゼントしたのか?それとも出稼ぎに行った身内からもらったのか?

 ピイからはバス同士がすれ違える快適な道路になった。 そこから交通量も増えてきた気がした。 ここでも丸太や鉄筋を満載したトラック、トレーラーを何台かすれ違い、追い越した。 外が明るくなると田園地帯になった。 やしの木があるのを除けば日本の農村と変りがない。

 そのうち、国道1号に合流して、予定より早い7時前にヤンゴンのハイウェイ・バスターミナルに到着した。

12.ヤンゴン(4月23日〜25日)

 宿は前に宿泊したGarden Guest Houseにした。 近くの屋台で軽く朝食を取ってから仮眠して昼前に起きるとミャンマー旅行中に知り合った日本人2人と再会した。 他にもミャンマー累積滞在7ヶ月の人や何回もミャンマー旅行している人がいて、さながら日本人宿になってしまった。 一緒に食事に行ったり、ロビーでミャンマーのウラ話や最近の日本の話をしたりした。

 ヤンゴンはバンコクと比べると車が少ないが、露店の物売りが相変わらず大きな声で売り口上していてにぎやかで面白い。 人種も様々だ。 ビルマ人のほかに中国人、インド系のイスラム教徒を見かけるが、少数民族もいるだろう。 宗教は一般的に仏教と言われるが、モスクが多い。 少数民族はクリスチャンが多いので教会もある。 そんな町を歩いていると面白い。

 28日までビザが有効だが、空港までのタクシーのシェアを考えてビーマン・バングラディッシュ航空便が出る25日の日曜日の夕方便でバンコクに戻ることにした。 シェアの相手はすぐに見つかった。 ミャンマーに行く前にバンコクで同じ宿にいて知り合った人が、夕方発のビーマンでバングラディッシュのダッカに向かう事になっていてシェアをお願いした。

 25日の14:00過ぎに宿を出発した。 ヤンゴンの町はスーレー・パゴダ周辺はビルが密集しているが、少し離れると緑が多いゆったりとした町並みだ。 30〜40分くらいで空港に到着した。 ロビーには土産物屋が数軒あるだけでする事がないのでさっさとチェックインした。 ここで10$の出国税がかかる。 そこで残りのFEC、3FECを混ぜて支払ってFECをすべて消費した。 出国手続きは至って簡単で、あっけなく待合室に入った。 それから、16:30、定刻通りUB221はバンコクに向かった。

13.最後に

 とても暑い時期に旅行したので、午前中観光、午後水浴び昼寝、夕方散策というパターンが多かった。 11月〜2月に旅行するか、標高の高い所に行くのがベターだろう。 その方が体力的に旅行しやすい。

 どこでも同じだろうが、観光に従事している人間(宿の人は親切で人懐っこい)以外は概ね親切だ。 でも少し慣れると「Tシャツくれ」、「写真とって、送ってね!」とプレゼントを要求されることがある。 商売人はタイ人と比べると営業が熱心で、露店の物売りやバスの車掌の口上は聞いて面白いがサイカーなど観光の営業はうるさいししつこいのでうっとうしい。

 雰囲気はインドと中国の中間といった所だろうか? 料理、伝統芸能・工芸など文化面でそれを感じる。 個人的には音楽は沖縄に似ていると思うがどうだろうか? ビルマ人の顔つきもそんな感じで女の人は美人が多い。 ほとんどの人が伝統的な腰巻きをしている。

 いろいろあったが面白かったし、行ってない所が多いのでいつかまた訪れたいと思う。 日本人でミャンマーにはまって何回も訪れる人が多いらしい。

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